冬の記憶
私にとってスキーは心の洗濯であろう?
飛騨高山に住み、子供の頃は冬と言えば雪遊び。
スキー、雪玉合戦、雪山トレッキング。
雪山トレッキング?? 当時、そんなん言葉は無かった。
裏山に入ってプラスチックのミニスキーを履いて遊びまくっていた。
そのルーツは今も変わりは無い様だ。
雪が降るとうずく。冬の朝、早起きするとスキーにワックスを掛けたくなる。
今日も朝5時に起き、キーンと寒い朝、外で深呼吸をして思った事。
『ワックス掛けよう』であった。
春から秋は自転車、雪が降ればスキー。
やっている事は子供のころと同じではないか。
家の玄関には、家族の許可なく物が置かれ、良く文句を言わないものだと
感謝している。
飛騨高山に住んでいると、スキーは特別なものではなかった。
都会から何時間も掛けてくるスキーヤーもいる中、30分圏内にスキー場が4箇所。
泊まりでのスキーはあまりなかった。
特別なものではなく飛騨高山の冬の日常であった。
だから、スキー場の山小屋(ロッジ)(ヒュッテ)は泊まる所ではなく休憩と食事
の場であった。友人との語らいの場であった。
そんな環境で育った。
そして今日、気がついた。我が家(木の家)は意識することなくロッジ風である。
それは意識したわけでなく、偶然であり必然なのであろう。
昔から住むならコンクリート打ち放し、3層階まで吹き抜け。
港の倉庫風の家に住むと決めていた。
そんな思いで建てた家だが、
でも、なんだかピンとこなかった。新築して今年で10年が経ち、ようやく答えを見つけた。
『山小屋』、これだ・・・。
意識していないうちに山小屋を造っていた。
スキー場のロッジである。
語らい、酒を飲み、遊び、くつろぐ。そんなロッジに住んでいた。
どおりで家にいるのが楽しいはずだ。
そんな冬の記憶。
家族はまだ起きてこない静かな家の中。
安心と今日なにして遊ぶ?事を考えている楽しさ。
読書もいいが、今日はスキーがしたい。
さて、今日は何して遊ぼうか?
私にとってスキーは心の洗濯であろう?
飛騨高山に住み、子供の頃は冬と言えば雪遊び。
スキー、雪玉合戦、雪山トレッキング。
雪山トレッキング?? 当時、そんなん言葉は無かった。
裏山に入ってプラスチックのミニスキーを履いて遊びまくっていた。
そのルーツは今も変わりは無い様だ。
雪が降るとうずく。冬の朝、早起きするとスキーにワックスを掛けたくなる。
今日も朝5時に起き、キーンと寒い朝、外で深呼吸をして思った事。
『ワックス掛けよう』であった。
春から秋は自転車、雪が降ればスキー。
やっている事は子供のころと同じではないか。
家の玄関には、家族の許可なく物が置かれ、良く文句を言わないものだと
感謝している。
飛騨高山に住んでいると、スキーは特別なものではなかった。
都会から何時間も掛けてくるスキーヤーもいる中、30分圏内にスキー場が4箇所。
泊まりでのスキーはあまりなかった。
特別なものではなく飛騨高山の冬の日常であった。
だから、スキー場の山小屋(ロッジ)(ヒュッテ)は泊まる所ではなく休憩と食事
の場であった。友人との語らいの場であった。
そんな環境で育った。
そして今日、気がついた。我が家(木の家)は意識することなくロッジ風である。
それは意識したわけでなく、偶然であり必然なのであろう。
昔から住むならコンクリート打ち放し、3層階まで吹き抜け。
港の倉庫風の家に住むと決めていた。
そんな思いで建てた家だが、
でも、なんだかピンとこなかった。新築して今年で10年が経ち、ようやく答えを見つけた。
『山小屋』、これだ・・・。
意識していないうちに山小屋を造っていた。
スキー場のロッジである。
語らい、酒を飲み、遊び、くつろぐ。そんなロッジに住んでいた。
どおりで家にいるのが楽しいはずだ。
そんな冬の記憶。
家族はまだ起きてこない静かな家の中。
安心と今日なにして遊ぶ?事を考えている楽しさ。
読書もいいが、今日はスキーがしたい。
さて、今日は何して遊ぼうか?