8月21日 御言葉をあなたへ 2018-08-21 08:19:19 | 日記 「あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ。」使徒5:4c アナニヤとその妻サッピラは地所を売った代金を神様に奉げましたが、一部を誤魔化していました。ペテロはそのことを指摘して、どうして正直にしなかったのかと問いました。奉げものは自由意志ですから、誰からも強制されることなく、非難されるものではありません。それなのに、彼らは人の手前で見栄のためにしたのです。私たちの一挙手一投足はすべて神様に覚えられていることを知るべきです。人を騙しても神様を欺くことはできません。(KE) 城陽市 長池
8月20日 御言葉をあなたに 2018-08-20 06:42:03 | 日記 「彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。」レビ1:4 神様に犠牲を奉げるとき、手順が決められていました。自分の身をささげる代償として牛や羊の完全なものが選ばれ、殺されました。その際にささげる人は生贄の動物の頭に手を置きました。その動物が自分と同一であることを告白する行為です。そうすることによって、その人が神様に受け入れられたのです。イエス様は私たちの身代わりの子羊です。この方と一体となり、主のあがないを体験してください。(KE) 孫の洗礼 息子の子(高校生) 娘の子(中学生)
8月19日 御言葉をあなたへ 2018-08-18 21:43:30 | 日記 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」ルカ6:38 人は握ったものは手放さないように、持っているものは減らさないようにしようと保守的になります。それでは信仰に立つことができません。イエス様は私たちに与えなさい、空にしなさいと勧めます。そうすれば満たされ、溢れるようになるからです。神様は必ず報いてくださいます。(KE) 宇治田原町
8月18日 御言葉をあなたへ 2018-08-18 10:11:11 | 日記 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4 なにゆえに神様に顧みられて今があるのでしょうか。神様から見れば、私たちは取り柄のない無価値なものです。この詩の表題に「ダビデの歌」とありますが、名もない羊飼いとして生まれたダビデが一国の王になるという事態は不思議としかいうことが出来ません。家柄も才能も学歴や身分によらず、ただ一方的な神様の選びと召しによったのです。彼の生涯を貫く神様への謙遜を私たちも持ち続けましょう。(KE) 滋賀県 みずの森
8月16日 御言葉をあなたへ 2018-08-15 23:28:26 | 日記 「しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。」創世記4:5 聖書を通して一貫していることの一つは、創造者と被造物、神様と人との位置関係をはっきりさせることです。「分を弁える」と言いますが、まさに神様に対して人としての分を守ることです。カインは明らかにこの一線を越えました。神様は絶対者であり、人は一言半句たりとも文句を言えるものではありません。ヨブも、マリヤも、そのことを身にしみて知ることになりました。あなたはいかがですか。(KE) 白馬 栂池公園