翌朝、私が起きたときには瞳子はもう、ふとんの中にいなかった。
かわりに台所から物音がきこえ、夫人のはずんだ声が聞こえた。
私はパジャマのまま、台所に歩んでいった。
「じゃあ、玉子焼きとお肉のソテーとほうれん草の胡麻和え、しゃけを一切れ」
どうやら、お弁当をこしらえようと、瞳子はおきていったのだ。
私の感激がいかなるものか。そして、夫人の声が弾むわけも解かる。
お弁当をこしらえてもらえるなんていう単純な喜びじゃない。
教授が言っていたことが、はやくも変化を見せている。
「言われたことをする」「言われないとできない」
その瞳子は、自分からお弁当をつくるといいだしたに違いない。
私はやはり、教授の存在が瞳子の心の扉に暗い影をおとしているのだと思った。
心という部屋から外にでることができなかったのは、一歩外が暗い闇だったからだろう。
私という存在が瞳子の世界に光をもちこみ、瞳子は一歩、外に出た。
ずっと、私に作っていたお弁当だから、習慣になり、作ろうという思いがすんなり沸いてくるのだろう。
なにか、ひとつ、垣根が取れた。私にはそんな瞳子に見えた。
「おや・・早いね」
食卓に座っていた教授が私にきがつくと声を掛けた。
「お弁当をつくるっていいだしてね」
やはり、瞳子は自分から作り始めたのだ。
だが・・・。
「どうも、君のぶんだけのようなんだよ」
台所のお弁当箱は私がつかっていたものにまちがいなく、教授の言う通り、お弁当箱は一個しかなかった。
「元々、私の分は初子がつくっていて、君に弁当をつくるようになってから、
おまけで私の分も作ってくれてたみたいだからね。
自分から作るといいだしてくれただけでも、ありがたいことだよ。多くをのぞんじゃいけないな」
回復の兆しを喜びながら、やはり、瞳子の意識に父親として存在しない自分がますます、とおくに追いやられてしまったと教授はすこし、嘆いた。
だが、それも瞳子が教授を心の中から排除しようとしているに過ぎない。
そういう言い方が惨いなら、心の扉に影を落とす存在は誰だって排除したがるものだろう。
瞳子の場合、特に光が差し込んできたばかり。光と対照され、闇の存在がいっそう暗く深く見えるからこそ、なおのこと、闇を見ないようにする。
「ああ。そうだ。初子からきいたよ。君なら、瞳子をクリニックにつれていけそうだって。
あれから、ずいぶん痩せたし、けど、君が来てからずいぶん、いや、格段、よくなってるし。
僕も、もう一度ちゃんと、みてもらわなきゃと思ってたんだ。
初子に「一緒に帰る」といったぐらいだから、君なら瞳子を連れて行けるんじゃないかってね、そう・・いわれて・・」
私は夫人の采配ぶりに感謝した。そして、これが、アスペルガー症候群の症状かとも思った。
私にあれほど、催眠療法はだめだといいながら、夫人の言葉には素直に従う。
無論、催眠療法さえ行わなければ、自分の汚点がさらけだされず、いまの瞳子のまま、回復していく。
なにもかもわすれたまま、教授が父親であることを認識できないまま、新しい記憶が積み重ねられ瞳子はよくなる。
教授はそうとでも考えたのだろう。
元に戻るわけではないが、むしろ、なにもかも思い出しての認知療法は教授にとって、都合が悪い。
だが、夫人にまで、治療はやめたほうがよいなどといって、回復の兆しがみえてるのに、
なぜとたずねられたら、教授はあらぬ方向に追求が及ぶと懸念する。
夫人に変にかんぐられないためにも、夫人の言い分にしたがっているようにも見える。
夫人が教授のアスペルガー症候群に気がつかないのも、ひとつには、夫人のものの言い方がよいのだろう。
そのままを鵜呑みにできるようなものの言い方ができる。
そのうえに、教授は夫人に対し、一種、依存に近い信頼を寄せている。
夫人が自分に不利なことはしない。根拠のない信頼が根を張り、夫人の言葉どおりを受け止める。
夫人をいかなるときでも、自分に都合よく味方してくれる存在と受け止める。
それは、また育ちきってない子供の心であり、夫人を母親のように捉えているとも取れる。これが、アンダーチルドレンなのか・・。
おかしな感情移入だが、「結婚したら、男は(夫)は大きな子供のようなもの」といういいまわしを聞くことがある。
その考え方を当てはめたら、けして、おかしくはない。
むしろ、女房を頼りにする男の断面図にしか見えない。
アンダーチルドレンの母親への依存とアスペルガー症候群の言われたままを受け止める構図が夫人の教授への接し方をつくりあげていたのだろう。
なんの違和感ももたせず、夫婦の会話が成り立っていく。
それは、夫人にとっては、聞き分けのよい亭主でしかないのだろうが、
まさか、自分がアスペルガーやアンダーチルドレンの症状に順応していったとは知る由もなし。
音叉現象・・・。それが、こういうことなのだ。
いつのまにか、本当は異常であるのに、異常が異常でなくなってしまう。当然で自然なスタイルとして、家族が出来上がっている。
瞳子への虐待もあるいは、こんな風な音叉現象がつくりだしたものだったのかもしれない。
瞳子がつくってくれたお弁当をたずさえて、私は教授とともに、車に乗り込んだ。
運転は私がする。教授は夫人がこさえた弁当をひざの上において、シートベルトをはめる。
教授の家からバス亭までは、まっすぐ一本道になる。
瞳子は毎日、そのバスにのって、大学前までお弁当を届け、また、バスに乗って帰っていった。
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