今日から奄美市に研修旅行に出かける。
毎年一回開催される会合では懐かしい面々と出会える。
今回、樹木医のMさんに会えるか・・・、
術後の経過が心配である。

二ヶ月前、モンパノキを持っていったとき、
のどの手術をしていたことを知った。
与論小学校のガジュマルの大木を診てもらってからのお付き合いだから
10年以上は経っている。

奄美市への出張の楽しみは
40年来通っている居酒屋のママに会えることだ。
自分のお店を持ったのは20年ぐらい前だろうか・・・、
今は
昔のなじみの客のためだけに営業してる様子、
民宿を紹介してもらったので
今回はそこに予約を入れてもらった。

これから旅の支度をしよう。
飛行機はキャンセル待ち。
船かもしれないが
船も台風の影響が心配される。

お宿はどこだ・・・、
昔書いた 小文を載せてみる。
ユムドゥイ(スズメ)が消えた
「与論でヤマシギを食べる習慣がありますか?」との電話問い合わせに、
「無いと思うよ」と答えてくれと女房に返事した。
一瞬、今年の冬にトラツグミが屋敷に居ついていたことを思い出した。
これまでお目にかかれなかった渡り鳥である。
数年前、史跡ガイドをしてもらったという女性の方の言うことには、近所に住んでいる与論島出身のかたが、昔ヤマシギを食べたという。
食文化の話なのかと思って、
電話口を代わった。
「シロハラは食べたことがあったので、
ヤマシギだったら鳩よりも大きいから食べごたえもあっただろう。
スズメも食べたから」と答えた。
顔は思い出せなかったが与論にまつわる楽しい会話になって、
案内したお客様から電話がもらえたことに感激したのがつい最近ことである。
ユムドィ(すすめ)が居なくなったのは何時ごろからだろう、
調べて書いてみようと思っていたら、「パンチキヤマ」のことを思い出した。
鳥を捕まえる罠のことであるが
「パンチキヤマ」のこと共通語ではなんて言うのだろう。
主にキジバトを採るための罠である。
パンチキとは弾ける意味。
(絵が描けないので仕掛けを作って写真を載せることにする}添付写真。
こども頃は鳥を捕まえるのも遊びのひとつだった。
冬の季節を知らせるターシグレ(サシバの渡り)から始まって、
次々と冬鳥が渡ってくる。
シロハラやヤマシギ、そしてメジロたちも
夏が来るまでの間とどまってくれるのである。
私の家では秋に収穫したソテツの赤い実をサタヤー(旧製糖小屋)の近くに積んでおいていた。
そのソテツの実の赤い皮は毒があると言われているが、秋から冬にかけて皮が腐れて柔らかくなった頃を見計らってメジロや鶯が食べにやってくる。
パンチキヤマをしかけて、シロハラを狙うかたわら、
メジロをターゲットにしたのがソイヤマであった。
ザル(ソイ)をうつぶせに棒をたてかけて、鳥たちが餌を食べに入ったところを引っ張り倒して抑え込む罠である。
のぞき穴から鳥たちが入るのを待っているゾクゾク感が堪らない。
ソイは大中小と使い分けたが、時には大切なパラというのも使った。
たいてい2~3匹はいったら仕掛けの紐を引っ張ったが、鶯を採るためにはメジョロをたくさん集めなければならない。
鶯は用心深くなかなか罠のソイの中には近づかないのであるが
メジロにつられてやってくるまで痺れを切らして待っていると、
欲しくもないヒヨドリがやって来てメジロを追い散らかしてしまう。
鶯もメジロも採れないこともしばしばで、悔しいおもいをするのだ。
ふせて閉じ込めたソイから獲物を取り出すには着物の上着をかけ、袖を伝って手をさしいれてつかみだすのだが、脇からにげられることもしばしばだった。
メジロやシロハラよりもっと邪魔をしてくれたものが厄介な人間、
しかも父や母の農作業だった。
こうなったら、あきらめて藪の中に仕掛けたスーヤマを見回り行く。
スーヤマはシロハラ専用の罠だった。
餌はミミズだったが
仕掛けや作り方が難しかったし、
一つしか持ってなかったので父に作ってもらったのだろう。
今は仕掛けをかける術を思い出せない。
久しぶりにパパゲーノとパパゲーナ(魔笛)でも聴いてみよう。
渡り鳥たちの中にはこの島で子孫を残していくのもある。
エリグロアジサシが今営巣しているが、
いつまでも生き物にやさしい環境の島であり続けたい。
毎年一回開催される会合では懐かしい面々と出会える。
今回、樹木医のMさんに会えるか・・・、
術後の経過が心配である。

二ヶ月前、モンパノキを持っていったとき、
のどの手術をしていたことを知った。
与論小学校のガジュマルの大木を診てもらってからのお付き合いだから
10年以上は経っている。

奄美市への出張の楽しみは
40年来通っている居酒屋のママに会えることだ。
自分のお店を持ったのは20年ぐらい前だろうか・・・、
今は
昔のなじみの客のためだけに営業してる様子、
民宿を紹介してもらったので
今回はそこに予約を入れてもらった。

これから旅の支度をしよう。
飛行機はキャンセル待ち。
船かもしれないが
船も台風の影響が心配される。

お宿はどこだ・・・、
昔書いた 小文を載せてみる。
ユムドゥイ(スズメ)が消えた
「与論でヤマシギを食べる習慣がありますか?」との電話問い合わせに、
「無いと思うよ」と答えてくれと女房に返事した。
一瞬、今年の冬にトラツグミが屋敷に居ついていたことを思い出した。
これまでお目にかかれなかった渡り鳥である。
数年前、史跡ガイドをしてもらったという女性の方の言うことには、近所に住んでいる与論島出身のかたが、昔ヤマシギを食べたという。
食文化の話なのかと思って、
電話口を代わった。
「シロハラは食べたことがあったので、
ヤマシギだったら鳩よりも大きいから食べごたえもあっただろう。
スズメも食べたから」と答えた。
顔は思い出せなかったが与論にまつわる楽しい会話になって、
案内したお客様から電話がもらえたことに感激したのがつい最近ことである。
ユムドィ(すすめ)が居なくなったのは何時ごろからだろう、
調べて書いてみようと思っていたら、「パンチキヤマ」のことを思い出した。
鳥を捕まえる罠のことであるが
「パンチキヤマ」のこと共通語ではなんて言うのだろう。
主にキジバトを採るための罠である。
パンチキとは弾ける意味。
(絵が描けないので仕掛けを作って写真を載せることにする}添付写真。
こども頃は鳥を捕まえるのも遊びのひとつだった。
冬の季節を知らせるターシグレ(サシバの渡り)から始まって、
次々と冬鳥が渡ってくる。
シロハラやヤマシギ、そしてメジロたちも
夏が来るまでの間とどまってくれるのである。
私の家では秋に収穫したソテツの赤い実をサタヤー(旧製糖小屋)の近くに積んでおいていた。
そのソテツの実の赤い皮は毒があると言われているが、秋から冬にかけて皮が腐れて柔らかくなった頃を見計らってメジロや鶯が食べにやってくる。
パンチキヤマをしかけて、シロハラを狙うかたわら、
メジロをターゲットにしたのがソイヤマであった。
ザル(ソイ)をうつぶせに棒をたてかけて、鳥たちが餌を食べに入ったところを引っ張り倒して抑え込む罠である。
のぞき穴から鳥たちが入るのを待っているゾクゾク感が堪らない。
ソイは大中小と使い分けたが、時には大切なパラというのも使った。
たいてい2~3匹はいったら仕掛けの紐を引っ張ったが、鶯を採るためにはメジョロをたくさん集めなければならない。
鶯は用心深くなかなか罠のソイの中には近づかないのであるが
メジロにつられてやってくるまで痺れを切らして待っていると、
欲しくもないヒヨドリがやって来てメジロを追い散らかしてしまう。
鶯もメジロも採れないこともしばしばで、悔しいおもいをするのだ。
ふせて閉じ込めたソイから獲物を取り出すには着物の上着をかけ、袖を伝って手をさしいれてつかみだすのだが、脇からにげられることもしばしばだった。
メジロやシロハラよりもっと邪魔をしてくれたものが厄介な人間、
しかも父や母の農作業だった。
こうなったら、あきらめて藪の中に仕掛けたスーヤマを見回り行く。
スーヤマはシロハラ専用の罠だった。
餌はミミズだったが
仕掛けや作り方が難しかったし、
一つしか持ってなかったので父に作ってもらったのだろう。
今は仕掛けをかける術を思い出せない。
久しぶりにパパゲーノとパパゲーナ(魔笛)でも聴いてみよう。
渡り鳥たちの中にはこの島で子孫を残していくのもある。
エリグロアジサシが今営巣しているが、
いつまでも生き物にやさしい環境の島であり続けたい。