僕が見た憧憬は椅子の下で遊んでいる仔猫だった。
かあさんのうしろ姿しか、もう僕はおぼえていない。
なぜ、かあさんがいなくなってしまったのか、
僕は知らないまま大きくなった。
あの頃、仔猫だった、白いミュウはもう、よぼよぼのおばあさんになって、
縁側でひなたぼっこをしている。
飛んできた雀の子にさえ、興味をしめさず、
よびかけても、うずくまったまま、耳さえうごかさなかった。
椅子のしたで遊んでいたミュウの姿をくっきりとおもいだすことができるのに
椅子にこしかけていたのが、かあさんだったかさえさだかじゃない。
さだかじゃないかあさんが椅子にすわって、なにをしていたか、
どんなかっこうをしていたか、
もじゃもじゃした灰色のかすみがかかって、
やっぱり、僕にはかあさんのうしろ姿しかなかった。
とうさんは、再婚した。
かあさんの姿がみえなくなってしばらくもしないうちだったと僕は思う。
かあさんはしんでしまったのかもしれない。
だけど、仏壇にもアルバムにもかあさんの写真はなかった。
とうさんが新しい母をきずかって、なにもかも、隠しさってしまったのかもしれない。
それとも、かあさんは、
にげだしてしまったのだろうか?
とうさんをみている限り、それは違うと否定できた。
とうさんは優しい人だ。
そのとうさんと再婚したあたらしいかあさんもとうさんにまけずおとらず優しい人だった。
下に弟と妹がうまれたけど、僕の記憶のなかに母がいなければ
僕は自分を新しい母の子供だとしんじこめただろう。
それくらい、新しい母はわけへだてなく、僕を育ててくれていた。
幼稚園で滑り台からおちて、おお泣きしていた僕をむかえにきて、
しっかりだきしめてくれたのも新しい母だった。
僕の記憶の中の母はすくなくとも、僕が幼稚園より、
小さいときのことになるのだとふと想った。
ミュウはもう、おばあさんだ。
猫の寿命は15~20年と聞く。
僕はもう16歳になる。
ふうとため息がもれる。
僕はいったいいくつの時にみた母をおぼえているのだろう。
僕はときおり、近くの丘にのぼる。
街を一望できて、おまけに風が心地よい。
ここで、僕はこの先のことをかんがえてしまう自分を
風にのせてふきとばしてしまう。
僕はいずれ、父と母のもとをはなれようと想っている。
あの家族の中で半分だけ他人の僕。
その僕を大事に育ててくれた母に僕は感謝してる。
だけど・・・。
だけど・・・。
純粋に父母のこどもであるのは、弟と妹なんだ。
そして、僕はどうしても、後ろ姿しかみせない母の面影が胸にいたかった。
母は、どこかで生きてる。
そんな気がした。
だから、いっそう、後姿の母は僕との別れに涙をみせまいとした。
そんな気がしてたまらなかった。
でも、父も新しい母も僕が事実に気がついているとはこれっぽっちも思っていないようだった。
僕は父母の幸せな思い込みをくずしたりしたくなかった。
父よりも、新しい母の涙をみたくなかった。
僕は幸せな実子を演じていく。
その息苦しさをここで、吹き飛ばすしかなかった。
僕さえ黙っていれば、万事丸くおさまる。
高校を卒業したら、大学にいって、卒業して、就職する。
就職さきから、僕は家には帰らない。
そりゃあ、たまには、顔をだしにいくけど・・・。
そして、年齢がきたら、結婚して、うまくいったら、そこで家をかって・・
家族ができて・・・。
僕の家族・・・。
それが僕の目標だった。
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