(日本橋 4)
(日本橋の文字)
第一日目。2004年3月27日(土)晴れ
日本橋界隈は、史跡が豊富にある。
出発点の日本橋。
そこはミニ博物館のようだ。
(東京市道路元標)
「日本橋がはじめて架けられたのは、
徳川家康が幕府を開いた慶長八年(1603年)と伝えられる。
幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋と定め、
日本橋川と交差する点として、
重要な江戸経済の中心となっていたことは、
橋詰めに、高札場、魚河岸があったことでもうかがえます。」
東京都中央区教育委員会の案内にもある。
現在の日本橋の橋は、明治44年(1911)に創設された
ルネッサンス様式のアーチ型石橋。
日本橋名は十五代将軍 徳川慶喜の筆によるもので、
青銅の照明灯装飾品のキリンは東京市の繁栄を、
獅子は守護を表現しているとのこと。
(ルネッサンス様式のアーチ橋)
(キリン)
その日本橋のたもと。
品川方面から来て、橋を渡って左側に、
(橋の北、道路の東側)
「東京市道路元標」と「日本国道路元標」のレプリカがある。
真鍮で造られた本物は橋の中央、道路の真ん中にある。
(日本国道路元標のレプリカ)
(道路の中央にある本物の日本国道路元標)
(道路の中央にある本物の日本国道路元標)
「日本国道路元標」(レプリカ)の脇に日本橋を起点とする、
各地への距離が刻まれた石碑がある。
「日本国道路元標」を中心に西側に
横浜市 29km
甲府市 131km
名古屋市 370km
京都市 503km
大阪市 550km
下関市 1076km
鹿児島市 1469km
「日本国道路元標」を中心に東側に、
千葉市 37km
宇都宮市 107km
水戸市 118km
新潟市 344km
仙台市 350km
青森市 736km
札幌市 1156km
二つの里程標がある。
この二つの里程標を見て、不思議に思うのは、
東方面は、本州を離れて海の向こうの札幌市までの
里程標はあるのに、
西方面については、海の向こうの那覇市までの
里程標が無いことである。
また、九州、北海道までの里程はあるのに、
四国の松山が無いのはどうしてだろうか?
この里程標が沖縄返還前に造られたから、
那覇市までの里程が刻まれていないのだろうか?
あるいは、JRの線路がつながっている街までの、
距離だけを表示したのだろうか?
そんな疑問が湧いた。
HIDE-SANとても良く調べていらっしゃるので 社会の勉強しているみたいにたのしいです。
私は欲張りにも中仙道と 東海道 熊野古道 歩いてみたい道が一杯で 収拾が付かなくなっています。
今日は青春18切符使って東海道の蒲原から由比 さった峠を越えて興津まで行ってきました。 14キロの旅です。
お天気が良かったので 富士山が綺麗に見えて楽しかったです。
中山道を明日は歩くぞ!計画した日は、
子供の遠足のように、夜よく眠れないのは
どうしてでしょうね。
写真で獅子は見つかったけど、キリンは写ってないのですね。
ひとりで歩かれたのですか。
さすが鋭いですね!
橋の中央の欄干の上にあったはずのキリンは
写真に撮ったつもりが、どう探しても見当たらないのです。
今度行った時撮ってこようと思っています。
日本橋からは何度も何度も自分の家まで
歩いています。たった十五キロですから。
写真を載せましたら、ご連絡します。
すごい迫力!見せてもらってよかった~。
獅子はよく見るけど、こういうところになぜキリンが?とわからなかったのですが、普通のではないということが、広辞苑を見て初めてわかりました。
見せてもらってよかった~。
目からうろこです。