今日は先週行けなかった三重県の名張市を
目指します。
もちろん独りではなく、師匠Clarkさん
と一緒です。
朝7時、堺市西区鳳のコンビニで待ち合わせ、
大和川沿いを延々走り、奈良県桜井市へ。
大神神社(おおみわじんじゃ)付近を過ぎ、
三輪山の南麓の金谷河川敷公園でちょい撮影。
そろそろ紅葉の時期、桜の木も色付きます。
一番右の写真は「佛教傳来之地」の石碑。
こんな内陸部で意外な気がしますが、ここは
難波津から大和川を遡ってきた船の終着点。
583年、飛鳥の都の外港であるこの地に
百済から経典などが陸揚げされたそうです。
おっと、目的地はまだまだ先です。急がねば。
ここからは国道165号線(初瀬街道)で
まずは榛原(はいばら)へ。
榛原まではかなりの登り坂。
標高80Mから出発、目指す榛原は310M、
しかも途中で350M地点を越えます。
やっとのことで榛原に到着、現在10時半
過ぎです。
ここからも引続き国道165号線で、名張を
目指し小刻みなアップダウンを繰り返します。
途中、室生の手前辺りで目についた光景を
ちょっと撮影。
日本昔話の長者どんの屋敷?
再びスタートし、標高360Mまで登った後、
道は下り基調。
下るということは、帰りは当然登り…
う~ん大丈夫かな?ちょっと心配です。
11時半、ようやく名張(標高200M)に
到着し、榛原からは約20km。
ちょっとレトロな駅。
本当は香落渓(かおちだに)へ行きたかった
のですが、時間的にも体力的にも無理。
仕方がなく近くのちょっとした観光スポットヘ。
左:名張藤堂邸
右:寿栄神社(ひさかじんじゃ)の太鼓門。
名張藤堂邸は藤堂高吉(藤堂高虎の養子)を
祖とする名張藤堂家(2万石)の陣屋の一部。
2万石とはいえ、独立の大名ではなく津城の
藤堂藩(32万石)の家来だったそうです。
なお、寿栄神社は高吉を祀った神社であり、
太鼓門は陣屋の表門を移築したもの。
ちなみに、この藤堂高吉は悲運な人だった
ようです。
織田信長の重臣(柴田勝家に次ぐNo2)、
丹羽長秀の三男として生まれ、羽柴秀吉の
希望で弟の秀長の跡取り養子となったものの、
のちに秀吉の心変わりで、秀長の家臣である
藤堂高虎の跡取り養子に。
その後、高虎に息子が生まれたこともあり、
その家臣とされたそうです。
なんか、たらい回しで可哀想ですね。
そろそろ12時、プチ観光も済ませたので、
道の駅「宇陀路室生」まで帰って昼食タイム。
左:道の駅の裏を流れる宇陀川
中:猪肉、よもぎ入りのお好み焼き
右:蓬入り米粉クレープで粒餡を包んだもの
さぁ、お腹もいっぱいになったので元気良く
国道165号線を引き返します。
せっかくなので、帰り道でも色々と撮影。
室生付近の紅葉の山。
榛原の古い街並。
三輪付近、大和川の向こうに聳える大神神社
の巨大鳥居。
午後5時半、ヘロヘロになりつつ無事に帰宅。
走行距離は171kmでした。
帰宅後、鏡に映る顔はいつもより5歳ぐらい
老けていました。
~今回の甘いもの~
※姉妹ブログ「和菓子の国の人だから」へGo!
030(三重)名張 なばり饅頭
目指します。
もちろん独りではなく、師匠Clarkさん
と一緒です。
朝7時、堺市西区鳳のコンビニで待ち合わせ、
大和川沿いを延々走り、奈良県桜井市へ。
大神神社(おおみわじんじゃ)付近を過ぎ、
三輪山の南麓の金谷河川敷公園でちょい撮影。
そろそろ紅葉の時期、桜の木も色付きます。
一番右の写真は「佛教傳来之地」の石碑。
こんな内陸部で意外な気がしますが、ここは
難波津から大和川を遡ってきた船の終着点。
583年、飛鳥の都の外港であるこの地に
百済から経典などが陸揚げされたそうです。
おっと、目的地はまだまだ先です。急がねば。
ここからは国道165号線(初瀬街道)で
まずは榛原(はいばら)へ。
榛原まではかなりの登り坂。
標高80Mから出発、目指す榛原は310M、
しかも途中で350M地点を越えます。
やっとのことで榛原に到着、現在10時半
過ぎです。
ここからも引続き国道165号線で、名張を
目指し小刻みなアップダウンを繰り返します。
途中、室生の手前辺りで目についた光景を
ちょっと撮影。
日本昔話の長者どんの屋敷?
再びスタートし、標高360Mまで登った後、
道は下り基調。
下るということは、帰りは当然登り…
う~ん大丈夫かな?ちょっと心配です。
11時半、ようやく名張(標高200M)に
到着し、榛原からは約20km。
ちょっとレトロな駅。
本当は香落渓(かおちだに)へ行きたかった
のですが、時間的にも体力的にも無理。
仕方がなく近くのちょっとした観光スポットヘ。
左:名張藤堂邸
右:寿栄神社(ひさかじんじゃ)の太鼓門。
名張藤堂邸は藤堂高吉(藤堂高虎の養子)を
祖とする名張藤堂家(2万石)の陣屋の一部。
2万石とはいえ、独立の大名ではなく津城の
藤堂藩(32万石)の家来だったそうです。
なお、寿栄神社は高吉を祀った神社であり、
太鼓門は陣屋の表門を移築したもの。
ちなみに、この藤堂高吉は悲運な人だった
ようです。
織田信長の重臣(柴田勝家に次ぐNo2)、
丹羽長秀の三男として生まれ、羽柴秀吉の
希望で弟の秀長の跡取り養子となったものの、
のちに秀吉の心変わりで、秀長の家臣である
藤堂高虎の跡取り養子に。
その後、高虎に息子が生まれたこともあり、
その家臣とされたそうです。
なんか、たらい回しで可哀想ですね。
そろそろ12時、プチ観光も済ませたので、
道の駅「宇陀路室生」まで帰って昼食タイム。
左:道の駅の裏を流れる宇陀川
中:猪肉、よもぎ入りのお好み焼き
右:蓬入り米粉クレープで粒餡を包んだもの
さぁ、お腹もいっぱいになったので元気良く
国道165号線を引き返します。
せっかくなので、帰り道でも色々と撮影。
室生付近の紅葉の山。
榛原の古い街並。
三輪付近、大和川の向こうに聳える大神神社
の巨大鳥居。
午後5時半、ヘロヘロになりつつ無事に帰宅。
走行距離は171kmでした。
帰宅後、鏡に映る顔はいつもより5歳ぐらい
老けていました。
~今回の甘いもの~
※姉妹ブログ「和菓子の国の人だから」へGo!
030(三重)名張 なばり饅頭