公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

津波到達までに避難するのが難しい「避難困難地域」に住む人は、宮城県だけで10万人を超えると推定

2025-03-09 21:31:32 | 災害情報
石巻・渡波地区を3つのエリアに分けてエリアごとに使用する避難道路を指定することで、避難の分散を促し渋滞を緩和できないか検討しています。



津波からの「避難困難地域」に10万人超える住民 宮城県だけで NHK 2025年3月9日 16時04分

東日本大震災の発生からまもなく14年になります。

津波によって大きな被害が出た震災を教訓に、南海トラフや日本海溝、千島海溝などで発生する巨大地震による津波の浸水想定が各地で作られてきましたが、津波到達までに避難するのが難しい「避難困難地域」に住む人は、宮城県だけで10万人を超えると推定されることがわかりました。

新たな津波の被害から住民の命をどう守るのか、大きな課題が突きつけられています。

2011年3月11日に発生し2万2000人以上が犠牲となった東日本大震災を受け、国は南海トラフや日本海溝、千島海溝などで発生する巨大地震の想定を見直してきました。

これにあわせて都道府県は、将来起こりうる最大クラスの津波災害を考えた「津波浸水想定」を作るよう法律で義務づけられ、全国の自治体で避難計画などの策定が進められています。

宮城県が3年前に公表した新たな津波の浸水想定では、最悪の場合、浸水の面積は震災の時のおよそ1.2倍にのぼるとされました。

この想定に基づいた新たな避難計画について、NHKが宮城県内の15の沿岸自治体を取材したところ、このうち7つの市と町が津波の到達時間までに安全な場所に避難するのが難しい「避難困難地域」を設定し、この地域に住む人は10万人を超えると推定されることがわかりました。

具体的には
▽石巻市で7万9400人
▽東松島市で9100人
▽多賀城市で4000人などと
平野が広がる県中南部が多くなっています。

自治体によっては、津波到達までに避難できる距離のほか、避難施設を考慮するかなど設定の条件が異なるうえ、仙台市や気仙沼市など現時点では新たな想定を受けた「避難困難地域」を設定していない自治体もあります。

東日本大震災で宮城県内では9544人が死亡し、いまも1213人の行方がわからないままです。

震災から14年となるいま、新たな津波被害から住民の命をどう守るのか、大きな課題が突きつけられています。

「避難困難地域」とは
「避難困難地域」は、予想される津波の到達時間までに避難対象地域の外へ避難することが難しいとされる地域です。

総務省消防庁は「津波避難計画策定指針」の中で、市町村が定める必要のある項目としています。

指針では避難の歩行速度は毎秒1メートルを目安として、障害者や乳幼児などについてはさらに歩行速度が低下することを考慮する必要があるとしています。

また、避難できる限界の距離は最長でも500メートル程度が目安となるということです。そのうえで、市町村は「避難困難地域」の住民が避難できるよう、津波避難ビルなどを指定しておく必要があるとしています。

「津波浸水想定」全国の動き
政府の中央防災会議は、東日本大震災が発生したあと、想定される巨大地震において最大クラスの津波を発生させる「海底断層モデル」を順次公表しています。

南海トラフは2012年に、相模トラフは2013年に、日本海溝・千島海溝沿いは2020年に公表しています。

都道府県は2011年12月に施行された「津波防災地域づくり法」に基づいて将来起こりうる最大クラスの津波災害を想定した「津波浸水想定」を作るよう義務づけられ、こうした「津波断層モデル」をもとに想定作りを進めています。

最大クラスの津波を発生させる地震として、北海道や東北地方では日本海溝・千島海溝沿いの地震や、東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震を。また、西日本の太平洋側では南海トラフの地震、関東や東海では相模トラフで起きる地震などをモデルにしています。

国土交通省によりますと「津波浸水想定」はこれまでに40の都道府県が作っていて、この想定に基づいて各市町村が津波避難計画の策定やハード・ソフト両面の防災対策を進めています。

宮城県の津波浸水想定
宮城県は、およそ3年前の2022年5月に新たな津波浸水想定を公表しました。

この想定では、東日本大震災をもたらした東北地方太平洋沖地震と、日本海溝で起きる地震、千島海溝の地震について津波のシミュレーションを行い、それぞれの想定結果の中で最も規模が大きいものを地域ごとに選びました。

また防潮堤が壊れて機能せず、満潮の時間帯など最も悪い条件が重なった場合を考慮して、津波の高さや浸水の範囲を想定しました。

その前提で分析した結果、宮城県で浸水する面積は東日本大震災の津波の1.19倍にあたる391平方キロメートルにのぼっています。

宮城県がホームページで公表している日本海溝の地震のシミュレーションの動画では、地震の発生直後に宮城県の沖合で津波が発生します。

発生から20分が過ぎたころには、気仙沼市から牡鹿半島にかけての海岸線に数メートルの水位を示す黄色の津波が近づいていきます。

その後、さらに津波の水位は高くなり、赤色が次第に濃くなって10メートルを超える津波が沿岸に押し寄せます。

さらに牡鹿半島を回り込んだ津波が仙台湾に入り、発生から1時間を過ぎたころには仙台市や名取市など平野部にも10メートルを超える津波が到達する様子が見られます。

宮城 石巻の津波避難計画
宮城県石巻市の津波避難計画では、安全に避難できる高台などから500メートル以上離れたエリアが「避難困難地域」に指定されています。

地震のあと津波来るまでの時間が地域によって異なるため、中学校の学区ごとに、想定される津波到達時間を踏まえて避難のシミュレーションを実施しています。

徒歩による避難で対応できない可能性がある地域については、地域で避難方法を検討するよう呼びかけています。

このうち渡波中学校区ではおよそ2000人が徒歩による避難では対応できない可能性があるとして、車での避難について地域での運用ルールを検討するほか、避難訓練などに取り組む必要があるとしています。

石巻市東部の渡波地区では
宮城県石巻市東部の渡波地区は牡鹿半島の付け根に位置し、太平洋に面した平らな土地におよそ1万3500人が暮らしています。

14年前に発生した東日本大震災では、最大5メートルの津波が押し寄せて広範囲で浸水し、住宅4000棟余りが全壊しました。

死者・行方不明者はあわせて519人にのぼり、東日本大震災の被災地の中で特に大きな被害を受けた地域のひとつです。

地震の後には沿岸に高さが最大で7.2メートルの防潮堤がおよそ2.3キロにわたって整備され、その内側には堤防の機能も備えた防災緑地が作られました。

住宅地には津波避難タワーや津波避難ビルも整備され、津波の浸水域となった地区でも住宅が再建できるようになりました。

多くの住民が元の場所で再建を果たす一方で人口の流出は進み、かつて地区の中心部だった場所も空き地が目立つようになっています。

渡波地区の人口は、震災前の2011年2月には1万7000人でしたが、去年12月末現在で1万3500人と、この14年間で2割以上減少しています。

石巻市渡波地区 津波から逃がれた女性は
地震発生の当時、宮城県石巻市渡波地区で津波からかろうじて逃げることができた女性が当時の体験を振り返りました。

渡波地区に住む飯野雪江さん(51)は、地震が起きた時に地区から7キロほど離れた石巻市の中心部にいました。

津波警報が鳴り響く中、急いで車で渡波地区へ戻り小学校に避難していた家族のもとへ向かいました。そして到着する直前、踏切で停車した時でした。

目の前に津波が押し寄せてくるのが見えたため、慌ててUターンをして迫る津波を背に車を走らせました。

平地が広がる渡波地区には当時は避難できる高台や高い建物が少なく、飯野さんは車を走らせ、ほかより少し高くなっている陸橋にかろうじてたどり着き、津波の到達から間一髪のところで逃げることができました。

陸橋の上にはほかにも多くの人が避難していて、中には津波に流されながら陸橋に上がってきた人もいたということです。

飯野さんはその後、陸橋の上から住み慣れた地区が津波にのまれていく光景を眺めることしかできませんでした。

地区全体が浸水していたため、飯野さんは陸橋の上に止めた車の中にとどまり、雪が降る中で避難した人たちと身を寄せ合うようにして夜を明かしました。

しかし翌朝、目にしたのは車の中で亡くなっている高齢女性の姿でした。

津波から逃がれた飯野さん
「どこかに運んであげられればまだ助かった命なのではと思いましたが、当時はそれどころではありませんでした。本当に申し訳なくてごめんなさいという思いでした」

その後、飯野さんは水が引いた地区を歩いて家族がいる小学校に向かいましたが、浸水を免れた2階より上の教室はすでに多くの住民が詰めかけていて、横になるスペースを確保するのは簡単ではありませんでした。

結局、飯野さんは浸水した自宅に戻り、無事だった2階の部屋で電気も水道もない暮らしを1か月以上、続けざるを得ませんでした。

地震の後、渡波地区には新たに津波避難タワーや避難所が整備されましたが、高齢の家族と同居する飯野さんはいまも津波からの避難に不安を感じています。

飯野さん
「津波に巻き込まれなくて本当によかったと思いますが、あんな状況が自分の周りで起きることは想像できなかったので、何と言ったらいいかわからない感じです。この地区には高齢者などが歩いて避難できる場所がいまも少ないと感じています」

石巻市渡波地区の新たな津波浸水想定
宮城県が2022年に公表した新たな津波浸水想定によりますと、石巻市では最大クラスの津波が来ると東日本大震災の1.16倍の範囲にあたる84.9平方キロメートルが浸水するおそれがあります。

このうち石巻市渡波地区では、ほぼ全域で3メートル以上浸水するおそれがあります。

県によりますと、3メートルは一般的な家屋の2階の床下に相当するということで、それ以上の高さの津波が押し寄せる想定です。

また、渡波地区の沖合では、地震発生のおよそ56分後に7.2メートルの最大波が到達すると予想されています。

渡波地区 区長会 会長の願い
渡波地区の区長会の会長を務める阿部和夫さん(77)さんは、東日本大震災が発生した当時、沿岸部にある自宅にいました。

大きな揺れのあと、津波が来る前に幼い孫とともに内陸にある寺に避難しました。

その寺には次々と住民が集まって来て、ほとんど身動きがとれないほどの状態で幼い孫をひざに抱えたまま、2晩を過ごしたといいます。

3日目には、流されてきたがれきや被害を受けた建物などをかいくぐるようにして3時間かけて歩き自宅まで戻ることができましたが、自宅は2階の床上まで浸水し、全壊でした。

家族は無事だったものの、同級生や近所の人など身近な人を亡くしました。

阿部さんが住む渡波地区の松原町では当時、200世帯以上が暮らしていましたが、津波の被害を受けるなどして現在は5分の1程度にまで減りました。

阿部さんは自宅を修繕して現在も家族と暮らしていますが、3年前に宮城県が公表した新たな浸水想定では自宅付近を5メートルを超える津波が襲い、2階まで水没することになります。

渡波地区 区長会の会長 阿部さん
「14年前はあれほどの津波が来るとは誰も想像していませんでした。この地区には家族や友人を亡くし、家などの財産を失った人たちがいます。誰ひとりまたそのような経験をしてほしくないです」

住民が避難対策を検討
阿部さんは去年5月、ほかの区長などと一緒に新たな浸水想定の避難対策を検討する協議会を立ち上げました。

14年前、500人以上が犠牲になった地区で、二度と悲劇を繰り返したくないという思いからでした。

阿部さんたちがまず取り組んだのが、津波から逃れる一時避難所の検証です。

地区にある高校などの避難所を訪れ、ここで浸水を免れるとされる2階以上の教室などでメジャーを使って避難スペースを測定しました。

東日本大震災で長時間にわたって窮屈な避難を強いられた経験から、避難者が横になれる1人あたり2平方メートルを確保できるよう、収容人数を計算しました。

その結果、現在、市が指定している10か所の主要な避難施設と1か所の津波避難タワーでは、地区の住民のおよそ2割にあたる3000人ほどしか収容できないことがわかりました。

また、一時避難所にたどり着けない人たちが津波から緊急に逃れるために、震災の発生後におよそ2億円をかけて整備された津波避難タワーも検証しました。

タワーの高さは13メートルでおよそ90段の階段があり、阿部さんたちは実際に登って確認したところ、住民からは足腰の弱った高齢者や車いすの利用者が避難するのは難しいという懸念の声があがりました。

また、市はおよそ200人が収容できるとしていますが、地区に多くの高齢者がいることなどから十分ではないという意見もありました。

地区独自の避難ルール作り
渡波地区の協議会では去年、津波避難について住民アンケートを実施しました。5512世帯に配布しておよそ28%の1570世帯から回答を得ました。

この中で「避難する」と答えた1488世帯のうち、半数の746世帯が車での避難を希望していることがわかりました。

自由記述には「高齢なので徒歩での避難は無理だ」「車いすでないと移動できないため車で避難したい」といった意見がありました。

しかし、東日本大震災で車による避難で渋滞が発生した教訓などから、避難は徒歩が原則となっています。

渡波地区でも浸水域から出ることができる避難道路は3本で、3年前に津波注意報が発表された際にも渋滞が発生したこともあったということです。

そこで阿部さんたちが取り組んでいるのが、地区独自の避難ルール作りです。

渡波地区を3つのエリアに分けてエリアごとに使用する避難道路を指定することで、避難の分散を促し渋滞を緩和できないか検討しています。

また、地区にいる高齢者だけで暮らす世帯や要支援者がいる世帯などの把握にも乗り出していて、こういった人たちを優先的に避難させる方法も検討していく考えです。

さらにいま取り組んでいるのは、避難道路の先にある浸水域の外に新たな避難場所を探すことです。

阿部さんたちは沿岸から車でおよそ15分の高台にある野球場を訪れ、車が止められる十分なスペースがあることを確認していました。

また、別の土地の所有者にも直接会いに行って避難場所として使えるよう交渉していて、取り組みの結果、すでに一部の土地について了承を得られているということです。

阿部さんたちはこれまでに8か所の候補地を選定していて、地権者との交渉を急ぎたいと考えています。

渡波地区 区長会の会長 阿部さん
「高台にある指定避難所は足りず、遠くに車で逃げると渋滞する。それをどう整理して解決していくのか、被災地としての経験を踏まえ住民側に軸足を置いて対策をきちんと考えたい」

住民の取り組みに石巻市は
渡波地区がある石巻市は宮城県内で最も多い住民が「避難困難地域」に暮らしていて、市は阿部さんたちの協議会にもオブザーバーとして参加しています。

石巻市危機対策課の阿部雄大 課長は「渡波地区は人口に対して避難に適した高い建物や高台が不足していることが課題だと感じている。徒歩による避難が原則だが、避難が困難な地域に住む人や支援が必要な人は車での避難も必要になるので、地域と十分な検討を重ねながら避難のルールを作っていくことが課題の解決につながる」と話しています。

そのうえで「行政が作った計画ではなく、地域が主体となって行う非常によい取り組みで、ほかの地域のモデルとなる。さまざまな資料の提供や助言を行いながらサポートしていきたい」と話しています。

専門家「避難計画 住民と行政の調整が重要」
避難困難地域の住民などが宮城県内だけで10万人を超えるという推定について、東北大学災害科学国際研究所の佐藤翔輔 准教授は「現在のインフラ施設では津波を防ぎ切れないことが大前提で、そういう場所に何人が住んでいたり訪れたりしているのか把握することは対策の第一歩として非常に重要だ。それを踏まえて自治体は住民に情報を共有し、一緒に対策を進めることが大事になる」と指摘しています。

そのうえで各地の津波対策については「津波の浸水が想定される範囲や時間を地域に一つ一つ落とし込んで、それをクリアできる避難計画を個人や地域のレベルで作り、それに基づいて訓練を行って実現性が高いかどうか検証することが非常に重要だ」と述べました。

佐藤准教授は、避難計画を作る際には住民と行政の調整が重要だとしていて「自治体で作る計画に対して、住民で主体的に考えるものとすり合わせがうまくいかないところもあると思う。NPOや専門家など第三者の視点や知恵が入ることによってうまくいったケースもあるので、第三者を交えた検討も必要になってくる」と話していました。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2025年3/9 自民党大会:小林... | トップ | 大阪府では、近年、定員割れ... »
最新の画像もっと見る

災害情報」カテゴリの最新記事