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築地本願寺

2010年06月03日 21時20分27秒 | 旅行


そう、かちどき橋を渡れば、そこは築地です。
そのまま進むと、そこには築地本願寺があったのです。。



築地本願寺のHPより。。

 関東の人々に「築地本願寺さん」と親しまれているこのお寺は、正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と言います。その発祥は、元和三(一六一七)年、西本願寺の別院として、第十二代宗主(ご門主)准如上人によって建立されました。

 当時、浅草近くの横山町にあったことから「江戸浅草御坊」と呼ばれていましたが、明暦三(一六五七)年、歴史的に有名な振袖火事で焼失してしまいました。しかし大火後の幕府の区画整理のため、旧地への再建が許されず、その替え地として下付されたのが八丁堀の海上でした。

 そこで佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝七(一六七九)年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになりました。尚、このときの本堂は、正面 が西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、市場のあたりが門前町となっていました。

 その後、関東大震災で崩壊した本堂の再建では、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計による古代インド様式で昭和六(一九三一)年に起工、三年後の昭和九(一九三四)年に落成され現在に至っています。

 この建物は、インド様式の石造りとなっていますが、本堂内は伝統的な真宗寺院の造りになっています。


(注:築地とは、土を盛り上げて造成した土地の意味です。
    寺を再建するために海を埋めて土地を作った、 
    だからこの地域を築地と呼ぶのです)



、、、まぁ、それだけ強大な財力と結束力を恐れた幕府だったのでしょうが、
海の上に作れって言った方も言った方なら、
じゃ作ります、って言って作った方もアレですねぇ。。



そうなんですよ。
京都の西本願寺の別院の築地本願寺。

んだから、頑張った二日間、本家の西本願寺をアップしたんです。
この流れ、読まれたでしょうか?



結婚式の記念写真に便乗しました。



●レインボーブリッジを徒歩で渡ったところから始まった今回の旅、
やっと終わりになります。

帰ったとき、地元の駅で。
(手持ちです)




●京都の西本願寺の門の飾りです。






織田信長と本願寺が争った石山戦争で、結局は本願寺側は負けに等しい和議となって、
大坂石山本願寺を退去、顕如上人(けんにょしょうにん)は各地を転々とするわけです。

その後、天下人となった豊臣秀吉の許しがあり、現在の場所に本願寺が建立されました。
焼き払われて失われた山科本願寺以来、久々に京都に戻れたわけです。
しかし、翌年、顕如上人は亡くなり、長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継いだのです。

がしかし、ここから二時間ドラマの『京都家元殺人事件』みたいな展開になり、
そもそも、宗派存続のため泣く泣く大坂石山本願寺を退去した顕如上人と、
徹底抗戦を主張した長男・教如上人は不仲であったのでは、との話があります。

そのため、跡目は三男の准如(じゅんにょ)上人に、との、いわゆる遺書が見つかり、
跡を継いだばかりの長男は裏方(うらかた)と呼ばれる隠遁生活に入ります。

が、戦い抜くと主張した長男は血の気が多かったのでしょう。
派手な主張は人気もあったはずです。
そのまま大人しく隠居するはずもなく、関ヶ原で勝った徳川家康に接近して、
本願寺の目と鼻の先に、もうひとつ本願寺を建ててしましました。


どちらも正式名称を本願寺としたため、困った人々は、
最初に出来たのを西本願寺(浄土真宗本願寺派の本山)、正式名称は「本願寺」。

長男が建てたのを東本願寺(浄土真宗大谷派の本山)、正式名称は「真宗本廟」。
(1987年までは「本願寺」が正式名称。)


と呼び習わす様になりましたとさ。

(大谷、とは、親鸞聖人が弘長2年に90歳で往生されると、
京都東山の鳥辺野(とりべの)の北、大谷に石塔を建て遺骨をおさめた、その地名です)







●今朝の月です。



平安神宮の桜です。



哲学の道でコーヒータイム。



(ふくやぎがこういうのを撮るのは非常に珍しいです)

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26 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
築地本願寺 (アンジー)
2010-06-03 21:29:50
レトロモダンな西洋建築風に見えましたが、古代インド様式なんですね。
細部の彫刻がすごいですね。
光を浴びた桜と、おいしそうなコーヒーに癒されました。
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アンジーさん、 (ふくやぎ)
2010-06-03 21:44:41
様式、なので現代(近代?オリエント?)風なアレンジも入っているでしょうね。

店でふくやぎが撮るのはひじょうに珍しいです。
よほど機嫌が良かったのでしょうか。。
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こんばんは (ねねまぁにゃ)
2010-06-03 21:45:55
西本願寺とは全く異なる
建物ですね。
説明がなかったらお寺さんとは
気付かなかったです。
今日は日本史の授業みたいで
楽しかったです。
江戸商人はお金持だったのですね。
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Unknown (aqua)
2010-06-03 22:31:59
築地本願寺、すっごく大きいんですね~~~~
知りませんでした・・・

コーヒータイム、いいですね~
おいしそうです~
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ねねまぁにゃさん、 (ふくやぎ)
2010-06-03 22:59:37
これ?関係に集まるお金は別物でしょう。
それで埋め立てをするのだから驚異ですね!
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aquaさん、 (ふくやぎ)
2010-06-03 23:00:54
先ず、その高さに驚きましたよ。。
歩き疲れたあとのコーヒー、美味かったです~
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ご無沙汰しました (Azky)
2010-06-03 23:08:14
ご挨拶が遅くなって申し訳ありませんでした!

本願寺、 両方とももの凄い凝り様ですネ! 細部にわたって贅を尽くしてますね! 見応え、 ありますねぇ!  内部も見てみたいです~♪

背後にあった人間ドラマ!
年号暗記の 「歴史」 は苦手ですが こうした建物・史跡に纏わるお話を聞くのはドキドキします ♪

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築地本願寺 (モカ)
2010-06-03 23:09:53
ふくやぎさま~こんばんは~♪

はい、流れがキチッと読めました。
築地本願寺と西本願寺を同時に見せていただきました。
築地本願寺は、雰囲気からインド様式ということを感じます。
それにしましても大きく高く存在感ありますね~。
ディテールに至るまで素晴らしく見入りました。

哲学の道でのコーヒ-タイムにホッとしました♪

↓西本願寺の34枚のUP、拝見しました。
日本の誇るべきものですね~
得も言われぬ美しい色模様です~♪
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Unknown (にっしー)
2010-06-03 23:21:44
東の都から西の都まで一気走りきって、最後に一服って並びの感じがいいですね☆ 最高!!
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Unknown (White)
2010-06-03 23:26:37
パソコン画面が小さいので、最初に出てきた写真は
屋根の半円部分だけ見えたんですが、これがお寺?と
思いました。

築地本願寺は、こういう様式の石造りの寺なんですね。

結婚式の記念写真の、上から下まで写っているのを
見ると、やはりインドっぽい建物に見えてきます。

本願寺の歴史、そういうことがあったんですね。

コーヒーカップは50mmのレンズでしたか?(笑)
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