6月13日
太宰治(38歳)
『人間失格』『桜桃』などを書きあげる
愛人の山崎富栄と玉川上水にて、入水心中
1948年(昭和23年)のことだった
太宰の誕生日(6月19日)に 2人の遺体が発見された。

不謹慎だが、近松ならこの事件をどのような 心中もの に書き上げるかと想像した。

太宰治は昨年『ヴィヨンの妻』『桜桃』 『思い出』『魚服記』『列車』『地球図』『猿ヶ島』『雀こ』『猿面冠者』『逆行』『彼は昔の彼ならず』 (筑摩現代文学大系 59)を楽しんだ。
この年齢になって太宰治を読むと、その面白さに気づく。















太宰治の自殺
『人間失格』『桜桃』などを書きあげたのち、1948年(昭和23年)に玉川上水(当時・東京都北多摩郡三鷹町)で、愛人・山崎富栄(1917-1948)と入水自殺を図った(同6月13日)。
この事件は当時からさまざまな憶測を生み、愛人による無理心中説、狂言心中失敗説等が唱えられている。
『朝日新聞』に連載中だったユーモア小説「グッド・バイ」が未完の遺作となった。奇しくもこの作品の13話が絶筆になったのは、キリスト教のジンクスを暗示した、太宰の最後の洒落だったとする説(檀一雄)もある。
遺書には「小説が書けなくなった」旨が記されていたが、自身の体調不良や一人息子がダウン症で知能に障害があったことを苦にしていたのが自殺理由のひとつだったとする説もある。
既成文壇に対する宣戦布告とも言うべき連載評論「如是我聞」の最終回は死後に掲載された。
杉並区堀ノ内にて荼毘に付される。戒名は文綵院大猷治通居士。
2人の遺体が発見されたのは奇しくも太宰の誕生日である6月19日。
この日は彼が死の直前に書いた短編「桜桃」にちなみ、太宰と同郷で生前交流のあった作家・今官一により桜桃忌(おうとうき)と名付けられた。
墓のある東京都三鷹市の禅林寺には多くの愛好家が訪れる日となっている。
太宰治の出身地・青森県金木町でも桜桃忌の行事を行っていたが生誕地・金木には生誕を祝う祭の方がふさわしいとして、遺族の要望もあり、生誕90周年となる1999年(平成11年)から「太宰治生誕祭」に名称を改めた。

1948年(昭和23年)
3月から5月にかけて『人間失格』を執筆。
6月13日 - 愛人の山崎富栄と玉川上水(東京都北多摩郡三鷹町、現・三鷹市)の急流にて入水心中、38歳没(満年齢)。
6月19日 - 太宰治の遺体が玉川上水の下流で見つかる。




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