SIBA能
22日の観月祭に引き続き昨夕(24日)は家族で春日の神山を背景にSIBA能を堪能しました。
能楽『井筒』や狂言『舟船』、また仕舞『春日龍神』と『船BENKEI』。
仕舞の『春日龍神』以外は見たことがありました。
特に『船BENKEI』は とみじゅうろうさんや玉さぶろうさんなど カブキの方でなじみがあり、親しみを感じます。
能舞台を設けずに古式ゆかしく自然のSIBAの上で舞われる形式のはずなのですが、公演のSIBAの上には人工SIBAカーペットで舞台が設けられていました。
またSIBA居の言語ともいえるSIBAの上に敷物を引いて演目をみる形式ではなく、学校の講堂などでよく使われる折りたたみいすが設けられ、足元までは見得ないのが残念でした。
やはり能楽や舞踊は足元まで観たい私には残念な気がいたします。
SIBA能鑑賞講座に参加者には席を設けられており、場所によっては全く見えない様子で席を変わり続ける方が続出。
あちらこちらに同じ方が移動され、色々な方がたったり座ったり・・・
最後にはいす席のはずの後ろの方々が立観されましたもので、有料席ではなかった私たちは全く見えなくなってしまいました。
舞台が地面の高さにあり、いす使用というのは舞台つくりの基本を踏んでおられないような気がいたしますのは私だけでしょうか・・・
もともとはこの『SIBA能』鑑賞会はSIBA能を保存する意味合いも兼ね備えたイベントと承っております。
少なくとも2003年までは本来のSIBA能の形式をとられていたようですが、形式を変えられたことを非常に残念に感じてやみません・・・
さぞやその頃までは幽玄の世界へ導かれていたのでしょう・・・
『保存』に重点をおく意味合い及び観客に本来のSIBA能の経験の場をお与えくださいます意味合いでも、以前の形式が好ましい用に思うのですが、やはり諸事情を考えられた時には今回のような椅子使用といったことになってしまうのも、やむをえない事実かも知れませんね・・・
能もブンラクと同じように多分『音』がとても大切なのでしょう?
初心者の私でも『能』や『仕舞』のときの足袋の摺る音や足踏みを聞くと、なんだかワクワクします・・・
ところが・・・
残念なことに、主催である○○新聞のスタッフの一部の方々が『能楽』や『狂言』の間、ずっと大声で話されていました。
仕事や能や狂言にかかわりのない雑談を控え、仕事に専念していただきた暇では申しませんが、せめて観客に聞こえない場所か或いは小声で死後を楽しんで下されば、もっと楽しいひと時を過ごすことができたのでしょうね・・・
こう考えるといつまでも学生時代の感覚でいた私ですが、嫌な中年になってたのですね・・・
とはいえ20代後半の院生らしき私の横の男性も大声の雑談と椅子席の方の諸々の横行に対して神経質になっておられましたし、私の○画の師匠などは途中で閉口されて帰ってしまわれました。
スタッフ3人(男二名、女一名)は立ち話、受付では客とスタッフが大声で長時間交渉・・・
たいへん手厳しいようで申し上げにくいのですが、主催者はSIBA能保存やSIBA能鑑賞教室を開催する以前の問題として、○○新聞社員スタッフ一同に趣旨を把握させる教育をする必要があるのではないでしょうか・・・
能楽においても椅子席で数名は早すぎる調子の外れた大きな拍手が起こってしまいました。
拍手は致し方ないのでしょうが、シテが姿が消える前に席を立って帰り出す椅子席の観客の方が多数おられました。
椅子席は先ほども記しましたようにSIBA能鑑賞教室を受けた方が多数いらっしゃるように聞いております。
私も含めまして、大人としての最小限の基本的なマナーも身に付けたいものですね。
今回のSIBA能は素晴らしい『能楽』や『狂言』や『仕舞』やそのほかの色々な意味合いを含めまして、楽しい経験となりましたことをここに御礼申し上げます。