公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

ある意味、「大記録」なのかも

2007-02-07 00:15:44 | 競輪

昨日行われた四日市記念決勝で、渡邉晴智がまたもや決勝2着。

これで出場機会を得た記念開催では、10月の千葉から始まって、以後、伊東・広島・名古屋・立川、そして今回の四日市と、記念では6回連続で決勝2着。ついに言えば、伊東と広島の両記念の間に、立川のS級戦と平の全日本選抜も走っているが、その立川S級戦でも決勝2着だった。

勝てないまでも、常に2着をキープするという意味からいくと、ある意味「大記録」といえよう。

ところで、今もなお、「伝説の名マーカー」としてその名を語る人も少なくない、同じ静岡の「国持一洋」という選手とだんだん似てきたような気も。

国持は、11回の特別競輪決勝進出を果たしたうち、2着が6回、3着が2回という堅実さを誇り、惜しくも優勝の二文字だけがないという選手であった。

優勝こそないが、当時、マーク選手の立場からすれば、

「2着は優勝したも同然」

という考え方もあり、さらにいえば、今、主流の3連単を買うにあたっては、国持のような選手がいたほうが「買いやすい」というもの。したがって国持の熱狂的なファンも少なくなかったらしい。何せ、マークだけでなく、競りも強い選手だったというし。

だが、やはり2着は2着。2着だと名前は終生残らない。ともすれば「マニアック」的な存在ともいえ、国持に「倣うことなく」、渡邉自身もそろそろ「優勝したい」という気持ちがあるのでは。

そんな渡邉だけど、なぜかこのあと行われる地元の静岡記念の斡旋がない。非常に残念。

一方、渡邉は過去にふるさとダービーを2回優勝しており、そういった意味からすれば、決して悲劇の選手ともいえまい。内1回は同着であったが、いずれも、渡邉と「ペア」で連対に絡んだ選手は福島の選手。さらにいえば、その両選手とも、後にG1制覇を果たしている。

99年の佐世保大会2着の金古将人は、翌00年の名古屋全日本選抜を優勝。また01年函館大会で優勝を分け合った伏見俊昭は、同年の岐阜オールスターを制覇し、さらに同年のグランプリも制覇した。

つまり、渡邉は後の「優勝請負人」といえたのかも。

静岡のG1初制覇者も、渡邉が最初になるのではないか、と思われたが、「命!」の村本大輔に先を越された。

しかし、毎回こうした成績を続けていく限り、必ず「大仕事」を実現できるときがやってくるように思う。

たまたま、来年行われる日本選手権は静岡での開催だが、それまで待たず、今年中にG1を一本獲りそうな予感も。でもそうではなくて「やっぱり2着」なのか?

とにかく、今後も渡邉には要注目。ヒモ狙いだとまず「間違いない」?


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