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節分といえば豆蒔きを思い浮かべる事も多い。
この豆蒔きも地方によって姿を変える。
元は家の中にケガレを入れない、また、ケガレを外にはき出すという意味があると、先日読んだ民俗学者の神崎宣武氏筆の『ちちんぷいぷい』や他のいろいろな民族学関係の本に記されている。
現在では豆を蒔くことが定着していることが多いが、元は五穀豊穣や山の生活とも密接な関係があり、穀物や木の実ならば何でも良かった。
だが、あわやひえ、米では後の処理が困る。
そうして人間が都合の良いように、つまり拾いやすいように豆を使うようになったと書かれていた。
この蒔かれた穀物は、昔から食べるのが前提であったとのこと。
ゆえに掃除され清められた居間や生活の間を中心に 炒った穀物を蒔かれ、玄関や外に向けては最後に少量蒔いたとのこと。
自作穀物を大切にする農耕民族の知恵が習慣となったようだ。
穀物を蒔く主は大黒柱や長寿者男性が多く、鬼になるのは息子とされていたことが多かった。
青年部に入団する前の成人にいたらぬ男性はこせがれとされ、父親などに比べ軽視されていた事も理由の一つらしい。
また一説では、炒った豆を年神に供えたあと、その豆を年男(その年の干支の生まれ)が蒔くともいわれている。
上のことを考えると、蒔かれた豆を自分の年の数だけ または 年の数+1だけ拾って食べ、一年の無病息災を願う風習が一般的になって定着したといえよう。
ではこの蒔く穀物や木の実は五穀豊穣や山の生活だけに関係するのかと言えば、他にも理由が考えられる。
穀物や木の実には『邪気を払う霊力』があると考えられており、豆などを蒔くことで浄化されると考えられていた。
豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込むと考えたのだ。
この考え方が この考で初めに書いた『元は家の中にケガレを入れない、また、ケガレを外にはき出すという意味がある』という部分に共通。
根本は同じである。
節分には太巻きを食べることが日本全国で定着している。
これは歴史的にはごく最近で、何の根拠もない。
ただ太巻きが鬼の持つ金棒に見立てられてのこと。
元は関西のすし屋が節分に商売気を出して太巻きを売り出し、消費者が乗っかった。
それが日本各地に広がったとのこと。
何だかバレンタインディに類似。
こういった些細なきっかけが元となり習慣化して、民俗の歴史となるのかと思うと、まんざら馬鹿にできない・・・というより、そういったお祭りイベントに乗っかる平和な生活に感謝。
節分には鰯を焼き、太巻きをつくる。
そうして年の数だけ豆を食べるという我が家の楽しいイベントをたやしてはいけない。
今年も楽しもうと、本日 節分豆や海苔や干瓢や乾椎茸を購入した私である。