女医の見解はまだあった。
「柚木先生の治療によって、篠崎さんは、自分がしでかしていることが、たいへんなことだときがつくまで、回復していったのだと思います。
柚木先生の口からは、篠崎さんが虐待をおこなった事実は聞かされてはいません。
篠崎さんも話すに話せなかったのだと思いますが、これが、逆にPTSDを発症させていると考えられるのです。
何らかの事件の被害者や目撃者ばかりが、PTSDになるとは、限らないのです。
精神錯乱によって、自分で加害者になったということは、、また精神錯乱の、被害者でもあるのです。
自分の行動にきがついた時、柚木先生に話していれば、
あるいは、瞳子さんのトラウマを奥底に隠させず、篠崎さんとともに、治療できたのかもしれません。ですが・・・」
女医は悔し気に口元を固く、結んだ。
結んだ口が開かれると、悔しみがこぼれてきた。
「PTSDの後遺症を、極端に大きく分けると、時計の振り子のように極端に左右にわかれた現象がおきます。
片一方はフラッシュバック。
望まないのに、忘れてしまいたいのに、事件がよみがえってくるというもの。
もう片一方は逆に事件のことや事件にかかわることを隔離する現象です。
事件のことが、記憶からすっぱりきえさってしまい空白状態になって記憶から逸脱しているのに、
なにか、事件にかかわることがあると、それを遠ざけようとするのです。
篠崎さんが同意書を断るだろうと推測したのは、後者の状況に篠崎さんがいると思ったからで、
それゆえ、いっそう、虐待があったと考えられるのです。
そして、そのことを貴方に告げたらどうなるか・・。
でも、貴方に伝えられた瞳子さんのようすからも、今の環境からも考えても、瞳子さんを救い出せる人は貴方しかいない。
私は貴方の考え方や対応や精神力をうかがいながら、
気がつかせてよいものか、知らないままの方が良いものか、迷いながら、私は貴方をも、狂わせるかもしれない賭けをしたのです。
人道的に私が間違っているのは、間違いが無いのです。
元々をいえば、古株の教授連の心無いいじめや嫌がらせのせいでしょう。
篠崎さんを弱いというのなら、自分に負けて心無い言葉をかけた教授連こそ、もっと、弱い。
なぜ、そうやって、人の心を破壊する行為を、
何故、知恵を授かった人間がおこなわなきゃいけないのか・・・。
それさえ、無ければ、私も人間として間違えた選択をせずにすんだ。
ただ、ただ、私は貴方の強靭な精神力に手を合わせます。
そして、そのおかげで、狂った貴方を目の前にせずに、
私が懺悔できているということにも。貴方は瞳子さんを救うまえに、この私を救ってくださっている。
だからこそ、すべてをお話して、貴方と瞳子さんのサポートに尽力します」
私は時計を確かめた。
教授が午後の講義が終える時間までに資料室に戻りたかった。
時計の針は猶予を許さない角度を見せていた。
「もう少し、詳しい事をおききしたいのですが・・時間が有りません」
女医は私の言葉にうなづくとひとつづりの資料を差し出してきた。
受け取る私の目に「境界例の症状とその周辺」という文字が見えた。
境界例?
それはおそらく、境界異常の様々な例だろうと、思った。
だが、副題に添えられた小見出し「神経症と精神病の境界領域にある症状」で、
そうではないと理解した。
境界例・・・。
教授が鬱病とアンダーチルドレンとアスペルガー症候群・・他?の病状の隣接する境目・・境界線上で複雑な症状を呈したと考え付いた私は、教授の行動を理解し許す手引書に感じた。
だが、実際は、この後の、催眠療法で引き出される「基の傷」を知る事でおこる、私の崩壊を防ぐための、一種、認知行動療法だった。
通常、PTSDなどからの回復をはかるとき、薬物療法や催眠療法や認知行動療法が行われる。
神戸地震で、PTSDになった子供に地震のときの作文や絵をかかせるという対処がニュースになっていたが、これも、認知行動療法だと思う。
解離性症状やフラッシュバックは、地震そのものに対して「慣れ」ができないためにも起きる。
いつまでたっても、恐ろしいからぬけきれない「地震」そのものに対する抵抗力をつけていく。
そのためにあえて、自分の中の地震そのものを認知し、外に押し出していくと共に「慣れ」、「抵抗力」を育てる、あるいは、取り戻す。
こういう仕組みなのだと思うが、通常、事後に施される「認知行動療法」を、私は、事前に施された。
あらかじめ、私の中に軽度のショックを与え、それに対する「抗体」が作らそうと女医が配慮したともしらず、私は資料をうけとると、大学構内に戻った。
大学構内、教授の研究室もかねる資料室に戻ると私はなにくわぬ顔で自分の机に座り、
調べかけの資料の続きに目をおとした。
そのすぐ直後、教授が午後の講義から戻ってきた。
ドアがバタンと音をたて、教授が私のそばに近寄ってきた。
「帰るかね?」
「そうですね。ちょうどきりがよいところですし・・」
さも、今の今まで資料に没頭していた態をつくろい、私は教授の顔をそっとうかがってみた。
何も気がついていない教授をみつめると、私はやはり、女医の元で推察した性的虐待をおこなった教授だとは、どうしても、思えなかった。
アスペルガーと思われるものだって、今まで私は感じたことがないし、今も判らない。
アンダーチルドレン特有の怒りっぽさというものも、見たことがない。
教授はいつも、穏やかで声を荒げる事さえない。
鬱病という症状においてか、もしくは極限状態に立った時だけ、顕著に現れるものなのかもしれない。
そうなのかもしれない。15、6年前の怒りがちな教授を知っているのは瞳子と夫人と柚木先生だけなのかもしれない。
そして、あるいは、キレル教授を恐れて、瞳子は虐待の事実を口に出さなくなったのかもしれない。
同時に、怒りまくり父親であることも、記憶の中に封じ込めてしまったのかもしれない。
教授はPTSDの後遺症で、虐待にかかわる記憶を封じ込め、虐待の事実を思い起こされるものを除外しようとする。
『あ・・・』
私の見解を肯定するかのように、あの時の教授の表情が蘇ってきた。
それは、「お父様は恐ろしい人よ」と、瞳子が私に告げたときの教授の顔だった。
私はそれを、おじ様と呼ばれ、恐ろしいといわれた事に対する教授の衝撃だと思っていた。
だが、それも、虐待の事実にふれることに、他ならず、教授はパニックを起こしたに過ぎない。
そして、恐らく、まともに話しをきこうともせず、自分の中にとじこもり、事実と対峙することを避けた。
・・・。
哀れという言葉は不遜かもしれない。
だが、教授という一個の人格がかくももろい綱渡りの上に成り立っている。
「帰りましょう」
私は女医から貰った資料を鞄に詰め込むと椅子をたった。
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