1.面積 176万平方キロメートル(日本の約4.6倍)
2.人口 629万人(2008年、世界銀行)
3.首都 トリポリ
4.政体 ジャマーヒリーヤ体制(大衆による共同体制の意)だったが
5.ムアンマル・アル・カダフィ革命指導者(Muammar Al Qadthafi)のあとは混乱している。
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![リビアの顔](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a1/ca3b8508794eae839374f20bf080656b.jpg?random=de8e82e471d8bdf1873f66c51a608e26)
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日本との経済関係
(1)対日貿易(貿易統計)
- (イ)品目
- 日本への輸出 まぐろ等
日本からの輸入 自動車、電線、鋼管等 - (ロ)貿易額
- 輸出 2億円(2009年)
輸入 225億円(2009年)
石油概況
(2)2005年10月、リビアにおける第2回新規石油鉱区入札で日本企業5社が6鉱区を落札。2006年12月の第3回新規石油鉱区入札では、日本企業2社が2鉱区を落札。また、石油分野以外でも、水道管製造事業等が実施されている。
(1)確認埋蔵量 415億バーレル(世界第8位)(2008年、BP)
(2)原油生産量 1日あたり185万バーレル(世界第17位)(2008年、BP)
(3)輸出量 1日あたり 138万バーレル(主要輸出先:伊、独、西、仏)(2007年、OPEC)
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2015 05 27 リビア首相暗殺未遂、車列妨害の車から銃撃 【CNN】
2011 11 30 リビアには電気代の請求書が存在しない 【田中社長ブログ】
2011 11 01 リビアの新暫定首相に学者出身のキーブ氏 【産経】
2011 10 25 「新生リビアにイスラム法導入」、NTC議長発言に懸念も 【afp】
2011 10 22 テレビ朝日記者ら3人、リビアで事故死 【TBS-news】
2011 10 21 カダフィ大佐を殺害 リビア、評議会幹部が確認 【中國】
2011 10 02 リビアでミサイル1万発不明=NATO高官-独誌 【時事】
2011 09 30 リビア暫定首相「新政権樹立は中断」、自身の入閣も否定 【ロイター】
2011 09 18 伊太利亜の 風雲児 【わが郷】
ベルルスコーニ首相はカダフィのお友達だった。
ユダヤの侵略・便衣隊がリビアで、これからどんな目に遭うか、お楽しみかもよ。
2011 08 24 リビア石油利権争奪戦 伊、仏が主役 【東京新聞】
2011 07 05 リビアの国民評議会議長、カダフィ大佐の国内残留の可能性を否定 【ブルームバーグ】
2011 07 01 露外相:仏のリビア反体制派への武器支援 反対 【Voice of Russia】
2011 06 10 リビア、人権侵害を否定=各国は政権の正統性に疑義-国連人権理 【時事】
2011 05 02 空爆でカダフィ氏息子ら死亡、抗議で大使館襲撃 【読売】
2011 05 02 NATO空爆 カダフィ氏息子ら死亡 【東京新聞】
2011 04 26 イタリア首相:対リビア空爆参加を表明-こう着状態打開を支援 【ブルームバーグ】
2011 04 07 カダフィ氏が米大統領に書簡 停戦要求か 「リビアから出ろ」と米国務長官 【産経】
2011 03 22 多国籍軍、カダフィ氏施設破壊 米、英仏に指揮権移譲へ 【朝日】
2011 03 20 リビア:仏戦闘機がカダフィ政権軍攻撃 戦車破壊か 【毎日】
2011 03 05 リビア首都近郊に政府軍猛攻 死者70人以上 【朝日】
2011 03 04 リビア、2月に行われた大西洋まぐろ類保存国際委員会会合を欠席 【FNN】
2011 03 03 アラブ連盟が飛行禁止区域設定を容認 反体制派への空爆阻止で 【産経】
2011 03 03 カダフィ氏との勢力差大きすぎ」反体制派 【読売】
2011 03 02 中国:リビアの飛行禁止区域設定に反対の意向を示唆-李国連大使 【ブルームバーグ】
2011 03 01 アメリカ、リビアへの制裁としてカダフィ大佐と家族らの資産300億ドルの凍結を発表 【FNN】
2011 02 28 前リビア法相、暫定政府樹立に着手=3カ月以内に選挙、国土一体性維持 【時事】
2011 02 27 リビア首都で市街戦準備 カダフィ氏、市民に武器 【中日新聞】
2011 02 25 金を買い占める 【わが郷】
つい最近になって遅れたやってきた、国際金融の富独占を隠す隠れ蓑が、カダフィとその親族による独裁政治であった。独裁政治が新たにユダヤ金融式収奪方法を手に入れれば、その民衆収奪は半端ではなくなる。現在のなりふり構わぬ、軍事力を行使した虐殺行為はその搾り取った富の大きさを、充分に暗示している。(とかユダ金は胞子を飛ばしている)
2011 03 22 陰の軍隊が火付け役 【わが郷】
カダフィも歳には勝てなかった。よりによって宿敵ユダヤ最大の温床国・アメリカになびいたのが運の尽きだった。
2011 02 25 反乱軍、指揮を統一 首都戦闘か カダフィ氏家族脱出図る 【産経】
2011 02 24 カダフィ氏を暗殺未遂 リビア「秘書官が狙撃」と報道 【中日新聞】
2011 02 23 カダフィ氏、テレビ演説「殉教者として国導く」 反体制デモ空爆、全土で死者800人の情報も 【産経】
2011 02 23 権力の独裁や富の独占は 国家を滅ぼす 【わが郷】
2011 02 22 リビア戦闘機がマルタに着陸、デモ隊攻撃拒否し亡命 【ロイター】
2011 02 22 カダフィ体制、崩壊危機 リビア緊迫、法相が離反 【中日新聞】
2011 02 21 リビア首都でも衝突 反政府側、東部を制圧か 【東京新聞】
2011 02 21 「カダフィ体制もう終わる」興奮のリビア東部住民語る 【中日新聞】
2011 02 21 リビア 200人近くが死亡か 【NHK】
2011 02 19 中東デモ:リビア、死者70人に バーレーン、ヘリが群衆に発砲 【毎日】
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以下は、Wikipedia よりの抄出の記事紹介です。
先史時代にはベルベル人が居住していた。古代にはギリシャ人、フェニキア人、カルタゴ、ローマ帝国、東ローマ帝国の支配を受けた。
7世紀にアラブ人のウマイヤ朝に征服され、イスラム教が広がった。イスラーム教の浸透とともに住民のアラブ化が進んだ。その後16世紀にオスマン帝国に併合された。1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立し、カラマンリー朝が成立した。19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国と第一次バーバリ戦争を繰り広げた。その後イギリスとフランスによるこの地への干渉が始まったため、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡した。
20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地化した。植民地化後はイタリア人が入植したが、サヌーシー教団のオマール・ムフタールやベルベル人による激しい抵抗が繰り広げられ、特にフェザーンでの抵抗は激しく、イタリアによるリビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだ。
第二次世界大戦中には連合国(イギリス)と枢軸国(イタリア、ナチス・ドイツ)の間で激戦が繰り広げられた(北アフリカ戦線)。イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領とされた。
1949年の国連の決議により、1951年にリビアはキレナイカ、トリポリタニア、フェッザーンの三州による連合王国として独立した。リビア連合王国の国王にはキレナイカの首長であり、サヌーシー教団の指導者だったイドリース1世が即位した。1963年に連邦制は廃止され、リビア王国が成立した。
1969年9月1日、ナセル主義者だった27歳のムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)大尉と同志の青年将校たちによるクーデターにより、トルコに滞在中だった国王イドリース1世は退位し、ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)を事実上の元首とする共和国が成立した。
その後はイスラーム主義や社会主義やナセル主義やカッザーフィーが著した『緑の書』に基づく国家を建設を目指し、対外的にはソ連に接近して援助を受けた。1970年代から1990年代まで数々のテロを支援したため、アメリカやイギリスなどの欧米諸国と敵対した。1985年に発生した西ヨーロッパでの一連のテロ事件により経済制裁を受け、1986年にはアメリカ軍によって空爆(リビア爆撃)されたが、その報復として1988年にパンナム機を爆破(パンアメリカン航空103便爆破事件)している。
2001年の同時多発テロ事件以降は一転してアメリカと協調路線をとる一方、成果を出せない親アラブ外交から親アフリカ外交へとシフトし、アフリカ連合内で主導権を握ろうとしている
記事の紹介終わりです。