このブログを実質3月から始めて、満月の時はたいてい満月の記事を書いている。
しかし、私はそんなに満月ファンではない。
それなのに書いてしまっているのは、何かに操られているのだろうか?
ルナティックって言う言葉がありますが、「狂気の」とか言う意味があります。
満月の影響でおかしくなるのでしょうね。
テリー・ギリアムの映画でバロンという映画があります。
その映画で、ロビン・ウイリアムスが月の王様の役で出ていました。
頭と胴体が分離する王様で、体から離れて頭だけの状態の時は、哲学的で詩的な教養をもつ人格なのですが、頭が胴体とくっついているとき(我々と同じ)は、肉欲的で野蛮な人格になります。
以上、余談。
満月の時は、生物の行動に影響を与えると言われております。
たしか、犯罪率が上がるとの話もありました。
人も動物の一員なので、月に影響されるのでしょうかね。
話は変わって、なぜ、月にウサギがいると言われているのか。
ウサギの形が見えるというのは、今昔物語に書かれています。
天竺に、うさぎ・狐・猿の三匹の獣がおりました。
この3匹の獣は、菩薩の道(どう)を行っておりました。
それを天帝釈が見、この3匹の獣の心根を試してみようと哀れな老人の姿になり、この3匹の獣の前に現れた。
老人はこの3匹の獣に「あなたたちは憐れみの心を持つものだと聞く。どうか養ってくれないか」と頼む。
狐と猿は、食べ物を集めてきては老人に与えて養うということを行っているが、うさぎはそういう事が出来なかった。
うさぎは、老人が狐と猿は既に菩薩なりと言うのを聞き、自分もがんばろうと思い努力したがやはりうまく食べ物を集められなかった。
それを見た狐と猿と老人は、うさぎを侮辱し笑いものにした。
うさぎは野山が怖かった。人やほかの獣に殺される可能性が高いからだ。
うさぎはある決心をした。それは、この身を老人に与えて畜生というものから離脱しようと。
そこでうさぎは、「これから美味しいものを探してくるので火を焚いておいてくれ」と言い出て行った。
狐と猿は火をおこし、うさぎの帰るのを待っていた。
うさぎ何も持たずに帰ってきたので、狐と猿は、「戯言を言って、火を熾させたのは、自分が温もりたいためだったのか」となじった。
うさぎは「私には食べ物を持ってくる力はない、だから私の体を焼くので食べて下さい」と言うなり火の中に飛び込んで焼け死んでしまった。
天帝釈は元の姿に戻り、このうさぎの火に入った姿を月に移し籠め、すべての人がこの姿を見、菩薩の道を見られるようにしたとの事。
しかし、私はそんなに満月ファンではない。
それなのに書いてしまっているのは、何かに操られているのだろうか?
ルナティックって言う言葉がありますが、「狂気の」とか言う意味があります。
満月の影響でおかしくなるのでしょうね。
テリー・ギリアムの映画でバロンという映画があります。
その映画で、ロビン・ウイリアムスが月の王様の役で出ていました。
頭と胴体が分離する王様で、体から離れて頭だけの状態の時は、哲学的で詩的な教養をもつ人格なのですが、頭が胴体とくっついているとき(我々と同じ)は、肉欲的で野蛮な人格になります。
以上、余談。
満月の時は、生物の行動に影響を与えると言われております。
たしか、犯罪率が上がるとの話もありました。
人も動物の一員なので、月に影響されるのでしょうかね。
話は変わって、なぜ、月にウサギがいると言われているのか。
ウサギの形が見えるというのは、今昔物語に書かれています。
天竺に、うさぎ・狐・猿の三匹の獣がおりました。
この3匹の獣は、菩薩の道(どう)を行っておりました。
それを天帝釈が見、この3匹の獣の心根を試してみようと哀れな老人の姿になり、この3匹の獣の前に現れた。
老人はこの3匹の獣に「あなたたちは憐れみの心を持つものだと聞く。どうか養ってくれないか」と頼む。
狐と猿は、食べ物を集めてきては老人に与えて養うということを行っているが、うさぎはそういう事が出来なかった。
うさぎは、老人が狐と猿は既に菩薩なりと言うのを聞き、自分もがんばろうと思い努力したがやはりうまく食べ物を集められなかった。
それを見た狐と猿と老人は、うさぎを侮辱し笑いものにした。
うさぎは野山が怖かった。人やほかの獣に殺される可能性が高いからだ。
うさぎはある決心をした。それは、この身を老人に与えて畜生というものから離脱しようと。
そこでうさぎは、「これから美味しいものを探してくるので火を焚いておいてくれ」と言い出て行った。
狐と猿は火をおこし、うさぎの帰るのを待っていた。
うさぎ何も持たずに帰ってきたので、狐と猿は、「戯言を言って、火を熾させたのは、自分が温もりたいためだったのか」となじった。
うさぎは「私には食べ物を持ってくる力はない、だから私の体を焼くので食べて下さい」と言うなり火の中に飛び込んで焼け死んでしまった。
天帝釈は元の姿に戻り、このうさぎの火に入った姿を月に移し籠め、すべての人がこの姿を見、菩薩の道を見られるようにしたとの事。