写真は桜 ▲
こちらは『梅』 ▲
桜に思う 3 『Tomarigi』
またまた 桜にまつわるお話です。
桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿
桜折る馬鹿 柿折らぬ馬鹿
ということわざがあります。
ここでは、意味は省かせていただきます。
私は一途に子育てに励んできたような気がします。
気がつくと子どもは二人とも二十歳を過ぎていました。
今は夫婦と自分の時間を大切にしています。
子が幼い頃。育児で悩むところは、どこまで手をかけるか。
私は少々過保護に子どもたちを育ててきた傾向が強いようです。
梅型と桜型でくくるならば、我が子は二人とも、梅型に育てたのでしょう。
自力で開花することのできる桜型は素晴らしいし、羨ましい。
また手塩にかけ育てる梅型もかわいいものです。
子育てには いろいろな教育法を取り入れましたが、中でもモンテッソーリー教育が好きでした。
子どもの興味を持ったことに対してはとことん納得するまで実行させてやりました。
そういう意味では、梅型を土台とした桜型で育てたのかも知れません。
ここ二日間、四人そろっての食事でした。
週に何度かは全員そろうのですが、四月からはそうもいきそうにありません。
今日は子どもとたわいない話をしながら 全員でおやつをしたり、朝昼夕の三食を食べました。
こういった家族の和みがあるのも、『梅』や『桜』のおかげかも知れないと思うのです。
近い将来、子どもたち二人は 自分の世界に飛び立っていくことでしょう。
私は『梅』や『桜』としての『Tomarigi』を広げ、何時までも『Subako』であり続けたいと考えています。
子育てばかりに時間を費やしてしまった私。
たわいない話に、最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
感謝申し上げます。