Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

TRF

2006年11月18日 23時31分31秒 | Weblog
90年代を一世風靡し、
今なお音楽界の第一線で活躍する
スーパーユニット。
その名も『TRF』。

ホントに好きだったんだよ。このアーティスト。
TRFは俺が小学生の頃、
すげーー勢いで売れまくってて、
小学生っていったら俺が一番楽しかった時期で、
そんな時期によく聴いていたからホント印象深い。
テレビでもよく流れていたし、
昼休みの放送でも流れていて、
常にTRFと触れていたと思うよ。

そんなTRFが三田祭前夜祭に来るというので、
俺の心はウキウキハッピーだった。
チケットも並んで買ったために前から2列目!!
でも実際座ったら、横過ぎて実はあまりいい場所ではなかった……。

予定より30分遅れてのスタートで、
会場が暗くなった瞬間、
それまで他愛のないおしゃべりをしていた観客の気持ちが
一気にステージ上に集中した。

もうホントかっこよかった!!
ETSUとCHIHARUの棒を使ったダンスはエロティックで、
DJ KOOのDJぶりはテレビよりもかっこいい!!
SAMの黒く光る肉体としなやかなダンスはとても魅力的だったし、
何よりもボーカルのYU-KIを生で見れたことが感動だった。
YU-KIがホントかわいくて、全然40歳に見えず、
あれは本気で結婚したくなりました。
極真空手をやっているからなのかスタイルもよく、
何よりも脚がとても美しかった。
細すぎず、太すぎず、鍛え抜かれた脚って感じで、
すげーそそられました。
そしてあのハスキーな声。
ちょっと浜崎あゆみに似ていると思ったけど、
いつもテレビやウォークマンで聞いていたあの声が、
生でしかも目の前で聞けてもう心スプラッシュって感じ☆

てかホント変わらないよね。
TRFのメンバーって。
もうデビューして15年ぐらい経つと思うけど、
ホント昔のまんま。
逆にそこが俺は好きだけど☆

おととしのチャゲアスや去年のMISIAと違い、
曲は9割ぐらいわかったので、
ホント心から盛り上がれてTRFと一体感感じた。
TRFって曲がアップテンポなのが多い上に、
これから盛り上がるぞ!!ってときには欠かせない歌が多いので、
TRFだけじゃなく他の観客といっしょに飛び跳ねたりできて、
すげー一体感を感じることができた。

けっこうメンバーと目が合ったような気がするのは俺の勘違いだろうか……。
特にCIHARUと。

一番うれしかったのは生で
『BOY MEETS GIRL』と『survival dAnce』を聴けたこと。
この2曲はホント大好きだったので、
思わずいっしょに歌ってしまいました。

いやー。
今日は過去2回と比べて一番楽しかったです。

YU-KIがキレイすぎて、いまだに心から離れません。
慶應ってかわいい子多い気もするけど、
結局みんな同じ系統の子が多いんだよね。
お嬢様系っていうのかな?
みんな同じようなメイク、同じようなファッションでさ。
でもYU-KIってあれ何系なんだろうね?
他のメンバーと違って、
B系とかダンサー系じゃないし、
歌手って感じもしない。
なんか新しい系統みたいですっごく新鮮で、
ニュートンの万有引力並みに
どんどん彼女に引き込まれていきました。

あー。楽しかったぁ。

グランド・フィナーレ

2006年11月18日 21時21分50秒 | Weblog
5月から始まった三田論もようやく今日、終えることができた。
ことみさんやじょーしんさんから、
チュンゼミのことや三田論のことはいろいろ聞いていたけれど、
初めは全然実感なかった。
でも今終わって「ああ、なるほどね」って思える。

よく後で振り返ると短く感じると言うけれど、
この三田論はとても長く感じた。
もちろん5月から始まって、気づいたらもう11月で、
確かに早かったってのもあるけど、
これまでの出来事を思い起こすと、
本当にいろいろあって、長かったなーって思う。

最初はテーマ全然決まらなくて、
何とか奥山と考えて「子ども」を提案して、
消されそうになったけど、
いろんな人に助けてもらいながら存続させることができた。
俺は当時風邪で何もできなかったけれど、
そのときのみんなのがんばりが
今の俺を俺たらしめていると思う。
メンバー決めでもめて、
コーディの定義でもめて、
俺はそーゆーの苦手だから我関せずみたいなところもあったけど、
当時のゼミは毎日が戦争だったと思う。
ホント胃がキリキリしたし。

少子化をかなと始めて、生殖医療、親権、少年法、経営論と
いろんな畑を歩いた。
でも自分の手から離れるとけっこう議論わからなくなったりするんだよね。
興味なくなったりするとすぐ放り投げるクセがある俺は、
途中で論文の意味を見出せなくなり、
また、まわりの優秀さについていけなくなり、
しばらく放浪していたときもあった。
ゼミのパート員がどれほどの仲なのか、
最初はまったく興味なかったけれど、
夏休み、夜中にうちまで来てくれたことには驚いた。
俺が思っている以上に、みんな俺のことを考えてくれていて、
うれしかった。

「子どもパート」はみんなホントに子どもみたいで、
いっしょにいて楽しかった。
集まっても議論進まないわ、合宿してもすぐ話それるわで、
「慣習パート」のチームワークと比べたら
お粗末な部分もあったかもしれないけれど、
逆に俺はそんなところが好きだった。
みんながそれぞれの生活を持つ中で、
論文を無理矢理強制することはなく、
けっこう自由な雰囲気で書けたと思う。
特に俺なんかホント自由人で、
自分のペースで常に進んでいた。
いっぱい迷惑かけたと思うし、
マジないわって思われていたかもしれないけれど、
そんな俺を受け入れてくれたパート員には心から感謝している。

俺は頭悪いし、何もできないし、
この論文で何を残せたのか、
またこれを通じて何がどう成長したのかわからない部分もある。
もしかしたら何も変わってないのかもしれない。
まだ論文で謎な部分もあるしね(笑)
でも人生で無駄なことなんて何もないように、
この半年間、このメンバーで論文を書けたことは誇りに思うし、
何よりもとてもいい思い出になった。
こんな長期間のプロジェクトに参加したのなんて初めてだし、
俺の人生の財産となるだろう。

本当に、本当にいろいろあったけど、
俺はこのパートだったから半年間やってこれたと思う。
いっしょに論文を書いてきた子どもパートのみんな、
石塚、すばる、美沙子、かな、いろいろごめんなさい。
そして本当にどうもありがとう。
石塚の頭のキレが、すばるの面白さが、
美沙子の雰囲気が、かなのメリハリが、
論文を書く上での励みになりました。
先輩たちや先生にもいろいろ助けて頂いて、
とても感謝しています。