本日(2023年2月23日)の私は、21日の安和行動の報告(後編)を書いてから、普天間基地を撮るために、嘉数(宜野湾市)まで行ってきた。快晴。お陰様で、撮影条件はなかなか良かった。北谷・読谷までバッチリ見えた。嘉手納飛行場に降りる機体もかなりくっきり撮れた。
一方で、本日は「天皇誕生日」ということで、米軍機はバチバチ飛んでいた。米軍だから多少自粛するかと思ったが、全くそんなことはなく、私が頭に描いていたコンテどおりに飛んでいた。私のコンテが優れていたのか、あちらの飛行計画が集中していたのかはともかく、「これが普天間基地だ」という構図を描くことができた。
暖かなお休みだから、親子連れが多く、賑やかでした。私がカメラ類を置いていた石の台に上がってきた子が居たので、立ち退いていただきました。また走り回る兄妹(?)がいたので、お静かにとご注意させていただきました。走り回れる広い場所が階下にあるのですから、親御さんは適切に誘導していただきたい。
私は控えめに、やっており、正面の場所を使わず、開けています。普天間基地を見学の方も少なからずおり、私なりに解説した方もおります。地元のあるお母さん(就学前のおこさんと)が「普天間基地は戻ってくるのでしょうか?」と聞いてきたので、「再編統合計画」があり、米軍が要求する全てが満たされない限り返さないとあり、「戻りません」とお話ししました。一方で、戦争で奪ったままの基地であり国際法違反のまま、今に至っているので、これを根拠に返還要求を強めなければならないとお話ししました。
そこに山口県から来たというおじさんが口を挟みだし、ここが基地に成って何年ですか?と聞いてきた。1945年から78年目になると話したのですが、まるでちんぷんかんぷん。若い子なら知らない子も居るでしょうが、私と同年代か年上。1945年に負けたことぐらい知らなければ嘘でしょう。2023年ー1945年=78年ですよね。元号での認識しかなく計算できないのかもしれませんが、二の句が継げませんでした。そこまで知らない人に「沖縄戦が」まで語るには、大変なことです。さてどうしたら、いいのだろうか?
しかし様々な人とさりげない会話から、話し込む術を考えていきたいと思っています。思い込みや勘違いを質すところから始めないと、戦争か平和かの議論を始めることもできません。
今日も目の前をサシバが何回か飛んでいました。間近に見たお母さんは、驚かれていましたが、興味深げな印象でした。私は3回撮るチャンスがありながら、全部失敗。情けない! 20mから50m先を飛ぶサシバと、500mから2000m先を飛ぶオスプレイや飛行機とでは全くピントが合わない。合せている間に居なくなってしまう。お粗末でした。(詳細はのちほど)。