我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

下界を 眺める。

2018年05月27日 | 日記

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2018 05 27 下界を 眺める。【わが郷・日記】

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いつもは、木だとか

葉っぱを観てきましたが。 

 

今日は、山を見る話です。

 

 

手前から、中禅寺湖に着き出した、半島が八丁出島。 

たまには、地上の喧噪を離れるのも良いかな。それで今日は、政治とか経済の話は、一切なしです。この盲腸の虫垂みたいな半島が、何処から撮影するのか、気になっていました。最近になって、やっとその場所を探しあてて、登ってきました。

 

右半分が雲に隠れているのが、日光男体山です。

 

 

  

上の絵は、前日光からの日光連山。男体山の右が、大真名子山で、その右側が女峰連山。とりあえず連山と書いたのは、帝釈山、女峰山そして赤薙山と、山は分けて呼ばれることが多いため。でも、あれが女峰で、こちらが赤薙なんて、山好きでなければ判らない。普通は、この山群を女峰山と呼んでいる。そして、この女峰山が、父ちゃん格の男体山よりも、ずぅ~っと大きくて、火山としても古株なのだ。

 
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左の三角山が、大真名子山。その右側の山塊が女峰連峰。よく見ると、真ん中が、大きくメチャクチャ 剔(えぐ)れ ている。富士山の大沢崩れというのがあって。山体が崩れてはいるが、丸い外輪の上辺までは崩れていない。ところが、この女峰では、もうメチャクチャ崩れまくって。成層火山の噴火口外輪山なんて、面影はまったく無い。この風雪による山体の浸食を、開析と言うのだそうな。

35万年前ころから噴火をはじめ、平均して1万年に1回の割合で噴火を繰り返したが、8万6000年前を最後に噴火を停止し、開析が進んだため山頂は鋭くなり、日光連山の中で最も尖った外観となっている[1]。浸食によりえぐられた山頂の火口は、約3kmほどの馬蹄形をしており、その西の峰が女峰山、東の峰が赤薙山と呼ばれ、西の帝釈山とも、日光三剣の1つ「剣ガ峰」とされるやせ尾根でつながっている[1]。火口壁はいまも崩壊を続けており、数100mの絶壁がみられる[1]。
(wikipedia

現在の冨士山の姿が完成したのは、約1万1千年の昔のこと。

女峰山は、35万年前に噴火がはじまって、86000年には噴火が停止した。それから山体の浸食がはじまって、今のような姿になったのだという。それで西側のピークが、帝釈山となり、東側の山塊が赤薙山と呼ばれている。真ん中の最高峰が、女峰山である。

是と比べる事は、とてつもなく変だが。人間の歴史なんて、些細な事のように感じられてしまう。

それでも、日本の文化遺物は、1万年ぐらいの大昔。その程度のものが、発掘されている。

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