[信州とうみ観光協会HP]より
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。
寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。
明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。
海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
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東御市にある海野宿(うんのじゅく)、街並みが好きで長野方面に行く時はほとんど毎回訪れていた。
昔ながらの宿場町と遠くに見える山並みの風景がとても好きだった。
ところが今年は10月14日の台風19号で千曲川が氾濫して、この宿場町も被害を受けたようで、橋は流され駐車場も跡形もなくなっていた。
長野県内での建造物被害は一番だったらしい。
今年は観光客も少なく、閑散としていて、いつも行っているお店の人も売上げが全くないと嘆いていた。
何とかして1日でも早く元の街並みになるように応援したいと思っている。