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龍谷大平安の原田英彦監督 部員への暴行問題で辞任

2025-03-06 02:38:50 | スポーツ
高校野球 龍谷大平安の原田英彦監督 部員への暴行問題で辞任 NHK 2025年3月5日 21時49分

高校野球で春夏通算76回の甲子園出場経験がある京都の龍谷大平安高校は、原田英彦監督が部員に暴行した問題で学校を退職し、監督も辞任したことを明らかにしました。

これは龍谷大平安が京都市内で開いた記者会見で明らかにしました。

それによりますと、原田英彦監督は先月中旬、課題を提出していなかった硬式野球部の部員2人を寮で口頭で注意するとともに、手のひらやノートで頭部や肩、のどのあたりをたたいたということです。

翌日、このうちの1人が「監督から暴力を受けたため登校できない」と申告し、暴行が分かったということです。

この部員は打撲で30日の通院が必要だとする診断結果が出て、通常の学校生活に戻れていないということです。

高校は懲戒処分の手続きを進めていましたが、原田監督は先月17日に退職届を提出し、今月2日に高校の職員の退職が決まり、監督も辞任したということです。

学校の調査に対して原田監督は「何とかしてやりたいという思いが強く出て体罰に至ってしまった。大変、申し訳ないことをした。復帰して野球に戻ってほしい」と話しているということです。

高校は暴行の発覚直後に高野連=日本高校野球連盟に報告していましたが、事実関係を精査するとして取り下げていて、改めて報告することにしています。

山脇護校長は「監督による体罰があり、被害生徒や部員、保護者など関係者の皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけしたことは誠に申し訳なく、深くおわびします。再発防止に努めてまいります」と陳謝しました。

龍谷大平安は春夏通算76回の甲子園出場経験がある強豪で、原田監督は1997年のセンバツ高校野球で監督として初めて甲子園出場に導き、2014年のセンバツでは初優勝を果たすなど、これまで春夏通算で19回甲子園に出場しています。

原田英彦監督とは
龍谷大平安高校の原田英彦監督は京都市出身の64歳。

当時の平安高校の選手として活躍し、1993年に監督に就任しました。

1997年のセンバツ高校野球で監督として初めて甲子園に出場し、その年の夏の全国高校野球で準優勝しました。

さらに2014年のセンバツでは母校を初めての甲子園優勝に導きました。

おととしもセンバツに出場するなど、監督としてこれまで春夏通算19回、甲子園出場に導き、春夏通算31勝を挙げました。

また、ヤクルトの高橋奎二投手や西武の炭谷銀仁朗選手などプロ野球選手を育てました。
 
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