荻田浩一構成・演出「Tabloid Revue『rumor~オルレアンの噂~』」令和3年1月赤坂RED/THEATER
メインテキスト:エドガール・モラン/杉山光信訳『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用 第2版』(原著の出版年は1970年、みすず書房1973年)
芥川龍之介「震災雑記」(『中央公論』大正12年10月号初出。『筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻』昭和46年に「大正十二年九月一日の大震に際して」の表題で、大震災関係の他の文章といっしょにまとめられた)
最後に、私が最も恐いと考えているものについて述べる。プロパガンダからは少し離れるが、恐怖アピールとグランファルーンに関連する。
人を行動に駆り立てる最大の感情は恐怖だろう。生命を、生活を、地位や財産を奪われる危険は誰しも怖い。そして危険はどこに潜むかわからないのだから、用心するのは自然だし当然だ。そのために、保険を初めとして、危険に対応する商品も各種売られている。危険への恐怖、軽く言って不安、が強ければ強いほど、そういう商品の需要は高まるわけだから、宣伝家たちは危機感を煽りがちである。特に悪いことではない。度の過ぎた誇張や、ノーマン・メイラーの言う事実もどき(factoid、P.83)という嘘を使うのでなければ。
しかし、事実もどきは、野心的な政治家や宣伝家が作るだけではない。民間から自然発生的に出てきたとしか思えないものもあり、これは普通「噂」、少し硬い言葉で「風評」と呼ばれ、時たま非常にやっかいなものになる。意図が全然ないか、大勢に拡散されているので、麻原彰晃やヒトラーのような個人が、ちょっとしたことでボロを出して、嘘がばれる、少なくとも威力が減る、ということもない。
『プロパガンダ』に載っている事実もどきの例は、発生元はわからないとしても、誰かが政治的か経済的な目的に利用しようとしたものがほとんどで、それは本の主題からして当然である。ここでは、噂の拡大と伝播について、瞥見しておきたい。
1969年、英仏百年戦争時にジャンヌ・ダルクが解放したという逸話以外には日本人には馴染みのないフランスの一地方オルレアンで、ある噂が広まった。ブティックの試着室に入った若い女性のうち何人かが消え、売春組織に売られた、というものだ。警察の公式記録ではこの時期に行方不明になった人は一人もいなかったにもかかわらず、この話は口伝えでどんどん広まっていった。エドガール・モランと彼が率いる研究グループがこれを調査して考察を加え、今日社会学の古典の一つとされている一書『オルレアンのうわさ』にまとめている。
話(E.モランは「神話」と呼んでいる)の由来、というか、神話学で言うアーキタイプ(元型)はあった。売春組織に拉致される娘の話はフランスの各地にあり、オルレアンの噂が立ち始めた頃、雑誌に、ブティックで麻酔で眠らされた上に、地下室に監禁された若妻に関する、根拠不明の記事が出た。ただそれは、オルレアンとは遠く離れたグルノーブルでの出来事ということになっていたが。
【その後1980年代の日本で、これらに基づいたと思われる「だるま女」という神話も生まれた。海外のブティックで誘拐された日本人女性が、四肢を切断されたいたましい姿で見世物にされたという、より猟奇性の強いもので、一度雑誌に取り上げられたこともある。外務省はこの「事実」を完全に否定している。】
新しい要素としては、このブティックがどこか、かなり最初の段階から特定されていたことがある。それは、ユダヤ人の夫婦が経営する新しいお洒落な店だった。
それなら、この店のライバル店や、経営者夫妻に恨みを持つ者の仕業か、とすぐに思いつくが、警察も、モランたちの調査でも、見つけることはできなかった。エロティックな現代神話、現在の日本では都市伝説と呼ばれているものに、ナチス崩壊後もずっとヨーロッパでくすぶり続けていた(そして今もある)反ユダヤ感情が結びついたことが確認されるだけだった。
もし、首謀者は実際にはいたのに、見つからなかったのだとしたら、その人物こそマーク・アントニーやヨゼフ・ゲッペルスを凌ぐプロパガンダの、そしてアジテーションの天才と呼ばれるべきかも知れない。
それというのも、誰が作ったかはともかく、何のために作られたかは明らかなのが広告だが、その意図があまりに露骨な場合は、それ自体が鬱陶しくて反発を招く場合があるからだ。誰にもせよ、他人に操られていると思えば、不快になるだろう。だから現在の広告制作者は、意図を、うまく見つかるように隠すテクニックに磨きをかけているように見える。
しかしそもそも、明確な意図などなく、大衆の感情、あるいは集合無意識とかいうものが、ある方向へと惹きつけられたらどうだろう。反発を向けようにも、その対象はない。しかも、そうなるとまた、浮遊するイメージに、後からさまざまなイメージがくっついて雪だるま式に大きくなりがちであり、稀には、ある社会全体を揺さぶるまでになる。
オルレアンの雪だるまの中には、犯罪の規模に関するものもあった。「怪しい」ブティックは一軒から、同じくユダヤ人の経営する六軒に増え、「被害者」の女性の数は六十人以上にふくれあがった。誘拐の手口も、女性たちは川から船で大都市にある秘密の売春組織に運ばれ、そこからさらに中近東や南米に売られる、というような具体性を増したものになった。
川から運ばれることについて話をした最初の人物は、例外的にわかっている。当のブティックの経営者が冗談として知人にしゃべったものが基だった。その後の経過からすると、軽率とも言えそうだが、彼としては、噂は全く根も葉もないもので、自分も気にしていないことを示したかったのだろう。「てなことがあったら怖いですな。ハハハ」という風に。彼はユダヤ人だが、地域社会に溶け込んでいて、誰かに恨まれる覚えは全くなかったのだから。
翻って考えると、この話を口から耳へ、それからまた口にして広めた地元の人々は、どの程度に「本気」だったのか。むしろ冗談に近い軽いノリで、女学生たちの雑談から、その友人知人、家族、そして地域社会全体を覆うものへと成長していった可能性が高い。最初の頃に聞いた人の中には、そんな他愛もない話、わざわざむきになって否定するのも大人げないしな、と思ったこともあったかも知れない。実際、放置するうちに、自然に消えてしまう噂が大部分なのだ。
けれどこの場合は、あまりにも大勢の知るところとなり、するとそのこと自体が、信憑性のように見えてきて、女学校の教師(その中にはユダヤ人もいた)や娘を持つ家族が、保護する責任のある女の子たちに、件のブティックへ行くことを禁ずるに及んで、事態は冗談ではすまなくなってきた。
早い段階で公的な機関が対処すればなんのこともなかったのではないか。例えば、警察がブティックを調査して、怪しい節は何もないと発表すれば。しかし、大統領選挙が近づいていて、警察としては、わざわざそんなことをする余裕もないし、必要性も感じなかったようだ。
そのうちに、失踪した女性たちの捜査をしない(そりゃ、いない人の捜査はできない)警察も、事件を一切報道しないマスコミも、行政当局も、すべてユダヤ人から買収されているんだ、という話も出てくる。それまで皆が信じたら、どんな調査をしてその結果を発表しても、「それはインチキだ」と言われてしまうだろう。
幸いなことに、騒乱が起きる手前で事態は収束した。名指しされた店の付近をぶらついたりたむろする者が増えて、本当に恐怖を感じた店主たちが訴えた結果、市当局もやっと本腰を入れ、ユダヤ系の人権団体はキャンペーンをくりひろげた。
最も効果的だったのは、いくつかの新聞・雑誌が、この話は元来反ユダヤ主義の陰謀から出てきたものだ、と書き立てたことだったようだ。こちらにも、しっかりした根拠などない。多分、事実もなかったろう。モランたちはこれもまた神話であるとして、「対抗神話」と呼んでいる。けれど、多くの人が、この噂を口にしたら、「反ユダヤ主義者」のレッテル(それは公的には、悪いこととされていた)を貼られるのではないかと恐れた結果、控えるようになった。もともと、「そんなの嘘だ。こっちが本当だ」とむきになって主張するほどの動機や信念のある人などいなかったのだから。
それにしても、根拠のない噂を打ち消したのが同じように根拠のない話だったというのは、皮肉なような、また当然のような、妙な気がする。
いずれにしろ、人々の関心の焦点は自然に大統領選挙へとシフトしていった。その後改めて、事件、ではなく噂について訊かれると、ほとんどの人が「もちろん私はそんなことは信じていませんでしたけどね」などと付け加えた。
そんなものか? そんなものだ。それでも人々の不安と怒りは、自然発火近くまで至っていたのかも知れない。日本で起きた痛ましい事件からして、そういう推測も出てくる。
大正12(1923)年の関東大震災時に、多数の朝鮮人や朝鮮人に間違えられた人が住民に殺された。これは我が国近代最大の黒歴史と言うべきものである。
未曾有の災害によって多数の死傷者を出し、人々の恐怖は極限まで高まった。流言蜚語が飛び交い、混乱に乗じた火事場泥棒的な犯罪も多かった。治安維持のためには、警察では足りないと感じられたので、行政の呼びかけに応じるかまたは自発的に、民間の自警団が組織された。この自警団が、見回りにとどまらず、犯人捜しや制裁まですすんでやろうとした挙句、しばしば、蛮行の主体となったのだった。
芥川龍之介も自警団に参加した一人だが、震災時の見聞及び感想「震災雑記」には、以下の印象的な一章がある。
僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
戒厳令のしかれた後、僕は巻煙草を啣へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤(もっと)も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣(わけ)ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「譃(うそ)だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや譃だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手(ついで)にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「譃さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも譃か」と忽ち自説(?)を撤回した。
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜しまざるを得ない。
尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。
「○○○」の伏せ字部分の一部には「朝鮮人」の文字が入っていたのは明らかである。明治43(1910)年の日韓併合から、かの国の人も日本人となり、東京でもよく見かけるようになっていたのだが、彼らからは、ヨーロッパにおけるユダヤ人と同じ、「異物感」が拭えなかった。それが、大震災という本当の危機の際に、「井戸に毒を投げ入れた」「民家に火をつけた」「この機会に乗じて革命を起そうとしている」という噂が流れると、不安が一気に極限まで高まり、蛮行にまで至ったのだ。
芥川は上の文章を書いたときには、殺戮の事実についてはあまり詳しくは知らなかったのではないかと思われる。知った上で「もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬ」などというアイロニカルな一文を書いたのだとすれば、かなりタフな神経で、この作家の繊細なイメージに合わない。いや、それもまた根拠のない印象論だな、とすぐに反省されたので、さておくとして、彼はここで「同調圧力」についてまことにうがった見方を示している。
構造の部分を考えると、こうだろう。
ある噂が流れる。最初誰が言ったのか、わからない。複数の場所で、大筋では同じ話を聞く。「聴いた話」として、自分でも言ってみると、「それ、俺も聞いた」という者に出会う。そのうちに、それは「みんなが言っている」ことになる。「みんな」の実数は五、六人のこともあるが、それでも、前述した信憑性があり、さらに「公共性」まであるような気になる。伝達ゲームの過程で、比較的想像力豊かな者が、新たな話・イメージを付け加えることもある。こんなふうにして、雪だるまが膨れていく。
そうなっても、公的機関や大手メディアが何も言わないとしたら、それはどこまでも内輪話の性格を保ち続ける。実は、これにも噂にとっては都合が良い条件になり得る。事実はどうか、なんて面倒な検証とは縁がなく、仲間内の雑談として気楽に喋れる感じになるから。
そう、こういうのは仲間同士の話なのだ、というか、元々の仲間ではなくても、話を共有する、それも、「まあ、そうなの」「へええ~、そんなことが」という感じで聞いてくれるなら、即席で、その場限りでも、仲間になる。
そして、仲間同士の「内」ができるなら、同時に「外」もできる。共同性は必ず、排他性を含む。この場合の「外」とは、もちろん、身近にいながら、この話を全く信じないか、「それは本当か?」などと真顔で訊いて、なかなか納得しない者のことである。そういう不穏分子から共同性を守るべく、この仲間の結束は固くなり、一方で、仲間ではない者を排除する傾向も強くなる。これらは、共同性という同じ盾の表と裏なのである。
関東大震災の時は、単なる「仲間はずれ」ではすまなかった。何しろ、危機は眼前にある。これに対処するという大義名分もある。実際は、普段は仕方なく抑制している暴力衝動を発露できる絶好の機会だという暗い情動も、かなりの部分を占めているだろうが、それはもちろん禁句。行動はしないまでも、話を信じる、最低でも信じている顔をするのが、共同性に忠実な「善良なる」者であり、そうしようとしないのは共同体の共同性に背く背信者、即ち「悪しき」者である。このような心理が、広い範囲に受け入れられ、ついに恐るべき蛮行まで引き起こしてしまった。
もちろん、当時の東京でも、全員がこんな状態に陥ったわけではない。菊池寛も、それから芥川も、朝鮮人陰謀説など全く信じていなかった。それが昔も今も「良識」というものだ。しかし普段なら当たり前の良識、否むしろ退屈な常識が、危険とみなされることも、最悪実際に攻撃が加えられることさえある。通常の市民社会の中に、もう一つの社会ができて、内と外の境界が変わってしまったからだ。自分は全く動いていないのに、世の中のほうが「兎に角苦心を要する」場所になってしまうことがあるのだ。
どうすればいいのだろう? 共同体を離れて生きられる人などいない。我々は皆、共同体のエートス(一定社会の倫理・慣習・行動様式)の中にいて、それを自分の中に取り入れて「人」となる。こういう普遍的な事情に対して、自分の立場をいちいち反省して、それに基づいて行動したりするのは、かなりのストレスになる割には、実効はあまり期待できない。たいてい、周りから、「変わり者」と呼ばれて終わり。上述のような危機的状況になったら、なんとか逃げ道を見つける必要はあり、そのために「変わり者」ポジションは有利なようにも思えるが、実はそれも怪しい。かえって、普段から怪しい奴なのだからと、真っ先に攻撃衝動が向けられる恐れもある。
では、根拠のない話は信じない? しない? 難しいですね。私など、根拠のあやふやな話はするなと言われたら、今の半分も喋れなくなってしまうでしょう。それはきっと、我慢できない(笑)。
では? これならなんとかできるし、大事かな、と漠然と思うことは以下です。どこかに悪辣な陰謀家や宣伝課がいて、私たちをダマそうとしている、と用心するのは良い。しかし、悪なる存在は世界のどこかにいて、我々はダマされることはあっても、全く潔白な、「善良なる市民」なんだという思いがあったら、できるだけ軽くしたほうがいい。主観的には確かにそうでも、無自覚のうちに、害のある思いに囚われ、さらにそれを広めているかも知れない。言葉を覚える以前の赤ん坊でない限り、誰もが完全に無罪ではあり得ない。
そう心得ておけば、最悪の事態を回避するには、いくらか役に立つのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
「最強の言葉には顔がない」というテーゼをシェイクスピア、丸善石油のCM、ナチスの広告、オルレアンの噂、関東大震災朝鮮人虐殺の事件など、多種多様な事例をもとに論証していく作りになっており、読み物として面白かったです。恐らくご専門であろう演劇分野からジュリアス・シーザーを例に取り、(シェイクスピアは誰もが知るべき一般教養だ、専門も非専門もあるか!ということならごめんなさい)プルータス対アントニーの演説の説得性を、演説者が全面に出てるか否か、すなわち「顔」の存在感の有無に帰して分析している点は、(こういう言葉を用いるのは僭越かとは思いますが)見事と思いました。また、ヒトラーの人身掌握術として、彼個人のカリスマ性に帰着させることが一般的であると思いますが、あまり知られていない(私は知らなかった)政権奪取後の演説およびプロパガンダ手法の変化に目を向けることは、「最強の言葉には顔がない」テーゼを補強するものと思います。流言蜚語の広がりを「共同性」「内と外」という観点から分析されてたのも目を見開かされるものでした。具体的には①共同体の防衛反応・安全保障意識②個人が共同体からの分離を厭うことが、流言蜚語を広げる要因になっているということでしょう。「みんなが言ってること」とか「正しそうなこと」ということをソクラテスは、ドクサ(思い込み・臆見)とし、乗り越えるべきものとしました。ドクサを排するためには、理性によってイデア(本当に正しいこと)の認識に至ることが奨励されたわけであります。また、ベーコンも思い込みをイドラ(この場合は市場のイドラでしょう)とし、これを克服するために現在で言うところの自然科学的な方法で以て真理に至る道を展望しました。思い込みは、哲学や学問が出発する契機であり、哲学者たちは「本当に正しいもの」を理念であれなんであれ目指すことによって、これを克服せんとしてきたのでしょう。これに対して由紀さんのソリューションの面白いところは、間違った情報かもしれないから「情報の出所をきちんと確かめましょう」「根拠をきちんと確かめましょう」と言った方向には行かず、間違ってるかもしれないことを引き受け、自分たちの正義・善良さに対する健全な懐疑を持つことをすすめているてんでしょう。これがソリューションかと言う人もいるでしょうが・・・。最後に、ソクラテスに話を戻しつつ、由紀さんの流言蜚語共同体原因説を再吟味してみます。「みんなが言っているから何となく正しそうだ、正しいことにしよう」というドクサに対して、「いいや、本当に正しいことを目指そうじゃないか」というのが哲学の始まりであるとするならば、こうした営みが盛んになるのは共同体が危機にある時が多いということは注目に値するべきでしょう。共同体の危機というのは、都市化により人口が流動化したり、海外との交易が盛んであったり、戦争等により政体が不安定であったりということが挙げられますが、ソクラテスの活躍した時代はその全てが当てはまります。「本当に正しいものを目指した」=「共同性の外部を志向した」ソクラテスが、実際には死ぬまでアテナイに留まった・アテナイという共同性の中に身を置いたということは非常に面白いことだなーと、昔から私は思っています。
>共同体の危機というのは、都市化により人口が流動化したり、海外との交易が盛んであったり、戦争等により政体が不安定であったりということが挙げられますが、
そうですね。E.モランも、オルレアンというのは特に顕著な特徴はない地方都市だが、パリの郊外として、1960年代に人口が急増し、古い共同体は揺さぶられつつあったことを指摘しています。私が生まれ育った茨城県の片田舎とほぼ同じ状況だったわけです。こういうところだと、噂などによる新たな共同性(もどき?)が発生しやすい、というのは本当でしょう。
しかしひるがえって考えてみれば、今の東京は江戸の名残は観光用以外にはほぼなくて、SNSで他者と繋がるだけ、という人も多いでしょう。いや、それは全国的・全世界的な状況か。
こういうところではスリリングな噂としての陰謀論が流行しやすいし、事実各種あります。しかし、何しろ情報量がすごいので、どんな話もすぐに相対化を免れないのは、白けるるような、でもかえって安心なような状態です。そんなに強力なドクサは生まれづらいですから。
>「本当に正しいものを目指した」=「共同性の外部を志向した」ソクラテスが、実際には死ぬまでアテナイに留まった・アテナイという共同性の中に身を置いた
これは面白い問題ですね。ソクラテスは、確かに、世上一般に流布されているエートスに「それは本当に本当か」と疑問を突きつけたので、その意味では共同体の共同性の「外」を指向したと言えます。彼が一人だったら、西部邁さんが言った「村はずれの変わり者」=知識人として、無視されるだけですんでいたでしょう。しかしプラトンなど、特に若い世代の信奉者を集めたりすると、危険視される。共同体内部に大枠でその共同体の意向に反する共同体ができ、一定以上の社会的な影響力を発揮したら、ついには元の共同体を破壊しかねない、と。それでソクラテスは抹殺された。
にもかかわらず、彼はギリギリのところで、アテネという都市国家を壊すとか、体ごと外部へ行こうとはしなかった。まあどこへ行こうと、こういう男は孤立せざるを得なかったでしょうが。それに彼は、主観的には愛国者であって、アテネをよりよくするために活動しているつもりだったのでしょう。そのアテネの法が命じるなら、「悪法も法である」(とは直接は言っていませんが)と、従容として毒杯を仰いだのです。
人間は完全に一人にはなれないし、なったとしても何かをやったり言ったりはできないわけで。菊池寛は、高名な作家という以外には社会的な立場がなかった芥川龍之介と違って、文藝春秋社という会社の社長ですから、一般庶民とは少し離れた(上流の?)社会に属していて、そこの常識として、朝鮮人の叛乱なんて話は「嘘だ」ときっぱり言い切れたんでしょう。東京の公的機関は、「流言蜚語に惑わされるな」と言っていましたんで、公に非難されるわけはないですし。
などなど、共同体・共同性の問題は面白いですね。プロパガンダも、いつも、大小にかかわらず共同性を作ろうとしていると言えるわけです。今回の私のテーマはそれだったのですが、別の切り口もあるでしょう。またお話しさせてください。