由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

「自尊史観」への違和感

2012年04月07日 | 近現代史
メインテキスト:藤原正彦『日本人の誇り』(文春新書平成23年)

 「自虐史観」という言葉は、確か藤岡信勝が発明したのだったが、けっこう広まった。むろん、戦後日本で支配的だった、そして今でも支配的な、近代日本の、そのうちでも特に大東亜戦争の見方を、批判する立場から命名したものだ。
 「自尊史観」のほうは、これに対抗して、皮肉で、「自虐史観」派の誰かが言ったものだと思う。他に、藤岡たち、主に「新しい歴史教科書を作る会」に集まった面々は、リヴィジョニスト(revisionist)なる厳めしい名前で呼ばれることもある。「歴史修正主義者」という意味で、歴史上のあることに関する一般的な見方はまちがっているから修正しよう、ということなら、何も悪いことではないだろうが、実際の使われ方としては、ヨーロッパでは、ナチスによる大量虐殺はなかった、だの、「アンネの日記」は偽書だ、などと唱える者達を言うらしい。彼らの言うことなど、まるっきりのでたらめであって、真面目な検証にも値しない、という侮蔑感が、この言葉には込められている。
 私自身はというと、物心ついた時から、というか、多少ともそういうことを考えるようになった頃から、反左翼で、反「自虐史観」だった。もちろん当初は、大東亜戦争なんて大戦争で、日本だけが一方的に悪い、なんてことがあるもんか、といった程度の素朴なもので、実は今でもその段階を何ほども超えていない。しかし多少は甲羅を経て、また世間で「日本は正しかったんだ」というような発言も珍しくなくなってくると、それまでとはちょっと違った、ひねこびた感想も湧いてくる。単純にそういう性格なのだ。
 
 今回藤原正彦の本を取り上げたのは、あるところまでは共感が持てたからだ。したがって、論点が土台からして全く違っていて、話にならないということはなく、「ひねこびた感想」に筋道をつけて言うのにかっこうな材料だと思えた。
 日本の近現代史観についてはほぼ賛成できる。第一次大戦末期に青島(チンタオ)のドイツ軍を攻撃し、山東半島を占領して、それまでのドイツの権益プラスアルファをいただくための「対支二十一箇条要求」をつきつけたのは、空巣狙いのようなもので、まことに卑劣だった。また、満州事変は、現代からみたら日本の侵略だったとしか言いようがない、などなど、何が何でも日本の肩を持つ立場からは一線を画している。
 こういうことを言うと怒る人が世の中にはけっこういる。戦前の日本はすべて悪いんだと言われ続けて、さんざん嫌な思いをしてきたのだから、「日本人としての誇り」を回復するためには、逆に、「日本のしたことはすべて正義だ」としなければ収まらないという人が。これは自虐史観が生み出した鬼っ子のようなものであって、この史観の支配力の強さを裏から証明している。
 藤原はそもそも、「侵略」に対する感度が違っている。

 もし現代の定義を適用して日本を侵略国というなら、英米仏独伊露など列強はすべて侵略国です。ヨーロッパ近代史とはアジア・アフリカ侵略史となりますし、アメリカ史とは北米大陸太平洋侵略史となります。清国も侵略国です。ただしこれらの侵略国家が倫理的に邪悪な国ということにはなりません。この二世紀を彩った帝国主義とは、弱肉強食を合法化するシステムだったからです。また、侵略をしなかった国は道徳倫理が高い国ということにもなりません。単に弱小国だっただけです。人間とはその程度の生物なのです。(P.174~175)

 最後の「人間とはその程度の生物」なんて、簡単な断定にはちょっとひっかかるが、あとはすべて同意する。いわゆる大国及び大国だった国で、侵略をしなかったことなど皆無であろう。
 いや、日本のした侵略は特にひどかったんだよ、の例として最近までよく出てくるのは南京大虐殺と従軍慰安婦である。しかし、日本が確実にそういうことをしたと言えるだけの証拠はない。
 従軍慰安婦についてはこのブログでに書いた。南京大虐殺については、本書の「第四章 対中戦争の真実」のほとんどの部分をあてて、丁寧に述べられている。この話は、日本軍が南京を侵攻(昭和十二年)した九年後、東京裁判(正式名称は極東国際軍事裁判)時に突然証言として出てきた。その前の時期だと、日本とずっと戦ってきた蒋介石を初めとして、中国側でこれについて言及した人は一人もいない。その後の証言はほとんどが信憑性に乏しく、捏造された証拠も多い。日本軍による民間人への略奪や強姦が全くなかった、とまでは言えないが、何十万人も殺したというのは、話が大げさになっている可能性が高い。
 歴史学者は、厳密な実証主義を標榜するのが常だが、そこからしたら、「大虐殺」の事実は、「新たな証拠が出ない限り、今のところ立証不可能」で終わりにするのが至当のようである。そこを押して、なんだかんだ言おうとする学者が多いのは、彼らもまたイデオロギーと無縁ではいられないことを示している。
 何しろ、ついこの間(2月20日)も、河村たかし名古屋市長が、「終戦時に南京にいた父親が、現地の人々にとても優しくしてもらったことから考えて、日本軍がそんなにひどいことをしたとは思えない」と発言して、中国側を怒らせたばかりだ。学者でも、何も中国に阿(おもね)るまでの気持ちはなくても、正義漢面はしたい場合はあるだろう。
 近現代史は、現在の人間の、国民としてのアイデンティティやプライドに直結するので、単に「事実はこうだったろう」では終わらず、そう言っている者の人間性まですぐに問われてしまう。少なくとも、そういう気分になりやすい。政治もまた、国民のそのような気分は無視できないし、さらにすすんで利用しようとする場合だってある。かくして、冷静な議論が難しい空気が醸成される。

 『日本人の誇り』もまた、題名が示すように、日本人のプライドの回復、ということに主眼をおいた本である。これが出てくると、私には違和感が湧いてくる。
 これに対して、数学者藤原正彦は、まるで予防線を張るように、次のように言っている(P.44~45)。知識人は知的にみせかけようとして、やたらに自己懐疑のポーズをつけたがる。それは特に文系知識人に多い。理系知識人は、独創が命で、そのためには自分を信じること、即ち自己肯定が不可欠になるので、その度合いは少ない、と。
 私は、知識人ではないが、数学や科学はまるっきりちんぷんかんという意味での文系人間として、「懐疑」が単なるポーズだけの問題のように言われるのは承伏しがたい。うんと大きく言えば、そのような態度こそ非科学的ではないのか。
 カール・ポパー『開かれた社会とその敵』を卒読して、私なりに理解した「反証可能性」とは次のようなことだ。純粋な自然科学の分野であっても、人間は決して完全な真理に到達することはできない。しかし、少しずつでも真理に近づいていくことなら期待できる。そのためにはある命題(というほどのものではなく、単なる主張でも)が、反証可能な場合にはいつでもできるように開いておくことこそ、肝要なのである。
 そうならない場合はいくつかあって、そのうちの二つは、
(a)信念の問題。「日本はよい国だと思う」「日本は悪い国だと思う」などと、根拠なしで主張される場合。ある人が「思っている」ことは他人には反証不可能。そうであるならばまた、「真理」のためには無意味。
(b)圧力が加えられる場合。「日本はよい国だ、などと言うのは、日本のために悲惨な目にあった人の苦しみを増すのだから、悪い奴だ」などという脅迫で、反論しづらくするのも、ここに入る。
 前者は感情が、後者は広い意味の政治がからんでくる場合である。社会科学や人文科学が自然科学のような厳密さを期し難いのは、これらと無縁ではあり得ないからだ。
 それでも、藤原正彦は、「日本はよい国だ、少なくともよい国だった」ということを、論拠を挙げて、他人を説得するためにこの本を書いたのである。論拠の部分については反証もできる。もっと言えば、反証できることが、論拠がちゃんとしたものである何よりの証拠になる。
 そして論拠と反証を比較した上で、日本がよい国か悪い国か、結論は依然として各人に任せるしかないとしても、日本は全体としてどういう国かについての「真理」に近づく、というか、考えを深める役には立つ。ちゃんとした議論は決して無駄ではないのである。
 と、大仰に構えてみせたわりには、大したことはできないのだが、試しに、本書の、特に第一章と第二章に出てくる論拠のうちいくつかの、反証になるんじゃないかな、と思えることを挙げてみよう。
(1)「モラル低下は、とかく大げさに取上げられる政治家や官僚だけに見られるものではありません。子殺し、親殺し、それに秋葉原事件のような『誰でもいいから殺したかった』という無差別殺人など、少し前までの我が国にはありえなかった犯罪が頻りに報道されるようになりました」(P.19)
 いわゆる保守派の言論人がよく口にする「現代日本人のモラルの低下」である。「それを回復するためにこそ、祖国への愛と誇りを取り戻すのだ」と続くのだが、その前提になっている事実認識は正しいのか?
 「少し前」とは、どれくらいの過去のことを言うのか不明ながら、例えば、日本の犯罪史上、一人の人間が犯した殺人数最多を記録した岡山県津山市(正確には、津山市からは二十キロほど離れた山村)の三十人殺し(負傷者を含めると被害者は三十三人)が起きたのは、南京攻略の翌年の昭和十三年。日本はもちろん対中戦争の真っ最中で、小学校では修身が教えられ、国民のうちでも特に男子は、召集令状を受け取ったら「勝ってくるぞと勇ましく」お国のために邁進するのが美徳とされた時代のことである。因みにこの犯人は、数え年で二十二歳の青年だが、結核で、徴兵検査で丙種合格(実質的な不合格)になっている。それもあって、同じ村内の住民にバカにされていると感じて、日本刀と猟銃を主な凶器として、凶行に及んだらしい。犯行後彼はその猟銃で自決したので、はっきりしたことはわからない。
 その他、親殺しも子殺しも、戦前から少しも珍しくなかったことは、名サイト「少年犯罪データベース」を運営している管賀江留郎(かんが えるろう)の著書『戦前の少年犯罪』に書かれている。管賀によると、戦前は少年が加害者か被害者になった事件は現在よりずっと多く、ことさらに人々の興味を惹かなかったので、少ないように思われているだけ、逆に言えば現在は、その種の事件が減ったからこそ、大きく「報道されるようにな」ったのだ、とも考えられるとのこと。
 私はこちらが正しいように思うのだが、どうだろうか?
(2)要旨「日本は大陸から多くの文物を移入したが、それを消化して、独自の文化を創造した。宗教だと、仏教や儒教は、支那では支配層のものにとどまったが、鎌倉時代には武士道となって武家階級に広まった。さらに武士道精神は江戸時代には講談、読本、浄瑠璃、歌舞伎、といった大衆文芸や芸能を通じて庶民にまで伝わった。儒教の四書五経もまた、武士の子弟だけでなく、庶民の通う寺子屋でもしばしば教えられ、国民の共有財産となった」(P.36)
 こういうデカい話だと、いろんなふうに言えてしまうものだ。で、自分が少しは知っている分野から述べる。
 講談や歌舞伎に描かれた武士道とは、武士道のパロディと言うべきものである。以前にも書いたが、忠義や義理のためには、自分も他人も犠牲にしてもよい、いや、それこそ正しい、なんぞというのを、普通に生活している庶民が実際のエートスとして信じ込んだわけはない。フィクションだからこそ、面白いのだ。
 それでも、日本人の倫理観の中核に、広い意味の「武士道」があったろうと言われるなら、その通りかもしれない。しかし、同じことは、中世ヨーロッパの騎士道物語についても言えないか? また、講談や京劇で伝説の英雄豪傑の事績が物語られたのは支那のほうが本場。つまり、文芸や芸能を通じての国民道徳の涵養ということで、日本が他国より優れている証拠は特にない。
 寺子屋にしても。ここに通って、論語の素読などを教わった日本の子どもの割合は、キリスト教の日曜学校などで、神父・牧師の説教を聞いたヨーロッパの子どもより高かったのだろうか?
 日本人は欧米人に比べて宗教心に乏しく、従ってモラリティも低い、という主張は若い頃何度か目や耳にした覚えがある。それは要するに宗教観の違いに過ぎないじゃないか、と思ったし、今も思う。この藤原の話はその上下をひっくり返して見せたようなものだ。簡単にそんなことができることで、元の話のいい加減さんはよくわかったが、さればとてこっちの話のほうが確かだ、とするほどの説得力もない。
(3)「(日本には)貧乏人は存在するが貧困は存在しない」(P.40)
 これは大森貝塚の発掘で有名なエドワード・S・モースの言葉を、渡辺京二『逝きし世の面影』から孫引きしたものである。本書第二章「すばらしき日本文明」には、他にもたくさんの、同種の、西洋人の見聞録が渡辺の本から引用されている。つまり、この点では藤原はほぼ全面的に渡辺に頼っている。それは別にかまわないとしても、それだけで、「日本には貧乏はあっても貧困はなかった」「日本では貧乏人もみんな、礼儀正しく、正直で、幸福だった」なんて結論づけていいものか。
 だったら犯罪なんかゼロだったはずだ、で、反証は充分である。
 もちろん藤原も、強調のためのレトリック以外で「みんな」と言っているわけではない。全体的な傾向として、の話だ。外国人の証言以外の論拠としては、例えば第一章には、「(要旨)江戸の人口は百万人超だったのに、警官に当たる与力・同心は数百人程度、それでよく治安が保たれていた」(P.19)と言われている。今はともかく昔の日本は、犯罪が皆無ではなかったにしろ、際立って安全な社会だった。ゆえに、日本はよい国だった、と。
 それは嘘ではないだろう。しかし一方で、「十両盗めば首が飛ぶ」と落語などでよく言われていることも思い出される。八代将軍吉宗の時代に制定された「御定書百箇条」には実際にこの規定がある。おしなべて、江戸時代の刑罰は、近代刑法よりずっと重くて、死刑も頻繁に行われていた。そのうえ、磔・獄門と呼ばれる死罪は、公開処刑だった。それは人権の概念がなかったからで、池波正太郎「鬼平犯科帳」などから連想されるような凶悪犯罪が実際に多かったから厳罰が必要、と感じられたからではないだろう(「火付盗賊改め」という特別警察が必要と感じられる程度にはあったが)。それでも、江戸時代の治安が非常によかったのは、国民のモラルの高さより、残酷な刑罰から与えられる恐怖のほうが効果的だったのではないか? 考慮に入れる必要はあるだろう。
 近代については、ジャック・ロンドン『どん底の人びと-ロンドン1902』やジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』が挙げられて、イギリス下層階級の、日本とは違う悲惨な境遇はこれらでわかる、とされている。それなら、単に釣り合いから考えても、松原岩五郎『最暗黒の東京』(1893年)や横山源之助『日本の下層社会』(1899年)などは論及するべきだった。イギリスとの比較はともかく、これらのルポルタージュに描かれた日本の実情は、「貧しけれど心は豊か」などと言えるものかどうかを。
 あるいは、この種の貧困は、日本にも輸入された資本主義がもたらしたものであり、そこからイギリスなどとも同種の社会問題が生じた、とも考えられるかも知れない。すると、藤原の言う「貧乏はあっても貧困はない」すばらしい国は、江戸時代までの日本だったのか。それならそうと言ってもらいたいものだ。

 戦争の話にもどる。
 この分野では藤原は、日本に対してけっこう厳しい見方をしていることは前述した。ともかく、中国側を不必要なまでに怒らせて、大陸での戦いを泥沼化させたのは、愚かだったとされている。
 何が不必要なのかと言うと、最大のものは近衛文麿の「国民(党)政府対手とせず」であろう。蒋介石は共産党勢力にはずっと悩まされてきて、現に最後には大陸を追われることになったのだから、うまく持ちかければ、対共産党軍共同戦線が組める。そうすれば、満州の承認の得るぐらいは可能だったかもしれない。それなのにこの段階で和平交渉を打ち切ったのは、思慮も辛抱もなさすぎる、と。
 このへんはいわゆる保守派の間でも意見が分かれている。現在の私の意見は、蒋介石と組んで共産党と戦うぐらいまでならできても、「今から見ると明らかな侵略」で手中にした満州は、アメリカを始めとした列強が認めないのだから、ここを手放さない限り最終的な和平など不可能。一方日本からすれば、「二十億の資材と二十万の生霊で贖った地」満州をただあきらめるなんてことは、国民感情からしても不可能。というわけで、どのみち大東亜戦争は避けられなかった、というものだ。
 第一、当時も列強のうちでも最強国の、アメリカが和平を望んでいなかった。この点では、藤原も、保守派言論人の見方も、概ね一致している。アメリカは、第一次世界大戦後、日本を警戒するようになり、オレンジ計画と呼ばれる対日戦争計画も早々に策定されていた。いわゆる援蒋ルートを通じて、国民党に軍事物資を供給し、日中戦争を長引かせた。日本軍が南方に進出すると、ABCD包囲網で石油の輸入を完全に止めた。最後に、対日制裁解除の条件として、普通の主権国家だったらとうてい呑めないとわかっていること(中国・南仏からの完全撤退を含む)をハル・ノートでつきつけ、日本が対米戦争に踏み切らざるを得ないようにした。
 対米戦争は、実質的にはアメリカが仕掛けた、というわけである。大筋で、それに間違いはないだろう。ただ、「人間とはその程度の生物」という前述の藤原の言葉をここで思い出そう。アメリカは、日本に脅威を感じたから、叩きにかかったのである。もう一つ、当時の大統領フランクリン・ルーズベルトは、第二次世界大戦に参戦する口実がほしくて、ドイツと同盟を組んでいた日本が攻撃をしかけてくれることを望んでいた、という話も今は有名だ。真珠湾攻撃は、日本というカモが奇襲というネギまでしょってやってきてくれたようなものだ。といって日本が道徳的に正しいなんてことにはならない。謀略戦もまた戦争であり、それに負けたのは間抜けだった、というだけの話になる。
 謀略と言えば、コミンテルンのそれも最近ではよく話題になり、本書でも少し言及されている。日中戦争が長引き、また日米戦争が始まったことで、どこよりも助かったのは、ソ連と中国共産党である。日本とドイツが手を組んでソ連を挟み撃ちにしたらやっかいだし、前述のように、国民党と日本が協力して中共に当たっていたら、たぶん中共は掃討されていたろう。「得をする者が怪しい」という推理ものの常道からすると、この事態には国際共産主義者たちの思惑が働いているのではないか、と自然に疑いたくなる。
 例えば、昭和十二年の盧溝橋事件は、日中戦争の直接のきっかけとなったできごとだが、このとき日本軍に最初に発砲したのは中共の工作員だったという説がある。次に、「国民(党)政府対手とせず」の政策には近衛側近の西園寺公一や尾崎秀実の献策が大きかったと言われているが、尾崎は周知の如くソ連のスパイだった。また、ハル・ノートを起草したハリー・ホワイトもまた、ソ連のスパイだった。
 この頃コミンテルンが何を指令し、それによって各国のスパイたちがどう動いたか、今後新史料の発掘によってかなり明らかにされると期待される。その前には、推測というより空想の世界のことになってしまいそうだが、最近反共主義者たちによって言われていることをうんと単純化すると、ルーズベルトや蒋介石はコミンテルンに操られ、そのルーズベルトや蒋介石に日本は操られていた、という図ができそうである。
 どうも、なあ。事実だったらしょうがないんだけど…。そういうことだったなら、侵略国の汚名は軽減されるかもしれないけれど、これほど愚かな国に「誇り」なんてもてるもんですか?

 根本的に私は、「正しい戦争」をしたから「正しい国だ」、「まちがった戦争」をしたから「まちがった国だ」という考え方に、どうにも馴染めないものを感じている。
 例えば「近代という隘路 その7」で取り上げた本郷源三郎。彼は正しかったのか、まちがっていたのか? 勇敢だったのか、愚かだったのか? このような問い自体が、非常にくだらないとは思えないか? 彼は日本の最も困難な時代の要請、と感じられたものに全力で答えようとして、絶対に彼自身のものである運命を生きたのである。それは、より悲惨な、田山花袋が描く一兵卒についても言える。
 そして日本全体もまた。アジアでほとんど唯一、遅れた近代化を遂げ、西欧列強と伍する軍事力も身につけて、国際社会へと乗り出していった。愚かなことも、卑劣なこともしたろうが、そういうことを全部ひっくるめて、過酷で偉大な悲劇を演じて見せたのである。今後の日本が進むべき道の参考にするために、やったこととやらなかったことを批判検討するのはけっこうだが、こと道徳問題となったら、この巨大な過去に対する畏敬と共感を欠いた歴史観は、最も重要な何かを逸している、と私には感じられる。

 最後はやっぱり感情の問題で終わってしまったが、これだけ長々と書いたのだから、きっと反証のしようはある、というか、ツッコミどころはたくさんあるだろう。興味と時間のおありの方は、どうぞやってみてください。

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藤原さんの本 (小川豊)
2012-04-09 00:51:15
長いとはいえ、手馴れた文体で最後までさっと読むことができました。
勉強会にもでず、失礼していましたが、藤原さんの本を巡っての現代の言論界の動きに対する、由紀さんの見方に同意します。

私が思うに、ここ30年に渉る保守論陣の流れを見ますと、「批評の言語」と、「実践の言語」という二つの異なる言語の機能が混ざってしまうことが問題を難しくしているように思います。「批評の言語」とは、懐疑の言語と言ってもいいでしょう。「実践の言語」は、「科学の言語」と「政治の言語」に分けられるかもしれませんが、現実に起きていることを解明し将来に向けて行動するための言語です。

批評の言語、懐疑の言語には、「反証可能性」は必要ありません。たとえば、相手の論理の矛盾を指摘すことがその代表的活動です。
しかし、「実践の言語」には、事実の確定、妥協、説得などの活動が必要です。

憲法9条を巡る言論でも、当初は、「批評の言語」で行われていました。しかし、ではどうする、ということになり、しだいに「実践の言語」に変わってきたように思います。

人間の言語にはその両方が必要ですが、問題は双方を混同することです「批評の言語」を使っているつもりでも、「ではどうするの」と言われているうちに、十分な知識や研究法を見につけていないのに「実践」の言語を使うようになってしまっている評論家が多いように思います。

実際は、双方の言語は微妙に絡まるし、同じことを言っても、何時、誰に言うかによって言語の意味が「批評の言語」になったり「実践の言語」になったりしますから、気をつけて読まなければなりません。

江戸時代が暗黒だったという風潮に一石を投げ入れる意味では、藤岡さんたちの活動はとても意味があったと思いますが、江戸時代のよさばかり言っていると、本人の意図とは別に、言論界では「昔はよかった論」(自尊史観?)であると思われてしまうでしょう。それに本が売れ出すと、そのうち、本人もそんな気になったりして…(それは分かりませんが)。

私自身は、このように、反証可能性の埒外にある「批評の言語」と、反証可能性を持たなければならない「実践の言語」の混同が問題の
中心にあると思います。

じつは、その二つの言語を使う、それぞれの理由は何か、という問題が、さらに深い問題としてして控えていますが、今回は長くなってしまうので、やめておきましょう。

最後に、藤原さんの「理系の」、「文系の」という区分を使う論じ方は、どうかな、という印象を持っています。真理の追究に文系も理系もないように思います。その点、エンジニア、科学者の、武田邦彦さんが、「数学ができないから文系だなどいうばかな態度はやめてください」という意見の方が私には好ましく感じられます。


返信する
小川様へ (由紀草一)
2012-04-09 18:00:04
 懇切なコメント、ありがとうございます。

 「批評の言語」と「実践の言語」の区別ということは、私にはよく理解できていないのかも知れませんが、前者はあることへの反証そのもの、後者は反証可能性を持つ、あるいは持たなければならない命題ないし主張ということになりましょうか。
 今回の文章は「批評の言語」そのものですね。いや、お前の言っていることは「自尊史観」への有効な反論にはなっていないよ、と反論されることは可能でしょうが。
 思うに、「批判だけで、『何をなすべきか』明らかにしないような言論は無意味だ」というのは、もっともらしいだけに危険な罠です。これだって、立派な「批判」なのに、それを隠している、というだけでも。それに第一、言論の有効性を信じないという言論は、ふしだらではないですか。モラルとか誇りというのは、半分以上言葉の問題だと私は思っていますし。
 私の言説に反証もしくは反論してもらえるのは、もとより全く自由です、というより、私にとって何よりありがたいことです。願わくは、「お前の言ってることは口先だけだろ」と一蹴されることだけはご勘弁願いたいものです。

 理系文系の区別については、おっしゃる通りでしょう。ただし私は、「数学ができないから文系だなどという」愚か者ではあるのですが。
 それでも、次のような意味では、私なども科学的であり得るのだし、ありたいものだとは思っています。
 我々は完全な真実には決して到達できない(この命題自体も完全に正しいかどうか保証の限りではないので、いつかどこかで、普遍的な、完全な真実が見つかったら、反証される可能性はある)。それは、別に絶望的なことでもなんでもありません。「これが絶対の真実だ」ということがわかってしまったら、我々に必要なのはそれを覚えることであって、創造的に頭を働かせるなんて無駄でしかなくなってしまうでしょう。わからないからこそ、どんな分野でも、進歩の可能性は常に残されているのです。
 それから、まだ反証されていないから、言わば暫定王者として「真理」の地位にある法則・命題はあって、普通の人間はまずそれで不都合はありません。
 南京事件について今一度申しますと、日本軍によって不当に虐殺・略奪・強姦された人は何人か、完全に明らかになる日はたぶんないでしょう。すべては仮説であり、その中で一番正解に近そうなのを今のところの真実と呼ぶ。それでは不都合だというのは、政治の世 界の話ですね。
 その世界のために「実践の言語」が登場するのでしょうか? そうだとしたら、私はなるべく無縁でいたいのですが、そうもいかないかも。「真実の追究」のために「暫定的な真実」を政治から守ろうとすれば、なんであれ、それもまた政治になるでしょうからね。
 私は、そのための「十分な知識や研究法を身につけていない」どころか、マイナスでして。今後せめてゼロになるようにはしたいです。
返信する
Unknown (W.H.)
2012-04-14 03:10:51

由紀さん、こんにちは。
私は先日、とある学校のスピーチで、母校と母国と母親は同じグループのうちにあるようだと語りました。
そのグループの共通項は偏差値で客観評価をしえないことだと言いました。
それは近頃の私の実感です。

たとえば、他人は私の母を客観的に語ることができます。
彼女はこういう人だったと。それは私にとっての母親像の見えない部分に光をさすことでしょう。
とはいいながら、私の母親は「彼女」とは決してなりえません。
三人称で語る対象ではないからです。
こうした見方は、観念論的な視線が可能にするものです。
それは対等な、かといって分離するわけでもない二つの母親像を提示します。
(いや、本当は対等でさえない)
それなのに、なお、お前の母親はこういうダメな人間でもあったんだよと親切にも教えてくれる人に対し、私は言いたいじゃないですか。
あなたは見えていないと。
私の母は素晴らしい人だったと。

と書いて、平山秀幸の『愛を乞う人』という映画を思い出しました。
由紀さんはご覧になったでしょうか。
魅力ある映画でした。
そのフィルムのなかに出てくる母親は原田美枝子、ダメな人間だったと記憶します。
が、それはあくまで客観的な評価でしかありませんでした。

母国もいっしょであると考えます。
日本という国はかけがえのない国です。
司馬遼太郎は日本の歴史は一流である、と書いています。
歴史が一流って何のこと?、とも思いますが、敢えてしたその価値づけが面白いと思いました。
だから、由紀さんが「感情的な問題で終わってしまった」と書いたとき、
それはそれでいいのだと私は思ったのです。

すずのやのうしにならはん そらみつ やまとのことはなどかかなしき



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さて、由紀さんの文章を私流に要約したいと思います。

「自虐史観」に対して「自尊史観」、もしくは revisionisit(歴史修正主義者)が登場した。これは自虐史観が生み出した鬼っ子のようなものだ。両者の争点として南京大虐殺と従軍慰安婦とがある。しかしこれらの問題は「新たな証拠が出ない限り、今のところ立証不可能」だ。ところで、「懐疑」は文系人間の単なるポーズではない。ポパーの言うごとく、「反証可能性」がある限り、問題は開かれているべきだ。ただ、社会の問題は、自然科学と異なり、根拠なしの感情、政治的な圧力が反証を難しくする。そうしたなか、藤原正彦が、反証可能な議論を組み立てていることは評価できる。反証を試みよう。①現代日本人のモラルの低下は事実でない。例えば津山市の事件を見よ。②仏教・儒教のエートスが支配層のみならず国民の共有財産となったことは、ことさら自慢できることではない。ヨーロッパ、中国でも同様であろう。③日本には外国に劣らず貧乏も貧困も存在した。犯罪が少なかったとしても、それは刑罰の非近代性に依るものだ。『最暗黒の東京』『日本の下層社会』を見よ。④中国戦線の泥沼化したことが愚かだったというが、満州を手放さない限り、和平を望まないアメリカとの戦争は避けられなかっただろう。また、共産主義者たちの謀略があったとして、まんまとはめられた国に「誇り」はもてない。
 「正しい戦争」をした「正しい国」、「まちがった戦争」をした「まちがった国だ」という考え方には馴染めない。問題は、絶対に「彼自身」のものである運命を生きたかどうかである。日本は、愚かなことも、卑劣なこともしたろうが、少なくとも、過酷で偉大な悲劇を演じて見せた。このことに対する敬意と共感を欠いた歴史観は、最も重要な何かを逸している。


由紀さんの違和感に違和感は少ないのですが、敢えてコメントを試みます。

① ブログの例を読んだ限りで言います。津山市の殺人者はバカにされ、その結果バカにした者を殺害し、自裁したということです。とすれば、「ある意味で」至極まともだと感じたのですが、ダメでしょうか。それに対し、秋葉原の「誰でもいいから殺したかった」という殺人者たちは自決をするでしょうか。反対に彼らが今、弁護士を立てて減刑を望んだり、監獄での待遇改善を図っていたとしても全く驚きません。「モラルの低下」という言葉で人が言いたいことは、右のような差異ではないでしょうか。野蛮というなら、昔の方が野蛮に決まっている。しかし、野であっても直であった。その差異は統計で表わされる数量ではなく、質に関係しているもののような気がします。それは欲望が折れ曲がり、価値観が錯綜するなかで変化してきた何ものかです。確かに、それは時代の差であって、人の差ではないと言えばその通りです。教育刑といい、復讐の観点をなくそうとする現代においては、犯人たちも訳が分からなくなることでしょう。

②一般の中国人を「日本人の立場から」みたとき、程度の差ではあっても、儒教・仏教的なエートスの弱さを感ずることは否めないと思います。私にしても、中国を旅し、繰り返しごまかされ、だまされるという経験を重ねることによって実感するようになったことです。そして、そうして出来上がった偏見を見事に打ち破られたのはエリート層の人々によってでした。これは現代の話です。いわんや歴史的中国においてをや、と思うのです。

③私を含め、外国人の印象はあてにならないと思います。しかし、部分的にせよ、真実もついているでしょう。幕末の当時、日本に来た外国人はジャンボの直行便で到着したわけではありません。歴史的にもアジア、アフリカ諸国を東漸してきているわけです。彼らの感想はワールドワイドな比較から発せられているように思われます。また先年、ペリーの日記を読んで思ったのですが、彼らは意図的な観察者でもあったと考えます。

④軍が満州領内にとどまっていたとして、アメリカとの衝突は必至だったのでしょうか。ここは一般に、ターニングポイントとの第一として挙げられるところです。ここで明確に、対ソ連から対米英中ソへと局面が変わりました。近衛文麿の責任が一番重いようですが、私も「エリートとはバカのことか」という感想をもった転換点でした。バカというのは十分避け得たということを前提にした言葉です。俯瞰すれば、由紀さんの言われる通り必然的でもあったでしょうが、また「愚かだった」という藤原氏の言うことも十分理解できます。

以上です。
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W.H.様へ (由紀草一)
2012-04-14 11:27:49
 詳細なコメント、どうもありがとうございました。
 くだくだしい拙文の要約までしていただけまして。まるで、読書会のレポートのようですね。それだけでも、自分がとても有意義なことをしたような気分になれます。

 基本的なところでは、W.H.さんと私は一致しているのだと思います。
 わざわざカール・ポパーまで持ち出して、「科学的」ぶってみせたのに、最後にはそれをぶちこわしてしまいました。こういうのが私の特徴、というより、はっきりと、弱点だと言われます。実際は私は、歴史において「科学」が究極的に大事だとは思っていません。感情が主である。こういう点では、まだ、若い頃イカれていた小林秀雄の圧倒的な影響下にあることは認めざるをえません。
 ただ、感情にしても、「戦前の日本はひどい国だったんだぞ」「いや、とてもいい国だったんだよ」というような言い合いは、とても子どもっぽく感じられて、恥ずかしい。どちらかと言うと、後者のほうに親近感を持ってはいるんですが、それにストレートに依りかかることは、私の自尊心が、いや、虚栄心が許さない。
 日本がどれほどひどいことをやったにしろ、それは私の国として、私の一部だ。こういうのが大人の態度として、相応しい、なんてことを言う分、私も子どもっぽいのでしょうが。

 「愛を乞う人」は、近々ビデオを借りてきて見ようと思います。

 せっかくいただいたコメントには、できるだけお応えしたいです。
(1)「粗にして野なれど卑に非ず」ですか。気づかなかったなあ。確かに、自裁によって、自分のしたことに決着をつけてみせる、そのような「潔さ」の美学は、現代では薄れているかも。昔は多少は、あったでしょうね。
 藤原正彦氏のように、美しいことは即ち正しいのだ、とすれば、それで昔のほうが正しいことになりますね。私はそこはちょっと態度を留保します。
 一応反証というかな、そうではない例を挙げることはできます。『戦前の少年犯罪』には、正確に少年である者の殺人者中、おそらく日本最多の被害者を出した浜松の事件が記されています(P.29)。最初の犯行は十四歳の時、二人の女性に重傷を負わせていて、その後十七歳のときに実兄を含む九人を殺して捕まった、というものです。後に父親は、「世間にすまない」と自殺していますが(宮崎勤の父親も自殺しましたな)、本人は、捕まって、死刑になっています。彼は聾唖者で、家族に冷たくされていたとのことです。しかし、何一つ不自由がない境遇なのに、犯罪に走った例も、同書には書かれています。
 一方、最近の犯罪者だと、池田小事件の宅間守に、私は一番興味が惹かれます。自決こそしませんでしたが、早期死刑を望み、それをしなかったという理由で国家賠償請求訴訟を起こす。それこそブラック・ユーモアを地で行く、不気味な奴です。潔い、とは誰も言わんでしょう。現代的ニヒリズムが貼りついているようですね。しかし、三島由紀夫の見事な自決にも、同じようなものを感じてしまうのは、私が現代人だからでしょうか?
 このへんをうまく掘り下げることができれば、現代の時代相を摘出できるかも知れませんね。
(2)中国人は、一般庶民はモラルが低いが、エリート層は高い、ということですか? これは全くわからんです。というか、申し訳ないけど、「国民性」の話には、あんまり興味がありませんで。
(3)そうでしょうね。私もその点で、渡辺京二氏の功績を認めるのに吝かではありません。
 ただ、渡辺氏自身はともかく、ここに出てくる「外国人の目」に写った見事な日本人の姿から、自信が持てるんだとする現代日本人には、ちょっとだけ、精神の弱さを感じます。川村たかしの発言を批判するのに、「中国が怒っているから」と言うのをひっくり返したような。
 外国人は外国人で、自分の事情と観点でいろいろ言うんだから、それを参考にするのはもちろんかまわないとして、一番の基本のところでは、一日本人として、自分の腹からものを言えよ、と思います。
(4)ここは、もっとよく調べ、考えてから言うべきことを、一知半解のままにうかうかと書いてしまったところで、恥じ入るしかありません。
 朝鮮、それから満州こそ、近代日本がずっと抱えなければならなかった問題の地、というよりは問題そのものですね。満州事変以前、日露戦争直後に、ハリマン提案というのがありましたでしょう? 満州鉄道をアメリカと日本の共同経営にしようという。伊藤博文や桂太郎など、当時の要人の多くは乗り気だったのに、外相小村寿太郎の猛反対で潰れた、という。これも、ターニングポイントの一つですね。
 などなど、「歴史にifは禁物」(「だが…」と、たいてい続きます)なんて言わずに、いろいろと思考実験を重ねることは、面白いし、実際役にも立つのだと思います。

 コメントに応える、というよりは、愚痴まで含んだ個人的な思いを述べたようなものになってしまいましたが、お許しください。
 今後もよろしくお願いします。
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