(染井霊園界隈、文豪、剣豪、とげぬき地蔵)
霊園事務所の前の道をたどると、慈眼寺に出る。
そこには、「羅生門」「鼻」などの作者芥川龍之介、
その子の音楽家 也寸志、演劇家 比呂志のお墓。
(こいさん、頼むわ。・・・)で始まる小説「細雪」を
書いた谷崎潤一郎のお墓もある。
(芥川龍之介一家のお墓、ここに也寸志、比呂志も眠る)
(谷崎潤一郎のお墓)
さらにその隣のお寺 本妙寺には、
下世話に通じた江戸の名町奉行として、
肌に彫った桜吹雪と遠山の金さんの名で、
数々の伝説を残したことで知られる南町奉行所の
遠山金四郎、
北辰一刀流の祖 千葉周作、
碁聖 歴代本因坊
のお墓がある。
また、明暦の大火で亡くなった方の供養塔も見ることが出来る。
(東京都教育委員会)
(遠山の金さんのお墓)
(剣聖 千葉周作のお墓)
ここからすぐ左側には、駒込の青果市場から移転してきた
巣鴨青果市場があり、その先で国道17号に出る。
横断して旧中山道を右方向に向かうと、
「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺にでる。
折角だからお参りして行こう。
(とげぬき地蔵の高岩寺)
さらに進むと、中山道庚申塚がある。
猿田彦大神庚申堂の由来記によれば、
(庚申塚)
「巣鴨の中山道沿いにある庚申塚は、
江戸時代近郷近在に聞こえた名所でした。
江戸と板橋宿の間にあり、行きかう旅人たちで
賑わっていたと伝えられています。
その様子は(江戸名所絵図)でも描かれています。
現在では、特に庚申の日ともなると、近くの
「とげぬき地蔵(高岩寺)」の縁日(毎月4日)と
同様に多くの参拝者があります。庚申塚では
町内会の人たちが、参拝者に対し、季節ごとに
趣向をこらした食事を作ってもてなしています。」
(平成4年3月豊島区教育委員会)
とある。
だから毎月4日には「とげぬき地蔵」のある
おばあちゃんの原宿は込み合うんだ、と納得。
あいにく訪れた日が31日であったので、
食事のもてなしが今も続いているのかどうか確認できなかった。
霊園事務所の前の道をたどると、慈眼寺に出る。
そこには、「羅生門」「鼻」などの作者芥川龍之介、
その子の音楽家 也寸志、演劇家 比呂志のお墓。
(こいさん、頼むわ。・・・)で始まる小説「細雪」を
書いた谷崎潤一郎のお墓もある。
(芥川龍之介一家のお墓、ここに也寸志、比呂志も眠る)
(谷崎潤一郎のお墓)
さらにその隣のお寺 本妙寺には、
下世話に通じた江戸の名町奉行として、
肌に彫った桜吹雪と遠山の金さんの名で、
数々の伝説を残したことで知られる南町奉行所の
遠山金四郎、
北辰一刀流の祖 千葉周作、
碁聖 歴代本因坊
のお墓がある。
また、明暦の大火で亡くなった方の供養塔も見ることが出来る。
(東京都教育委員会)
(遠山の金さんのお墓)
(剣聖 千葉周作のお墓)
ここからすぐ左側には、駒込の青果市場から移転してきた
巣鴨青果市場があり、その先で国道17号に出る。
横断して旧中山道を右方向に向かうと、
「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺にでる。
折角だからお参りして行こう。
(とげぬき地蔵の高岩寺)
さらに進むと、中山道庚申塚がある。
猿田彦大神庚申堂の由来記によれば、
(庚申塚)
「巣鴨の中山道沿いにある庚申塚は、
江戸時代近郷近在に聞こえた名所でした。
江戸と板橋宿の間にあり、行きかう旅人たちで
賑わっていたと伝えられています。
その様子は(江戸名所絵図)でも描かれています。
現在では、特に庚申の日ともなると、近くの
「とげぬき地蔵(高岩寺)」の縁日(毎月4日)と
同様に多くの参拝者があります。庚申塚では
町内会の人たちが、参拝者に対し、季節ごとに
趣向をこらした食事を作ってもてなしています。」
(平成4年3月豊島区教育委員会)
とある。
だから毎月4日には「とげぬき地蔵」のある
おばあちゃんの原宿は込み合うんだ、と納得。
あいにく訪れた日が31日であったので、
食事のもてなしが今も続いているのかどうか確認できなかった。
とげぬき地蔵は、結構あっちこっちにある。巣鴨が結局テレビでも取り上げるので一番有名なのでしょう。
千葉厄除け不動尊の境内にも、とげぬき地蔵さんがある。土曜日曜は、たくさんの人たちがいくつもあるお堂にお参りに来ていて、にぎわっている。
寺院側でいちいち応対する手間が大変らしく、
お墓に背の高い看板を掲げ分かりやすくなっています。
例、二宮尊徳、芥川龍之介、谷崎潤一郎、
遠山の金さん、・・・
一方で、訪問者が少ないお墓には看板がありませんので、
探すのが大変です。
しかも、俗名が入っていないものが多く、
判別が難しいのです。
奥まったところの、古そうで大きな墓を
目当てに探すのですが、
なかなか見つかりません。
例、「箱根八里」の作詞者の鳥居 忱(まこと)