ザザ・ブアヅェ監督「バンデラス ウクライナの英雄」(2018年)
メインテキスト:「【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った?」(NHK NEWS WEB 令和4年3月4日)
サブテキスト:黒川祐次『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(中公新書平成14年)
前回述べた二つの「約束」のうちの後の方は、ウクライナのNATO加盟問題です。
1989年、ベルリンの壁が崩壊した翌年、ロシアは、ドイツがまるごと西側陣営に加わることは認め、軍を引き上げる代わりに、NATOのこれ以上の東方拡大、つまり中東部ヨーロッパの国々を新たに加えるようなことはしない、と英米と約束したのだそうです。
「アメリカは“うその帝国”/NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ」と、プーチンが演説中で言っているのがそれです。
1990年2月9日、当時のゴルバチョフソ連共産党書記長とベーカー米国務長官との会談で、米国側がこう言ったのだ、とされます(藤田直央)。いや、そんなものはなかったんだ、と言う人もいます(袴田茂樹)。これはいわゆる「言った・言わない」の話ですが、つまり、拘束力のある条約などの正式な外交文書はないことは確実なのです。
改めてNATO・北大西洋条約機構とは何か。最も端的に言って、ソ連に対抗するために1949年に結成された軍事同盟です。加盟国のうちどこか一カ国でも攻撃されたら、それを全加盟国への攻撃とみなして集団的自衛権が発動されると謳った強力なものですので、ソ連側、いわゆる東側はさらにこれに対抗するために、1955年にワルシャワ条約機構が結成されました。
後者は1991年のソ連崩壊によって解散したので、NATOもなくなってもいいはずだ、と言う人もいますが、元来を考えたら、条約機構加盟国全体ではなく、ソ連一国に備えたものだったのですから、ソ連がロシアになっても、その脅威が感じられるなら、存在理由は失われないわけです。
それだけではなく、99年にはポーランド、ハンガリー、チェコが(第一次拡大)、2004年にはバルト三国を初めとする七カ国が参加した(第二次拡大)のは、ロシア側(東側)からすれば西側による勢力の切り崩しであり、ロシアに圧迫を加える所為だと見えることはわかります。しかしこれら、旧来東側に属した国々が、アメリカなどの働きかけはあったにもせよ、強制的にNATOに加入させられたことを示す証拠はないようです。
そうであるならば、主権国家はどんな条約を結ぼうと、本来自由なのです。問題は軍事だけ、というより、経済的にも、西側に属したほうがメリットが大きいという計算も働いているのは当然でしょう。もちろんそれは、ロシアの孤立感を深める要因にもなるわけですが。
NATOの加盟規約には「締約国は,全会一致の合意により,本条約の諸原則を促進し北大西洋地域の安全保障に貢献することができる他のいかなる欧州の国を本条約に加入するよう招請することができる」(第十条)とあって、全会一致、即ち全参加国の合意が加盟の条件ですから、例えばアメリカ一国でも「ウクライナは将来にわたって加盟させない」と約束すれば、できることではあります。
ただそうなれば、東ヨーロッパの国々は、希望しても参加できないとあらかじめ決められることになって、この条文全体から感じられる、「問題がなければ参加自由」の精神とは背馳しているのも否めないでしょう。
ウクライナでは、2002年から、政権が反ソ寄りであるときにはNATO加盟に意欲を示していました。しかし、国民の意思はこれをあまり歓迎せず、いくつかの調査だと、加盟賛成は20%前後であるのに対して、反対は60%を越えることもありました。
この間の一つの節目は2006年で、当時のユーシチェンコ政権からは加盟に向けて本格的な協議に入りました。しかし2008年のブカレト NATO 首脳会議では、これは結局見送られることになりました。主に独仏が、加盟にはウクライナ国民の支持が低いこと、ウクライナの民主化が未成熟であること、NATO とロシアの関係が悪化する可能性が高いことを理由に反対したからです(合六強)。
もしもこの時ウクライナのNATO加盟が実現していたら、今回の軍事侵攻はなかったでしょうか。それとも、もっと早い段階で、ロシア対NATOの全面戦争、ということはつまり、第三次世界大戦となっていたでしょうか。あるいは、私などにはわからないもっと巧妙で悪辣な手段で、ロシアはウクライナを含めたNATO(≒西側)に報復したでしょうか。
いずれにしろ、ロシアのような軍事大国・資源大国を無用に刺激して怒らせて、ゴタゴタの種になるようなことは、なるべく蒔きたくない、と思う人が西側に多いことは確かです。アメリカでも、ヘンリー・キッシンジャー(岡崎久彦監訳『外交・下』日本経済新聞出版平成8年)やジョージ・ケナン(『毎日新聞』3月19日)のような戦後米外交の大立者が、ウクライナやベラルーシをソ連から引き離すことになる試みや、NATOを旧ワルシャワ条約機構参加国にまで広げることには警鐘を鳴らしていました。
一方で、ロシアを敵視し、むしろ追い詰めることをよしとして、ウクライナの政局に関わった人たちもいます。前回述べた、ネオコンがその代表でしょう。彼らは自由と民主主義原理主義者で、それを力で押しつける(端的に矛盾してますね)ことも厭わず、ロシアを全体主義国家として、少なくともプーチン体制の打倒を目指しているようです。
彼らの働きかけがどれほどの効果があったものか、わかりませんが、ウクライナでは、マイダン革命を経た2015年には、NATO加盟賛成約40%反対約30%という、初めて逆転した結果が出ました。そこで、マイダン革命によって成立したポロシェンコ政権は、2019年2月に憲法を修正し、EUとNATO加盟を目指すことを書き込みます。
この年の4月、次の大統領となったゼレンスキーは、NATOとの軍事協力を進めました。今ウクライナ軍が強大なロシア軍を相手に善戦しているのは、このときの訓練の賜だと言われます。
これらに対してロシアは2021年からウクライナ国境近くに兵力を結集して圧力をかける一方、米国及びNATOとの間で、NATOの東方不拡大と、NATOとしての武力配置は、ベルリンの壁崩壊以前の加盟国に限定する条約を締結しようと提案しました。これに対して本年1月26日、米国は拒否したことを発表しました。それでもウクライナについては、まだ話し合いの余地があると米国側は伝えたそうですが、ロシアにしてみれば、前回述べた国連安保理への訴えが却下されたことともども、交渉決裂だと感じたのでしょう。(山添博史)
だからといってロシアが直接的な武力侵攻に踏み切るとは、西側ではほとんど誰も思っていなかった。何より、ゼレンスキーは3月15日に、ウクライナはNATOに加盟できない、と公に発表したのです。実はもう昨年の段階で、米国務省高官に、今後10年はNATO加盟は無理だと伝えられていたそうなので(AP通信2011年12月10日)、プーチンとしては、それほど急ぐ必要はないはずなのです。それなのに……? 西側にはプーチンの心事は量り難かったし、今もそのようです。
もう一段遡って、どうしてロシアにとって、NATOの拡大、なかんずくウクライナの加盟はそれほど嫌なのか。
よく、「緩衝地帯」という言葉が聞かれますね。国境を接する国が敵方陣営に属するのはそれだけでも脅威なのだ、と。ロシアは1812年にナポレオンに、1941年のソ連時代にはヒトラーに攻め込まれ、多大な被害を出した。特に後者は、ロシア側だけでも二千万人以上の犠牲者を出した史上最大規模の激戦であった。
これが今もロシアのトラウマとして残っている。私も今回改めて思い知らされたのですが、戦闘機やミサイルが発達した今日でも、地上部隊が国内に侵攻してきて、占領しない限り、戦争の勝ち負けは決まらないのは昔のままなんですね。のだとしたら、国境付近の敵の存在はやっぱり気に掛けないわけにはいかない。
そのための緩衝地帯なわけですが、そう言われた方ではありがたいかどうか。A・B・C三国が並んでいて、A国がC国を侵略しようとした場合、どうしてもB国を通らなければならない、そして、B国はC国と友好関係があるか、少なくとも中立である場合には、A国はまずB国と戦争を、少なくとも交渉をしなければならないわけです。その間に、C国はゆっくり戦争準備ができるので、20世紀の独ソ戦のような、不意打ちは食わなくてもすむ。ありがたい話ですね、C国にしてみれば。B国はどうですか? なんだか、囮の餌に使われているような気がするのではないでしょうか。
【これを書いている時期で一番の話題は、永年中立国を続けてきたフィンランドとスウェーデンがNATO加盟の希望を表明したこと。これでまた欧州の緊張は高まる、という人がいるが、特にフィンランドは、第二次世界大戦中に二度に渡ってソ連に攻撃され、善戦して独立は保ったものの、領土の一部は奪われている。今のロシアも、2008年に、南オセチア紛争でジョージアに軍事侵攻している(どちらが先に軍事力を行使したかについては、例によって主張の対立がある)。その攻撃的な性格を目の当たりにしたら、とても中立なんておっとり構えてはいられない、ロシアに与える緊張云々も、こっちの立場を考えていない無責任な言い分に過ぎない、というのもよくわかる。】
それに、この考えにはどうも危険なところがある、と思えます。趣味で日本近代の戦争史をボツボツ勉強して、ここで発表しているので、つい重ねてしまいがちになるのでしょうが。
明治23年(1890)に山縣有朋が「主権線」と「利益線」ということを言ったことは以前に紹介しました。この利益線がつまり緩衝地帯のことです。
この時代の日本にとって、それは朝鮮半島でした。そして、最大の脅威と感じられていたのは帝政ロシア。シベリア鉄道の開通によって、東側に簡単に兵を送れるようになったロシアが、半島を支配するようになれば、「主権線(日本国内)の対馬は頭上に刃を振り上げられたような状態に陥る」から、日清戦争の結果清との間に結んだ天津条約に従って朝鮮を独立を待つか、「それとも一歩を進めて朝鮮と連合し保護して、国際法上恒久的な独立国の地位を与えるべきか」こそが今日日本最大の問題である、と。
結果として日本は、朝鮮をまず「保護国」にして、親ロ派の王妃を暗殺、ではなくて白昼堂々宮廷に押しかけて殺すなんて荒っぽいことをして、とうとう併合してしまったのです。それはまあ、中立なんてやっぱり中途半端ですから。今は敵方ではないというだけで、いつ向こうに転ぶかわかりはしない。「保護」したってその可能性は残る。完全に自分のものにしてしまうのが一番なわけです。
ところが、それで終わりかというと、そうではなく、また新たな不安の元ができます。これによって日本は、古代の任那の状態はよくわかりませんが、それを除くと初めて地面の上の国境ができてしまったわけです。当然これにも利益線=緩衝地帯がほしい。それで、満州に傀儡政権を作りました。そうするとそのまた緩衝地帯のために、内モンゴルを、いや、北支を、いやいや支那全体を……ということになって、こうなるとそれは防衛のためなのか、侵略なのか、やっている当人もわからなくなるでしょう。
これをそのまま今のロシアに当て嵌めるわけにはいきませんが、多少は共通する要素があるでしょう。ウクライナが、傀儡政権などの形で、完全にロシアの手中に落ちたとすれば、その隣にはポーランドがあります。
かつての強国で、何度かウクライナを支配したこともあるが、第一次大戦前にはいくつかの帝国に分割統治されて、やっと独立したと思ったら独ソの駆け引きの道具になって、またまた東西に引き裂かれた。第二次大戦後に復活し、1991年にウクライナを独立国として世界で初めて認めたのも、ポーランドだった。それが今やNATO加盟国になっていることは、ロシアにとって脅威ではないでしょうか?
それより、支那事変の時の日本と今のロシアが共通しているのは、相手をナメてかかって、こんな紛争はすぐに片がつく、と思っていたところでしょう。因みに、ソ連を攻めたときのヒトラーもそうでした。
2月26日に、国営の『ロシア通信』が、「反ロシアとしてのウクライナはもはや存在しない」という文言を含む記事「ロシアの前進と新世界」(英訳はこちら)を配信して、すぐに削除したことが知られています。これはロシアの首脳部が、早期の勝利を、始める前に確信していたので、それを祝うために用意されていたものが誤って出てしまったのでしょう。
それというのも、すぐ前に成功体験があったからでしょう。2014年にクリミアの「独立」を短時間で達成したという。日本の満州事変、ドイツのフランスに対する勝利、などにも共通する、赫々たる戦果からきた自信が、高慢に変じる。一番危険な落とし穴は、こんなところにあるのです。
もう一つ、「新世界」をロシアが築くのだ、とは、「東亜新秩序」の建設を唱えた日本と、これまたそっくりですね。日本人として、こういう考えに正当性が全くない、とは言いませんが、むしろそれだからこそ、容易には否定できない、彼ら自身にとってだけではなく、世界全体に波及する危険の芽がここにはあると感じざるを得ません。
緩衝地帯の要素とは別に、いわゆる東側の国々の中でも、ウクライナはロシアにとって特別な国だ、という話もあります。プーチンの「問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ」という言葉にあるように、彼を初め、ウクライナは元来ロシアの土地だ、と思っているロシア人は多いようです。
「兄弟の国」ともよく言われますね。10~12世紀に栄えたキエフ・ルーシ大公国が両者の源流で、キエフ、今はキーウ、は言わずと知れたウクライナの首都で、大公国の元来の根拠地、ルーシはロシアの語源で、東のモスクワ大公国はその後継をもって任じたのですから、歴史的にはウクライナのほうが兄貴分だと言えそうです。
ロシア人とウクライナ人は元は同一民族(スラブ人)だったと簡単に言えるかどうかは、しばらくおきます。13~15世紀のモンゴル帝国による支配、いわゆる「タタールの軛」(ロシアではモンゴル人とタタール人はほぼ同義)の時代の後から、東方の山岳地帯コーカサス地方から西方の平原ウクライナ地方に、主にポーランドやリトアニアから多くの人が移住し、彼らの中からモンゴルの騎馬軍団に倣って武装した、コサックと呼ばれる戦闘集団が出て来ます。【またどうしても、日本の中世の、荒戎とも呼ばれた初期の武士集団が想起される】。
最初彼らはポーランド王国に属していたのですが、16世紀末からその力は非常に強大になります。コーカサス地方はともかく、ウクライナ地方は肥沃な土地で、穀物がよく実り、やがて「ヨーロッパのパン籠」と呼ばれるようになりました。そこへポーランドの貴族の手先(多くはユダヤ人がその任にあたったようです)がやってきて、税を取り立てる。土地の開発にも管理にも一指も動かしたわけでもないのに。
この不満が溜まったところで、ウクライナ史上最高の英雄ボフダン・フメルニッキーが登場します。1648年、彼が個人的ないざこざからポーランドに対する反抗を呼びかけると、たちまち多数の賛同者が集まり、さらに長年の敵だったタタール人とも合同して、軍を組織すると、ポーランド軍を打ち破り、ワルシャワまで迫った。そしてコサックの多くの権利をポーランド王に認めさせた。その後の戦いにも勝ち、ヘトマン国という名前の国家成立寸前まで行きました。
しかし、タタールには裏切られ、当時イギリスの独裁者だったクロムウェルなどを含め、各国の保護を求めたものの、他はどこもはかばかしくはいかず、キエフ・ルーシの正統な後継者をもって任じていたモスクワ大公国改めロシア帝国と緊密な関係を結ぶに至りました。これで、どこかで見たような、「保護」から支配へと進む道をつけたわけで、そこからフメルニッキーの評価は分かれます。
どうして独立国家形成の道を歩まなかったのか? コサックは独立不羈の性格が強く、合議制でものごとを決め、頭目も選挙で選んだりしていたので、強い権力の集中を要する当時の帝国は性に合わないと考えられたのかも知れません。
もう一つ、それとも関連しますが、国家の正統性の根拠が乏しい。神の使命を受けているとか、偉大なる祖先の意志を受け継いでいる、とか、非合理なんですが、こういう神話的な共通了解事項(共同幻想、と言ってもいいです)がないと、当時は、ひょっとすると今も、国家は成り立ち難いと感じられたのもかも知れません。
さらに加えて、ロシア側からすると、上とは別に、ウクライナを是非押さえておきたい事情があります。この国、ではなく向こうから見ると地域は、南側で黒海に面しています。ここはボスポラス海峡を通って地中海につながっている地政学上の要衝で、不凍港の乏しい内陸の国としては、貿易のためにも軍事のためにも是非我が物にしておきたい場所なのです。独立なんぞさせられるものではない。
かくて、ポーランドやオーストリア・ハンガリー帝国に分割統治されたこともありますが、基本的にはロシアに支配されて現代に至るウクライナの苦難の歴史は、黑田祐次著に直接あたっていただければと思います。
その中で一番悲惨なことだけ言うと、ロシア革命後、ウクライナ共和国としてソヴィエト連邦に加えられたときのホロドモールでしょう。
1935~36年、世界が大恐慌で不況に喘いでいたとき、ソ連だけが好況だった。それは、スターリンがこの地方から小麦を供出させ、輸出に回したからで、現地人の食い扶持まで取り上げたので、餓死者が出た。これと、ソ連が採用したコルホーズ、即ち農業集団化を受け入れなかった農民の粛正によって、五~六百万人の死者が出た、と言われます。20世紀にいくつかあった、近代の蛮行の代表例です。
そして1991年に旧ソ連圏から離脱して独立したウクライナは、フメルニッキー以来350年ぶりの悲願を達成したとも言われています。それでも、現在に至るまで、平安は訪れていないわけです。
プーチンが、ウクライナは自分たちの「歴史的領土」だと言うのは、理由のないことではありません。民族も言語も宗教(キリスト教東方正教会派)も非常に近いのはそうです。
が、その歴史には上のような悲惨も含まれているのです。
こういう「兄弟の国」には、親しみより、「近親憎悪」の感情のほうが強くなるのは当然です。今のウクライナ政府がどれほど腐敗にまみれていても、ロシアに支配されるよりはましだ、と思う人が相当数いるでしょう。そうでなかったら、いくら西側の支援があったところで、こんなに長くウクライナの抵抗が続くはずはないのです。
映画「バンデラス」は、国境近くの村を親ロ派が襲い、それを反ロ派のせいにみせかけようとする策謀を、反ロ側が暴くという内容の映画です。ウクライナによる宣伝映画の側面もあることは否定できません。これとは反対に、反ロ派による蛮行を訴えたドキュメンタリー、アンヌ=ロール・ボネル監督の「ドンバス2016」は今でもYoutubeで日本語字幕付きで見ることができます。バランスをとる意味で紹介しておきます。
「バンデラス」とは、「バンデラ派」と映画中では自ら名乗り、「ファシストめ」と、親ロ派の村人に罵られたりする武装集団です。第二次世界大戦中に活躍した独立運動の英雄ステパン・バンデラの名に由来する、そういう部隊が実際にあるのかどうかは知りませんが、ほぼアゾフ連隊と同じこと、とみていいのでしょう。
バンデラその人は、まずナチス・ドイツを、ポーランドからの解放者と考えて、協力しました。現ロシア政権や親ロ派が現ウ政権を「ネオナチ」と呼ぶのは、この事実に拠るところが大きいようです。
しかし独ソ戦直前になって、ドイツに占領されたウクライナの地域の独立宣言を出そうとすると、ドイツはそれを認めず、彼は終戦まで軟禁されていました。戦後は反ソ運動の象徴として活動、1952年に、ミュンヘン郊外で、ソ連のスパイによって射殺されています。この数奇な運命はまさにウクライナそのものを象徴しているようです。
映画には、バンデラ派である主人公の妻が、敵方(親ロ派)に捕まり、「お前は何人だ?」と問われる場面があります。「ウクライナ人」と答えると、「ウクライナなんて存在しない」と言われます。「ベラルーシ人もバルト人もいない。みんな同じ民族だ。ロシア人、つまりスラブ人さ。アメリカとNATOが俺たちを引き裂いている。やつらこそ真の敵だ」
これが端的にロシア側の言い分で、繰り返しますが、当っている面もあるでしょう。しかし今は、ウクライナ人は確実に存在します。ロシアとのこの全面戦争は敵愾心を生みますから、その裏面に強い民族意識が生じるのです。ナショナリズムとはそうしたものです。
今後現在の紛争がどう決着しようと、このことは当分は動かないでしょう。もっともそれはずっと前からあって、今度初めて我々遠く離れた場所の一般人の目にも映じた、ということかも知れません。いずれにしろ、人類は、平和で安定した世界を築くために、またもう一つ取り組まねばならない大きな課題を抱えてしまったわけです。
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