昨日、お天気が回復したので、午後から兼六園に行ってきました。
夏の間は暑くて、園内をマスクをして歩く気持ちになれなく、ようやく涼しくなったので暑苦しくなくてよかった。
兼六園は、7月にアオバズクをアップしたのですが、その時以来です。3ヶ月ぶり?
昨日は、どの画像もぼんやりした感じですが、何とか飛翔を撮れました。ISO4000で値が大きすぎ、いつもながらノイズが多くなりました。
次回からISO1000くらいで撮りたいですが、三脚なしでは難しいかな?
Cyber-shot DSC-RX10M4ですが、まだ試行錯誤で撮っています。 最大600mmですが、これでもトリミングしました。(デジタルズームだと最大どれだけだったかな?引き伸ばしたようになりそうなので使っていません)
カワセミはメスのようでした。 (メスは嘴の下部が赤いそうです)
いつかはクリアな飛翔を撮りたいな。
とても可愛いですね^ - ^
瓢池
コラージュを作りました。
石川門
兼六園の園内は通っただけで瓢池に直行しました。滞在時間は1時間半くらい。
中秋の名月で、多分ススキなどと月見団子を飾ってありそうですが、撮るのを忘れていました。
下に中秋の名月を簡単にアップしました。
昨年の9月の兼六園
帰り道で 走行中の助手席から 鼠多門と橋
SONY Cyber-shot DSC-RX10M4
歴史
鼠多門は、金沢城の西側の郭である玉泉院丸に位置し、木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入口として機能していました。
大扉の上に櫓が作られる櫓門形式の城門で、創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期には既に存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。
城内の他の門と同じく、屋根は木型を鉛板で覆う鉛瓦、外壁は白漆喰塗りで腰壁は海鼠壁が用いられますが、海鼠壁の目地が黒漆喰で仕上げられることが、城内の他の門には見られない特徴です。
鼠多門橋は、玉泉院丸と金谷出丸を隔てる水堀に架かる城内最大規模の木橋で、幾度かの架け替えを経て明治期まで存在していました。
明治10年(1877)に鼠多門橋が老朽化のため撤去され、明治17年(1884)には鼠多門も火災により焼失、周囲の水堀も埋め立てられ面影は失われていました。
夜は中秋の名月でした。 Canon PowerShot G3 Xで、自宅から手持ちで簡単に撮りました。
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