(日本橋界隈:十軒店と長崎屋)
海外で日本語ガイドさんの話す日本語のアクセントや言葉遣いで、
この人は大阪、この人は京都で、日本語を学んだなと判る。
言葉遣いによって、教わった場所や教えた先生の人柄なども、
自然と思い浮かんでくる。
東京の下町で学んだガイドさんも、言葉使いで判る。
「いらっしゃいまし」「しらがな(ひらがな)」
「しなびた町(ひなびた町)」などなど・・・を聞いていると、
日本語を教えた方は「和服姿で正座を崩さず、
背筋をピンと伸ばし、しかも粋な教師」
海外で日本語ガイドさんの話す日本語のアクセントや言葉遣いで、
この人は大阪、この人は京都で、日本語を学んだなと判る。
言葉遣いによって、教わった場所や教えた先生の人柄なども、
自然と思い浮かんでくる。
東京の下町で学んだガイドさんも、言葉使いで判る。
「いらっしゃいまし」「しらがな(ひらがな)」
「しなびた町(ひなびた町)」などなど・・・を聞いていると、
日本語を教えた方は「和服姿で正座を崩さず、
背筋をピンと伸ばし、しかも粋な教師」
そんな姿が想いだされる。
印半纏、お祭、神輿、神社、鳥居、狛犬、なども日本的で、
こんな話になると、たかだか一二週間の外国の旅なのに、
日本が急に恋しくなるのは不思議だ。
日本橋にはそうした古き良き日本の姿を町中に沢山残している。
「日本橋」の橋だけで一時間以上費やした。
印半纏、お祭、神輿、神社、鳥居、狛犬、なども日本的で、
こんな話になると、たかだか一二週間の外国の旅なのに、
日本が急に恋しくなるのは不思議だ。
日本橋にはそうした古き良き日本の姿を町中に沢山残している。
「日本橋」の橋だけで一時間以上費やした。
(東京市道路原票)
日本橋界隈には「老舗」が多く目に付く。
お店の名前を書くのもはばかられるが、思い切って書くことにする。
創業元禄3年(1690)の海苔の「山本山」、
かつぶしの「にんべん」は創業元禄12年(1699)、
創業寛政四年(1792)刃物の「木屋」、
飴の「栄太楼本舗」は安政4年(1857)
忘れてならないのが昔は「越後屋」、今「三越」は330年の歴史を持つ。
果物の「千疋屋」など、そのほかにも沢山の老舗が並ぶ。
(刃物の木屋)
(何屋さんか知らないが如何にも由緒ありそう)
(にんべんの看板)
また下町情緒あふれる人情、歯切れのよい言葉が飛び交い、
人々はきびきびと活動し、きっぷが自慢だ。
そんな下町を代表するかのような「日本橋」と書いた
印半纏を着た人たちを見かけると、
何かホットするのは、やはり日本人だからであろうか?
(日本橋の標半纏)
老舗デパートに沿って左折、貨幣博物館の先に橋が見える。
つまり日本橋から日本橋川の一つ上流にある常盤橋である。
橋を渡ると城壁があり、これが昔江戸城の、常盤橋御門の跡である。
説明によれば、奥州道に通じるこの御門は、
江戸城外郭の正門として、敵の侵入を防ぎ、味方の攻撃を
容易にするため、大きな切石を積み上げた「コ」の字型の
枡形門である。
(常盤橋門)
つまり日本橋から日本橋川の一つ上流にある常盤橋である。
橋を渡ると城壁があり、これが昔江戸城の、常盤橋御門の跡である。
説明によれば、奥州道に通じるこの御門は、
江戸城外郭の正門として、敵の侵入を防ぎ、味方の攻撃を
容易にするため、大きな切石を積み上げた「コ」の字型の
枡形門である。
(常盤橋門)
江戸城警備の関係で道がコの字型に作られており、
真っすぐ入ることはできない。
常盤橋門を突破して、江戸城が攻撃されないような
構造になっていたと言う。
今は公園になっているその常盤橋御門に
「青淵 渋沢栄一」の銅像がある。
渋沢栄一については、その出身地の深谷宿で述べることにする。
(渋沢栄一の像)
中山道に戻り進むと、次の信号から、
江戸通りまでの4~50mの間の短い通りに、
(昔は桃の節句や端午の節句の雛人形を売るために、
江戸時代の始めには十軒の仮店があって人形を売ったという。
それでこの通りを「十軒店」といった。
江戸時代には、三月と五月の節句や12月歳暮市には、
内裏雛、禿(かむろ)人形、飾り道具、甲(かぶと)人形、
鯉のぼり、破魔弓、手まり、羽子板など、
季節に応じた人形や玩具を売る店が軒を並べた。)
(中央区教育委員会)
しかし今はその跡形も無く、ただ上記の説明板があるだけ。
(十軒店の図)
しかし今はその跡形も無く、ただ上記の説明板があるだけ。
(十軒店の図)
先の信号、江戸通りの交叉点を渡り、右に折れると、
すぐ左側、JR新日本橋駅の出口に「長崎屋跡」の
史跡プレートが壁に架かっている。
このプレートによれば、
「江戸時代、ここに長崎屋という薬種屋があり、
長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、
将軍拝謁の際の、定宿になった。
鎖国政策のため外国貿易を独占したオランダは、
幕府に謝意を表するため献上品を携えて、将軍に拝謁。
長崎から随行員に通訳、学者らが商館長に同行した。
随行員の中には、医者のツンベルクやシーボルトなどの
一流医学者がいたので、蘭学に興味を持つ桂川甫周や
平賀源内をはじめとする日本人医者、蘭学者が、
この長崎屋を訪問し、外国文化の交流の場として
有名になった。」
案内プレートには、葛飾北斎が描く長崎屋の繁盛振りが、
浮世絵になって載っている。
(長崎屋の浮世絵)
中山道からは道草になるが、そのまま直進し昭和通を横切ると
小伝馬町の信号がある。渡らないで左折すると
左手に小公園が見えるので、ぜひ寄って欲しい。
明治時代まであった伝馬町牢屋敷跡
十思公園がある。
東海道を歩いたり 中仙道を歩いたりする人は沢山あって 其のホームページも見せていただくのですが 殆どが写真のページです。
ここまで詳しく そして考察が書かれているページは見たことがありません。
これそのままとても質の高いガイドブックになるじゃありませんか? こんな本が欲しかった。 古道を歩いていても 地域の情報を手に入れることがとても難しいので なんとなく歩いただけと言う場所も 何も感じられなかった場所もあります。
本当に 一杯見て一杯撮って いっぱい感じて HIDE-SANらしい旅ですね!
それを指導した方の姿まで想像できるHIDE
さんにはびっくりしながらも、うなづけます。
日本橋界隈に残っている老舗、名所など、毎日そこをとおる人々の関心はどれくらいかしら?
このページ、読んで欲しいです。
リンクしたいと思いますが、よろしいでしょうか?
過分のお褒めを頂き、感激です。
今にぼろが出そうです。
いつもお訪ね頂き有難うございます。
リンクの件はOKですが、
どのようにするのか、
ボクもよく解っていないのです。
うまく行きましたら、やり方教えてください。
さっそく済ませました。
次の順序でやってみてください。
相手方のURLをコピーしておく
ログインして、私リストをクリック
新しい私リストを作るをクリック
リストのタイプにリンクを選ぶ
後は、見ていけば大丈夫と思います。
相手方の横バーに
「このブログを私リストに追加」
というのがあれば、ここのクリックだけでリンクできました。
最初の「私リスト」が作ってなくてもできるかどうかがわかりません。
試してみてください。
横バーではなく「サイドバー」です。
右側のたての部分です。
「教えて」とお願いしておきながら、
先に調べてからにすればよかったと、
後で反省しました。
人にものを教えることの難しさを
体験されましたね。
余計なお気遣いさせてすみません。
それより、私の要領の悪さで、かえって迷惑じゃなかったかと申し訳ないです。m(__)m
日本橋のよく見知ったPhotoがたくさん出ていたのでうれしくなりました。
京都まで、ぜひがんばってください。