Tangled, 2010, directed by Byron Howard and Nathan Greno
12 塔の上
の部屋にいる少女に会ってくれと言われて、天野さんは戸惑いました。
「なんで私が」
と訊くと、担任の鳥居先生は、
「君は瓜生千紗(ウリュウ・チサ)さんの幼馴染なんでしょ? クラス中で一番親しいんじゃない?」
「今はそうでもないです。話をしたのも、今年になってから、三回、いや、二回ぐらい、かなあ」
「でも、他の子はゼロだよ。なんの話をしたの?」
「別に、なんとなく」
「魔女になりたいんだよ、あたし」なんて言ってたな。そんな話を一応まともな顔をして聞いたのは、天野さんだけだということでした。
「放課後にいっしょに行ってくれよ。瓜生さんが学校へ来なくなってから三か月になる。今までに五回家庭訪問に行ったんだが、会ってくれない、どころか、部屋にも入れないんだ。知ってるだろ、駅前のあのタワーマンション。あの最上階にいるんだが、住人以外は、住人の許可がなけりゃ建物の中、てか、住居の部分ね、へも入れないんだ。五回行って五回とも、玄関払い、いや、エントランス払いだった。
『千紗は体調が悪くてお会いできません』て、お母さんに言われて。お母さんとだけでも会って話したいんだけど、言う暇もなくインターフォンを切られちまう。電話しても、絶対に出ないし。先生、嫌われたかな、それとも、嫌いなのは学校全体ってことか。本人だけじゃなくて、お母さんもそうらしい。もう、困っちまう。藁にもすがりたい思いってのかな」
私は藁か。
そう思いながらも、先生の頼みを断り切れず、天野さんは駅前のタワーマンションへ行きました。回転ドアの入口を抜けると、プッシュフォンみたいなのを嵌め込んだ壁、反対側は全面ガラス張りの、自動ドアらしきものの向こうに、エレベーターが二基あるのが見えました。先生がこの、インターフォンかな、のボタンをいくつか押すと、スピーカーから「もしもし、瓜生ですけど」という女の声。
先生が名乗ると、インターフォンの向こう側の声はうんざりした調子になりました。
「千紗は体調が悪くて……」
先生がすぐに
「今日はお友だちの、天野さんもいっしょなんですが」
「天野さん?」
「天野翔子さんです」
インターフォンの向こうで、誰かと誰かがひそひそ話している感じでした。やがて声が、
「会うそうです。しばらくそこでお待ち下さい」
「部屋にはどうしても入れてくれないんだな」
それは、天野さんに言ったのではなく、独り言でした。天野さんは、透明で大きな自動ドアの向こうをじっと眺めていました。一つには、何かぶつぶつ言いながらウロウロしている先生がウザくて、話しかけられたくなかったからです。
二つのエレベーター扉の真ん中には、細長い表示板があり、1から20まで数字と目盛りが刻まれています。
やがて赤い光点が一番上の20の目盛りからゆっくり下がり始めました。それが一番下に付いてから、五秒後に扉が左右に開いて、女が二人、大きいのと小さいのが降りてきました。二人がこちらに近づくと、透明の自動ドアも音もなく開きました。どうやら、向こうに人が立つと、すぐに開く作りのようです。
「初めまして。千紗の母です」
大きい方の女が挨拶したので、先生が「私は……」と言いかけるのにかぶせるように、
「すみません、千紗は天野さんとだけ話したいそうです。先生は、お帰り願えませんでしょうか?」
「え、いや、それはちょっと……。用が済んだら天野さんを家まで送らなくちゃいけませんので」
「そうですか」
女は小さいほうを見ました。なんだか、おどおどした感じです。お母さんなのに、なぜ? 一方小さいほうは、無表情で立っていました。
「わかりました。しばらく近くをぶらぶらしてますんで。話がすんだら、携帯のほうにご連絡いただけますか」
女が頷くのを見て、先生は、「じゃ」とだけ言って足早に表に行ってしまいました。無責任なやっちゃなあ、と背中を見送る天野さんに、瓜生さんが声をかけました。
「お久しぶりね、翔子さん。ずっとあなたを待ってたのよ」
え? 待たれてたの? なんで?
「向こうにゲスト・ルームがあるのよ。今なら誰もいないから、ゆっくり話せるわ」
瓜生さんはさっさと先に立って歩き出しました。透明なドアが、また音もなく開きました。お母さん(なんだろうな、やっぱり)は、「じゃ、私はこれで」と、足早にエレベーターに向かって、二人には背を向けました。
しかたない。天野さんは瓜生さんについて行きましたので、後姿をよく見ることになりました。以前よりずっと髪が伸びて、腰どころか、お尻まですっぽり包んでいる感じです。貞子かよ。明治時代じゃあるまいし、ないわ、これ。これだけでもなんとかしなきゃ、そりゃ、学校へ来られないわなあ。
エレベーターのある壁と直角の角を曲がると、奥にドアがありました。二人はそこに入りました。
変わった作りの部屋でした。全体に角が丸まっていて、灰色の壁紙で、窓がなく、洞窟? を思わせるような。その代わり、家具はあっさりしたもんです。テーブルにソファ、その他には、奥に古ぼけたテレビと、ジュースの自動販売機があるきりでした。
「何か飲む?」
「じゃ、カルピスソーダ」
「相変わらずカロリー高いのが好きなのね」
大きなお世話じゃないの? と思っていると、瓜生さんはスカートのポケットから百円玉を二枚出して、天野さん用のカリピスソーダと自分用の烏龍茶を自販機で買いました。
「学校はどう?」
烏龍茶を一口飲んでから瓜生さんが訊きました。
「別に。普通よ」
「はん。学校は学校だもんね。面白いわけないか」
「あなたは、毎日、何してるの?」
「何も。窓から外を眺めてるわ。学校も見えるし、あなたのおうちも見えるのよ。神社の前の家よね」
え? 見張ってるってこと? なんか、すごく、変。あり得ないぐらいに。
しばらく両方とも黙っていました。天野さんは、退屈より緊張を感じました。何もなく時が過ぎて行くようではなかったからです。だいたい、用がないんだったら、瓜生さんは天野さんをこんなところへ呼んでジュースを御馳走するどころか、会いもしなかったでしょう。でも、そんなの、ろくな用じゃないに決まってる、ああ、やだな、来るんじゃなかった、帰りたいな、とカルピスソーダを少しづつ口に含みながら思ったとき、瓜生さんが言いました。
「先生も知ってるのよね、私たちのこと」
「え? 私たちのことって?」
「あなたが私の悪口を言ってることよ」
「なんのこと?」
「とぼけないでよ。あなた、私のこと、ヘンな女だって、みんなに言いふらしてたじゃない」
「いえ、私、絶対、そんなこと、言ってないから」
瓜生さんは、イヤな感じで笑いました。
「別にいいのよ。私、そんなことで学校へ行かないわけじゃないし」
「あのね、魔女になりたいとか、素で言う子なんて、普通引くでしょ。それだけのことよ」
「私、あなた以外に、それ、言ってないよ」
「教室の中で、けっこう大きな声で言ったよね。聞こえちゃうわよ」
「あなたいつもあたしを羨んでたよね。あたしがお金持ちで可愛いから。できれば代りたいって思っても、できないから、それで嫌いになったんだよね」
「私、もう帰るわ」
立ち上がった天野さんを、瓜生さんは瞬きもせずに見つめて、
「どこへ帰るっての? そんなとこ、あるわけ?」
天野さんは足早に部屋を出て、走って、透明ドアの前に立ちました、が、
開かない!
体重が軽いからか、と思ってぴょんぴょん跳んでみましたが、ドアは全く知らん顔をして、天野さんの前に立ち塞がっていました。体をぶつけても、ガラスの冷たさが額と手に伝わっただけでした。
「いいのよ。代わってあげても。私も、塔の上にいるのにちょっと飽きちゃったから」
後ろから声が聞こえるのといっしょに、ふいに眠気に襲われました。え? もしかしたらさっきのカルピスソーダに何か……。前のめりになってガラスに寄り掛ったとたんに、前につんのめり、倒れそうになったのを、誰かが受け止めてくれました。
「どうかしたのか?」
どうやら、鳥居先生の声でした。
「この子、突然気分がわるくなっちゃったみたいで。先生、送ってってくれるんですよね」
「うん? ああ、そりゃあ……」
鳥居先生と二人で表に出ると、普通に歩きました。
「大丈夫かい?」
答える代わりに、塔の上を見上げて、言いました。
「あの子、毎日、一番上にある部屋の窓から、外を眺めてるんですって」
「え? そう言ってたのか?」
「あの上からだったら、私たちはどう見えるんでしょうね。蟻みたいなもんかな」
「そうかも知れんが。このままってわけにはいかんじゃないか。一生あそこに籠ってるなんて、できっこないんだから」
「そうですか? まああの子もそう思ってるかも知れませんね。誰かが連れ出してくれるのを待ってるのかも」
「連れ出すって、どうやって?」
「髪がもっと長く伸びて、下まで届いたら、誰かがそれを伝って上まで上ってきてくれるかも。そういう人だったら、きっと、蟻の世界にいる意味を教えてくれるんです」
「そりゃたいへんだなあ」
先生は呑気そうに笑いました。この人は憎めない、自分が何をしたかもわかってないんだから。だから、およそ、なんの役にもたたない。少女は、そんな先生には見えないように脇を向くと、顔を歪めて、嗤うような、泣くような表情をしたのです。
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