えらい大問題に発展してきたぞ。
高校における必須科目の未履修問題だが、富山県立高岡南高校で発覚したとたん、他の公立高校においても次々と発覚。
しかもそのような高校は、文科省に対しては虚偽の報告をしていたところがほとんどだとか。
そしてついに、では私立高校ではどうなのか?という調査も行われてこんな状況に。
必修逃れ、文科省が全私立高の調査開始
高校の必修逃れ問題で、文部科学省は29日、全国すべての私立高1325校を対象にした調査を開始した。
文科省はすでに兵庫県を除く全公立高校の調査を終了し、31都道県2政令市286高校で必修逃れがあったことを公表しているが、読売新聞社の調査では、120以上の私立高も必修逃れを行っていたことが判明している。
文科省は私立高を所轄する都道府県に対し、必修逃れの高校数や具体的な事例、改善策などを調べるよう指示した。
(読売新聞) - 10月30日0時42分更新
私立だと1割近くになってしまうのか・・・
ま、いわゆる「進学校」といわれるところでは、こうした「インチキ」をしているところもあったというわけだな。
私が浪人していたときに、「勉強のやり方」について強く印象に残った「受験は要領」という本があった。その本ではいきなり、
・数学は解かずに解答を先に見てそれを丸暗記せよ
と書かれていてビックリしたというもの。
この本を書いたのは医師の和田秀樹さんだったが、なぜそれを強く感じたかというと、とある図書館で公立の女子生徒が数学を取り組んでいたところ、朝から夕方までかけてやっているというのに、たったの3問しか「解いていなかった」ということにあったらしい。
と同時に和田さんは、
「公立高校ってひょっとしたら普段からこうした効率の悪い勉強の仕方を教えているのではないか。」
と懸念し、それがきっかけとなって生まれたのが、「受験は要領」という本だったそうだ。
ちなみに「数学は先に解答を見てそれを丸暗記せよ」、とはいってもなかなかそう簡単にできるものではありません。
そして和田さんは灘高に通っていたわけだが、灘高の場合、例えば中間テストレベルであっても出題範囲が異常に広く、授業でやらない部分も出題されるため、1題1題解いていたんでは追いつかないということから、とにかく出題部分の問題を丸覚えするしかなかった、ということだったらしい。
そう考えると、灘高の授業進度がとても早いという理由はつまり、 ほとんどの部分において生徒に自ら「勉強をさせ」、授業ではあくまでも受験におけるポイント部分のところしかやらないのだな、と思ったものである。
ということは灘クラスの生徒というのは、逆に言えば、自分から進んで勉強する生徒が割りと多いということもいえるというわけ。
しかしながら「進学校」と言われる公立高校の大部分、はたまた私立でも、進学実績をとにかく上げたいようなところは、灘のような形はなかなか取ることができないため、何らかの形で「犠牲」にせねばならないものが出てくる。そうなると今現在大問題化している、必須科目の未履修というところに繋がっていくんだろうね。
今考えると、私が高校時代の頃ってのは、ある意味「よかった」のかもしれない。
私の頃は理科だと「理科Ⅰ」、社会だと「現代社会」というものが必須となっていて、理科Ⅰは1・2年に分かれて1年では生物と地学、2年では物理と科学を履修。また現代社会は1年だけだが、要は政治経済と倫理を履修することになっていた。
但し私がいた高校とはいわゆる「底辺校」であったから、これが進学校ならば、例えば理科Ⅰとはいっても、2年に亘って行うというケースをとらなかったかもしれない。
ところが今の高校って前にも書いたけど、本当にどの教科も、何がどうなってどう行われているのか「さっぱりわからない」。
つまるところ、勉強をどこかで集中してやりたいと思っても、「やりようがない」カリキュラムを組んでしまっている。
そこが一番の問題ではないのか。
一番問題なのが数学。
私の頃は1年は数学Ⅰ、2年は基礎解析と代数幾何となっていて、これは全生徒必須だった。3年に入ると「微分・積分」というものが入ってくるが、これは理系のみ必須だった。
もっとも、数学の中では一番難しく、かつ重要とされる微分・積分とて、無限大といった「無限級数」以外の有限級数部分においては基礎解析で習うことになり、微分・積分といっても、
「あっ、もう分からない」
とお手上げ状態になることもないというわけ。
ところが今の高校数学って、何がどう繋がっていっているのかさえ、はっきりいって全く分からない。
それと今では、行列あたりも理系しかやらないそうだが、例えば「文系」の経済学あたりになると、行列の他、「行列式」なんてものが出てくる。そうなると訳が分からなくなってしまうのでは。
したがって私立大学としては、経済学部においては一番権威があるとされる慶應義塾大学でも、数学を使った授業はできない、もしやろうとするならば、数学を教えるだけで終わってしまうという現状らしい。そう考えると、「本当の経済学」をやりたければ、大学院にでも行かない限りは「ムリ」という現状なんだとか。
逆にアメリカでは、高校の数学には微分積分の科目がないらしい。微分積分については理論が難しいために大学で「みっちり」と行われることになるという。
日本でも、例えば大学教育において微分積分を徹底的にやるというんであれば話は別だが、文系講座においてそうした試みを行う大学はまずない。
さらにいえば、学校教育をまるで期待していない風潮を作り上げてきている社会(企業といってもいいか)にも当然問題があるわけで、要はここが変わらなければ、大学も、はたまた高校も変わるわけがない。
ちなみに企業はここ最近、またもや「指定校制度」なるものを持ち出してきて、差別化を図っているという声も聞く。これには経済週刊誌も呆れ顔で、
「何を今更そんなことをやるのか」
といった論調。
しかしながら、企業もなぜそうなるのか?については反発してくるわけで、当然のことながら、
「学校教育が悪いから」
と言ってくる。
まぁ、こういった押し問答はここ何十年来全く変わっていない。
はっきりいうが、ここのところが変わらない限りは、日本の経済動向そのものが変わっていかない。つまり、全体的に経済を押し上げていく力が働かないということ。
今はやれ景気がいいとかいっても、本当にその恩恵を授かっているのは大企業の、それも一部の人間だけだろ。
またさらに、例えば「敬語」についての解釈が国語審議会で見直されることになった。なぜそうなったのか?それは、外食産業で教えられる(マニュアル)「変な敬語」により、敬語そのものの使い方が滅茶苦茶になったからだという話もある。
とにかく、高校教育なんて大学進学のための「道具」でしかない、ということになれば、仮に私立大学を志そうというものならば、最初から数学・理科は文系の場合、「いらない」ということになってしまうし、理系だったら国語と社会は「いらない」っていうことになってしまう。
でも、例え受験に必要なくとも、はたまた役に立たなさそうだと思っても、一通りやってみてある程度知識を体得しておかないと社会に出て非常に困ることになる、いや、大学に入ったときから困るようになると思うんだが。
一方で今、学生の間では資格ブームというのか、そういった類の勉強については一種のブームとなっているそうだ。
しかしながら、資格ってはっきりいって「使い物になる」ものといえば、ほんとにごく限られている。それでも「ブーム」になるわけだから面白いというか、滑稽という他ない。また、資格って大学入試みたく、「合格したからはいそれで終わり」っていうもんじゃないし、以後も活用されなければただの「無用の長物」でしかない。
公営ギャンブルでたまに、
「頭を使って」
云々の話をされる方がいるが、頭を使ってとかいうよりも、データに占める割合が結構大きいので、いかにしてそのデータを処理し、分析し、そして最後に推理し、というプロセスが求められる。ということは、ある意味、統計学的な要素もある、「重要な」遊びであることがいえるわけである。
また、公営ギャンブルの売上げ・入場の動向は経済状況を反映するとまで言われている。景気がやれ上向いているとはいっても公営ギャンブルの売上げ・入場はさっぱり上がらない、下がる一方。しかしながら、こうした動向は個人消費の低迷にも「やはり」反映されているわけだ。
今回の一連の「未履修問題」は相当に深刻な問題をはらんでいる。はっきりいって病気という他ない。しかしながら、その病気を根絶する「薬」がないのもまた事実である。