136; 『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』「ゆるし」と「はずし」の世間論 (PHP新書)
佐藤 直樹 (著)
PHP新書
2011年3月
216ページ 720円
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本の内容
日本人は謝ることで「世間」に属することを許され存在論的安心を得る。それは「個人」が確立されていないから。本質をつく日本人論。
目次
第1章 日本人を縛る「世間」とはなにか―なぜ年齢にこだわるのか
第2章 「世間」における「ゆるし」と「はずし」―日本の犯罪率が低いわけ
第3章 「はずし」としての厳罰化―「後期近代」への突入か
第4章 「ゆるし」としての刑法三九条―理性と自由意思をもった人間?
第5章 「ゆるし」としての少年法―「プチ世間」の登場
第6章 謝罪と「ゆるし」―出すぎた杭は打たれない
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『なぜ日本人はとりあえず謝るのか』を読了。
まずは日本における贈与形態から日本を縛る「世間」に導かれる。
具体例を多く取り上げられ、「はずし」としての厳罰化まで来ると、場合によっては納得いく部分も割合に多い。
第4章真で読むよ、著者の本書を書かれた経緯にふれる。
ここでは次のように記される。
【「近代警報の答えは、犯罪をおかした精神将棋社には理性と蚊自由磯が存在せず、犯罪をしない洗濯可能性(省略 「他行為可能性」)が無いから」という理由で 障害者の処罰が免除されたり軽減されることにおいて納得ができなかった(要約)】
著者の【わたしは納得できなかった。】という理由、そして疑問が、著者自身の責任拳銃の出発点となったと書かれている。 107
これについてはケースによっても各個人の考えによっても大きく意見は別れるところか…、わたしにはわからない。
本書死刑の部分では著者は次のように記されている。77-80
【日本の死刑制度は、ケガレとミソギという「世間」の「呪術性」の、いわば中心としている。他のヨーロッパ先進産業国と異なって、日本の「世間」での死刑制度が圧倒的に支持されるのは、その「呪術性」のゆえにほかならない。】79
ここにおいても各個人の考えによっても大きく意見は別れるだろう…、わたしにはわからない。
作家 辺見膺(よう)氏によれば日本の死刑は呪術的なしきたりに従って行われているらしい。
たたされる位置 丑虎 北東 鬼門 穢れが立つ場所 辺見膺(よう)『愛と痛み』 78
第五章「「ゆるし」としての少年法」の一例ではあるが「山形マット事件」の本質を知り、身震いした。 157
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