怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)アルボムッレ スマナサーラサンガこのアイテムの詳細を見る |
んー、まぁお坊さんだから言えることかもね。
一族の存続に必要な金のなる木に毒を撒いているヤツを
見つけた時に怒らずに落ち着いて対処できるかどうか、
それはお坊さん自信にもわからないでしょう。お坊さんにはそんなものないのだから。
実社会にはそういう輩がたくさん居るんだな。
以下、気になったところのサマリー:
P23 - 感情の人格化
キリスト教では、愛情を人格化して「神」として、怒りを「悪魔」と呼ぶ。
これは理解はしやすいかもしれないが、実践は不可能。
なぜ不可能か?自分を棚に上げてしまうから。「僕は、悪魔に誘惑されただけだ。
だから僕は悪くない。」という言い訳を成立させ、問題を直視できなくなる。
自分の心を見つめることを不可能にしてしまう。
P66 - 怠けること仏教用語で「放逸(ほういつ)」という。
怒りが自然だからと放逸したのでは、進歩がない。
P142 - 怒りを見られた瞬間、怒りは消える
「あ、これは怒りだ」と今の瞬間の自分に気づくこと。
(これはかなり難しいと思うけど。)
P150 - 自分でも自信がないことを言っても人は聴いてくれない。
自分でどう指導するべきかわかっていないのに、子供をしつけようとしても出来る訳がない。
P178 - 怒る人には:
決して怒らずに、「同じことを仕返しますよ。」と伝える。
「鏡を見せる」。怒っている人を口で描写してみせる(フルえていますけど、大丈夫ですか?)と教えてあげる。
P198 - 怒っている人につられて怒るのは、人が吐いたものをそのまま食べるのと同じこと。
こんなに馬鹿げたことはない。
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