国道309号線で水越峠(トンネル)を抜け
奈良県へ向かいます。
ロードバイクならトンネルの上を超える
旧道を汗をかきかき走るところですが、
なにしろ今日はオートバイ、エンジン付き
のうえトンネルを抜けるので楽ちん。
奈良県に入ると北上し、あとは国道165、
166号線を東へ走ると大宇陀に到着。
ここ大宇陀または大和松山(奈良県宇陀市
大宇陀区)は織田家4代の陣屋町、織田家
の丹波柏原への転封後は幕府直轄領として
栄えた町。
現在も多くの古い建物が軒を並べ、重要
伝統的建造物群保存地区(略して重伝建)に
指定されています。
ちなみに重伝建は全国に93地区あって、
大阪では富田林、奈良ではここと今井町、
五條新町が指定されています。
早速、道の駅にバイクを停めて歩いて町へ。
川に架かる橋を渡ると左手に古い門があり、
ここから内が旧陣屋町。
<西口関門>
織田家の松山陣屋唯一の建築遺構。
門をくぐり右折した後、大手筋を進むと、
松山陣屋の入口にあたる春日門跡の櫓台が
残っています。
ここは町屋と松山陣屋またはそれ以前に
あった大和松山城との境目。
<春日門跡の櫓台>
春日神社の参道脇から裏山に続く道があり、
15~20分ほど登ると織田信雄(信長の次男)
が麓に陣屋を築くまで支配拠点だった
大和松山城の主郭部の跡に辿りつきます。
<大和松山城>
左から登城道、天守台、天守台からの眺め
関ヶ原の戦い(1600年)の後に福島孝治
(正則の弟)がそれまでにあった城を大改修
しましたが、1615年の孝治の改易に伴い
破却されたそうです。
天守台だったと思われる高台に上ると、
爽やかな風が気持ち良く、なかなかの眺望。
町から見上げた時は小さな丘に見えたけど、
どうやら立派な山城だったようです。
山を下りて町並みを見学。
さすがに重伝建に指定されているだけあって
趣のある建物が並びます。
<重伝建の町並み>
建物を撮影していると町屋独特の二階の小窓、
虫籠窓(むしこまど)に興味が湧いてきました。
<いろいろな虫籠窓>
こうして見ると結構色々な形があって、
撮影も楽しい。
続いて「酒蔵通り」という、なんとも嬉しい
名前の通りに向かいます。
以前は造り酒屋が数軒あったそうですが、
現在は2軒だけとのこと。
<久保本家酒造、特別純米酒「初霞」>
久保本家酒造さんで特別純米「初霞」を
1本購入。(720ml \1,300)
元禄15年(1702年)創業の老舗で、生もと造り
という昔ながらの手法で酒を造っているとか。
(帰宅後に飲みましたが、少し黄色がかった
見た目ですが、くせもなく飲みやすい。)
大宇陀の町を堪能し、再びバイクで移動。
国道166号線を南下、途中で伊勢方面との
分岐を五條方面に道をとり、東吉野村へ。
分岐後すぐに天誅組終焉の地という石碑が。
<天誅組終焉の地の石碑>
討幕を目指した吉村寅太郎ら天誅組が1863年
に幕府軍の追討を受けて戦死した地。
明治維新の先駆けとなりましたが、
時代より少~し早すぎたんでしょうね。
さらに五條を目指して、吉野川の支流である
鷲家・高見川沿いを風を感じつつ走ります。
5分ほど走ると、今日の目的物を発見!
<ニホンオオカミ像、周辺の景色>
明治38(1905)年、東吉野村で捕まった
雄のニホンオオカミが最後の捕獲記録。
その標本はイギリスの大英博物館に保存
されているそうです。
ちなみに剥製は国内に3体しかなく、
うち1体は和歌山県立自然博物館にあり。
「最後のニホンオオカミ」このフレーズに
惹かれここまでやって来たようなものです。
ここから見えるあの山にニホンオオカミが
いたと考えるとロマンを感じますね~。
ここからは川沿いの道をニホンオオカミ
のようにワイルドに?五條まで走り、
金剛トンネルを抜けて自宅へ帰りました。
今日の走行距離は166km、エンジン付きでも
結構疲れました。
~今回の甘いもん~
※姉妹ブログ「和菓子の国の人だから」へGo!
010(奈良)大宇陀 きみごろも
奈良県へ向かいます。
ロードバイクならトンネルの上を超える
旧道を汗をかきかき走るところですが、
なにしろ今日はオートバイ、エンジン付き
のうえトンネルを抜けるので楽ちん。
奈良県に入ると北上し、あとは国道165、
166号線を東へ走ると大宇陀に到着。
ここ大宇陀または大和松山(奈良県宇陀市
大宇陀区)は織田家4代の陣屋町、織田家
の丹波柏原への転封後は幕府直轄領として
栄えた町。
現在も多くの古い建物が軒を並べ、重要
伝統的建造物群保存地区(略して重伝建)に
指定されています。
ちなみに重伝建は全国に93地区あって、
大阪では富田林、奈良ではここと今井町、
五條新町が指定されています。
早速、道の駅にバイクを停めて歩いて町へ。
川に架かる橋を渡ると左手に古い門があり、
ここから内が旧陣屋町。
<西口関門>
織田家の松山陣屋唯一の建築遺構。
門をくぐり右折した後、大手筋を進むと、
松山陣屋の入口にあたる春日門跡の櫓台が
残っています。
ここは町屋と松山陣屋またはそれ以前に
あった大和松山城との境目。
<春日門跡の櫓台>
春日神社の参道脇から裏山に続く道があり、
15~20分ほど登ると織田信雄(信長の次男)
が麓に陣屋を築くまで支配拠点だった
大和松山城の主郭部の跡に辿りつきます。
<大和松山城>
左から登城道、天守台、天守台からの眺め
関ヶ原の戦い(1600年)の後に福島孝治
(正則の弟)がそれまでにあった城を大改修
しましたが、1615年の孝治の改易に伴い
破却されたそうです。
天守台だったと思われる高台に上ると、
爽やかな風が気持ち良く、なかなかの眺望。
町から見上げた時は小さな丘に見えたけど、
どうやら立派な山城だったようです。
山を下りて町並みを見学。
さすがに重伝建に指定されているだけあって
趣のある建物が並びます。
<重伝建の町並み>
建物を撮影していると町屋独特の二階の小窓、
虫籠窓(むしこまど)に興味が湧いてきました。
<いろいろな虫籠窓>
こうして見ると結構色々な形があって、
撮影も楽しい。
続いて「酒蔵通り」という、なんとも嬉しい
名前の通りに向かいます。
以前は造り酒屋が数軒あったそうですが、
現在は2軒だけとのこと。
<久保本家酒造、特別純米酒「初霞」>
久保本家酒造さんで特別純米「初霞」を
1本購入。(720ml \1,300)
元禄15年(1702年)創業の老舗で、生もと造り
という昔ながらの手法で酒を造っているとか。
(帰宅後に飲みましたが、少し黄色がかった
見た目ですが、くせもなく飲みやすい。)
大宇陀の町を堪能し、再びバイクで移動。
国道166号線を南下、途中で伊勢方面との
分岐を五條方面に道をとり、東吉野村へ。
分岐後すぐに天誅組終焉の地という石碑が。
<天誅組終焉の地の石碑>
討幕を目指した吉村寅太郎ら天誅組が1863年
に幕府軍の追討を受けて戦死した地。
明治維新の先駆けとなりましたが、
時代より少~し早すぎたんでしょうね。
さらに五條を目指して、吉野川の支流である
鷲家・高見川沿いを風を感じつつ走ります。
5分ほど走ると、今日の目的物を発見!
<ニホンオオカミ像、周辺の景色>
明治38(1905)年、東吉野村で捕まった
雄のニホンオオカミが最後の捕獲記録。
その標本はイギリスの大英博物館に保存
されているそうです。
ちなみに剥製は国内に3体しかなく、
うち1体は和歌山県立自然博物館にあり。
「最後のニホンオオカミ」このフレーズに
惹かれここまでやって来たようなものです。
ここから見えるあの山にニホンオオカミが
いたと考えるとロマンを感じますね~。
ここからは川沿いの道をニホンオオカミ
のようにワイルドに?五條まで走り、
金剛トンネルを抜けて自宅へ帰りました。
今日の走行距離は166km、エンジン付きでも
結構疲れました。
~今回の甘いもん~
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010(奈良)大宇陀 きみごろも