小さな息苦しさをふきとばすと、あとは風の香りにおされて、
家路をたどる。
登ってくる時は押して上がった自転車も帰りは気楽。
風が薫る坂道を降りていくそのときの爽快さが、
僕に勇気をあたえてくれる。
忘れていろ。
思い起こすな。
と、ささやく風に母の後ろ姿がかすんでいく。
僕の瞳からしたたる水の中にそのままとけこんでしまえばいいのに・・。
ささやく風のいうとおり、僕は忘れることに努めるはずだった。
僕は夢をみた。
かあさんがベッドに座っていた。
ベッドには鉄のパイプがあったから、病院のベッドだ。
とうさんが、かあさんの傍に座った気がする。
とうさんがかあさんの手をにぎりしめた。
かあさんの手ををにぎりしめたとうさんの手にかあさんの涙がおちていた。
とうさんが立ち上がるとベッドがふわりと宙にまいあがった。
かあさんだけを乗せたまま、ベッドは空にまいあがり、
僕の大好きな丘に舞い上がっていった。
僕は丘のうえで、かあさんを待っていた。
やってきたかあさんとベッドは丘の上の僕の傍らにきれいまいおりた。
「かあさん?」
僕が呼んだ声にかあさんがなにかいってた。
「元気でいるよね」
僕はかあさんの顔を覗き込んだ。
声が小さくて、僕はかあさんの傍ににじりよった。
「だめよ。これ以上は・・」
かあさんは僕に制止をかけると、手をのばした。
僕もとうさんみたいにかあさんの手をにぎりしめた。
かあさんは、やっぱり、僕の手をにぎりしめて、涙をおとした。
「ごめんね。一緒にくらせなくて」
かあさんのいうことは、僕・・・の
僕は・・・しゃくりあげそうになる声を必死でとめることしかできなかった。
それから、ベッドの端にすわって、二人で空をみあげた。
流れる雲。
風が空のむこうで泳いでいる。
「かあさんは・・空のむこうから・・・きたの?」
確かめたくない事実はしってしまいたい事実でもあった。
泣き顔になりそうな顔をこらえて、僕はかあさんの返事をまった。
「違うよ」
かあさんが嘘をついたのか、本当のことをいったのか、わからない。
でも、どこかで、僕はほっとしていた。
いつか、遠い未来、僕はかあさんに会う事ができるのかもしれない。
むこうの上り口に人影がみえて、それが、僕を呼んでいた。
「おにいちゃん」
「おにいちゃん」
「圭一」
「圭ちゃん」
その声は弟と妹ととうさんと新しいかあさんだ。
「帰らなきゃ」
僕はかあさんに別れをつげた。
小さく手をふって、かあさんがさよならというと、
ベッドがふわりともちあがって、
もの凄いスピードで、麓にまいおりた。
そのすぐあと、トラックのクラックションがヴァオーと甲高く鳴り響き
鉄の物体を巻き込むトラックの激突音がきこえた。
「かあさん?」
そこで、僕の夢がとぎれた。
やっぱり、かあさんはしんでいるのかもしれない。
トラック事故かなんかで、死んでしまって、
きっと、顔もなにもかも滅茶苦茶になってしまったんだ。
だから、夢のなかでも、僕はかあさんの顔がわからなかったんだ。
でも、僕は不思議と悲しくなかった。
それは、きっと、とうさんとかあさんの二人の姿を見たからだと思う。
ふたりがなにをはなしていたか、僕の記憶にはのこっていなかったけど、
かあさんの涙だけははっきり覚えてる。
かあさんは僕をすてたわけじゃない。
とうさんもかあさんをすてたわけじゃない。
あいしあっていたんだ。
とうさんをあいしたように、
かあさんは僕をあいしてる。
ん・・。
僕はまだ夢からさめきってないまま、夢の続きをおっていた。
なんだか、人が僕を覗き込む気配で、僕に突然覚醒がおとずれた。
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