東日本大震災2011年3月11日は決して忘れない。
あの時頑張った事を教訓に!
NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆
東日本大地震の爪痕はまだ残ってるのです
だから 自分ができることを探し、自分ができる事を続けます
心と気持ち、物の大切さを伝え続けます!
がんばれニッポン
つながる! 日本
がんばれ!熊本!!頑張れ!九州!! 私も頑張る!
こんにちは。
今日のお話は、長いです。
あの日の事を、いつか忘れてしまう事がないように、書いておこうと
というか、やっとちゃんと向き合えることが少しだけ前進したような
そんな感じです
…
…
今年の3月10日は土曜日なのですよね。
2012年3月10日も土曜日でした。
あの日は、すごく不思議な一日でした。
朝、いつものように父と朝ごはんです。
食卓のあっちとこっちに向かい合って座っていた父はテレビを見ながら
いつものように新聞片手に、私にこんなクイズを出しました。
父のクイズは子供のころからよく出されていて
結構、まじめなクイズもあったり、いい加減、ダジャレのクイズもあったり
この日はこんなクイズでした
「今日(3月10日)は何の日か知ってるか?」
「え~~と…(む、明日3月11日は東北の大震災から1年目だなあ…)
う~~ん、東北大震災1年目の前日!」
「ほう、それもそうだな。今日は東京大空襲があった日だよ」
「ほえ~…そうか、ふ~ん。(色々知ってるなあ、後でネットで調べよっと)」
「じゃあ、5月…… は何の日だ」
…
…
この時の父の声が、先ほどの声に比べて、少し遠い所から聞こえたように感じて
「え?(なんだか遠い声だなあ…) う~~、何の日だろう。5月だから
ママの誕生日の後の日!」
「う~ん、横浜大空襲 … の日だよ」
すごく遠い声
聞き取れないくらい。目の前でしゃべっているのに何で聞こえないの?
私の耳が悪くなったのかな
ネットで後で調べよう… なんだか変だな…
「(とりあえず聞こえたとして)ふ~ん。そうなんだ」
この辺りで、私はその日、ヨガのレッスンの日でしたので
荷物をもって、出かけます
「じゃあね、行ってきま~~す!」
「……… 」
父がこちらを向いて、何かしゃべているのか 「うん行ってらっしゃい」
といつものようにしゃべったのか
全くと言っていいほど聞こえないくらい、遠い遠い所から聞こえてくる声
変な感じのまま、仕事に行ったのです
午前中から午後にかけて、ヨロズヤフォーシーズンで少し仕事をしてから
何となく、家の事、父の事も気になったのですが
スポーツクラブに行かなくてはいけない時間が迫ってきてしまったので
家に寄らず出発
スポーツクラブのレッスンは確か16時30分位から
いつものように開始です
始まって少しすると、なんだか、みぞおちから胸のあたりがビックリするほど痛い!!
嫌だなあ…
息が止まるほどの激痛がする!
私ったらなんか変!?
すると、スタジオの外からガラス越しに スポーツクラブのスタッフが2名ほど
私に向かって、ジェスチャーで呼んでいるんです
「なんでしょうね、皆さんちょっと自主的に足のマッサージしていてくださいね」
そうお客様に申して、スタッフのもとへ行くと
「シャチョーさんという方から、緊急連絡で、至急自宅へ電話するようにって
急いでください! 事務所の電話使ってください!!」
「??なんだろ??」
お客様を少し置いて、事務所に行ってとにかく自宅に電話しました
母が出て
「パパが倒れたんだけど、連絡しなくて良いってシャチョーさんには言ったのに」
「どうしよう、今から帰ろうか?」
「いや、ちゃんとお仕事終わってから、帰ってきて。」
「うん、わかった。じゃあ仕事してからすぐ帰る」
電話を切ると、事務所のスタッフのみんなが心配して
「帰った方が良いです!」
「でも、母が、きちんと仕事してから帰って来いって言うから…
レッスン終わったら帰ります」
残り40分ほどレッスンをして、その間中、みぞおちに激痛が走るんです
いやね、なんだか
肋間神経痛(ろっかんしんけいつう)かしら??
なんて思いながら、終わって、お客様を見送って、スタジオ出ると
シャチョーさんが、迎えに来てるって連絡をもらい
とにかく、早急に荷物をまとめて、外へ。
シャチョーさんが待っていてくれました
車に乗り込こむと、シャチョーさん
「横浜市大病院に行くから」
と一言
「何があったのかなあ?パパまた、お酒飲みすぎちゃってのかな?
コケて怪我したの??(過去に飲み過ぎで武勇伝の前科が多数あるもんで…)
やだねえ、飲み過ぎは」
「……」
「誰かに迷惑かけちゃったのかしら?入院したの?そんなに飲んだの?」
「違うよ… シャインちゃん…」
なんだか、シャチョーさんの声が詰まって聞こえると
「シャインちゃん、 おとうさん亡くなったんだ…」
「…」
「急に倒れてそのまま、亡くなったんだ」
シャチョーさんの声が涙声になってる
「なにが? うそでしょ、そんなことない!だって朝、一緒にご飯食べた
そんなわけない もしかして、治るかもしれないから
そんなことない…」
…
…
横浜市市大病院に到着し、霊安室へ案内されると
母もオネエもすでに到着していて…
目を閉じて横たわっている父がそこにいた
父が倒れたのは
「解離性胸部大動脈りゅう破裂」
普段特に健康状態は悪くもなく、血圧が高いわけでも無く
病気でもなく、通院してるわけでも無く…
確かに、私と同じように胃の調子が元々あまりよくないという事で
胃腸科には定期的に薬をもらっていたくらいで
悪くてどうの ってことでもない
そのあと、自宅で急に亡くなったという事で
警察が調査に入って(病歴や入院している訳でないと、変死扱いで警察が入るそうです)
母が調べられて
たくさん質問されて…
たくさん聴取しておかないと、解剖されてしまうそうなんです
その後、1週間ほどして父の体は、警察から帰されました
(返されたの方が正しいの?かなあ、でも嫌だから使わない!)
たくさんの調査のおかげで、解剖されずに済みました。
…
…
当時のブログを見てみると いつものように
というか、【いつも通りしよう】としているのが、見え見えなブログが、
書いてありました
その後もしばらく、父がいない事について、
自分の中でなかなか受け入れることができず、
きっと【陰陽五行の旅】に出ているのねって
そう言い聞かせて、過ごしていました。
2012年3月10日のブログを見ると
土曜日だったのでパワーストーンのお話を必死で書いています
が
、2014年3月6日にちょっとだけ、忘れないようにと
これまた必死で追記しています
今年は、父の7回忌です
家は、空海さんの真言宗ですので
3回忌からは阿弥陀如来様の元で修業するそうです
そして7回忌からはアシュク如来様へ変わるそうで
その際には、今まで自分のための修行を、残してきた子孫や家族のための
修行に入るのだそうです
(確かそんなお話でしたが、違っていたらすみません)
いつもいつも、ありがとうございます!
余りにも急にいなくなってしまったので
現実的には相続の事が急に発生し、先を越して手を付けていたこともありましたが
殆ど、何もしないでいたため
その、手続がとてつもなく大変で、
経験したことのない事ばかり、次から次へとやってきて
休む間もなく必死で毎日を過ごしてきました
もちろん、私一人では何もできませんので
シャチョーさんをはじめ、たくさんの人に助けてもらいました。
インチキ税理士のおかげで、3年ほど無駄に少してしまいましたが
今年、やっとやっと整理でき、ほとんどすべての手続きが終わりました。
まだ、すこしずつ何か残った作業はあると思いますが
今まで、これだけ経験させて頂いたので何とかなると思います
これも、七回忌の節目に合わせて、本当にありがたいことと感謝しています
だから、こうして、ちょっと落ち着いて書いています。
忘れないように
しかしあの日、父の声が遠くに遠くに聞こえたのは
一体何だったのでしょうか?
旅立ちの準備をしていたのでしょうか
そして、あの日の胸の痛みは一体何だったんでしょう?
多分、父が感じた胸の痛みを私にもわかってもらおうと思ったのかな?
…
…
さて、今日のところはおしまいにします。
長いブログにお付き合いいただきましてありがとうございます
でもね、やっぱり父が、いつか戻ってきてくれるって
どこかで思っています
だって、朝、一緒にご飯食べたんだもん!
きな子 父がいなくなって4か月後に父について行きました 可愛い!
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