「目白に凄いお屋敷がある」
そんな話で、要塞のようなお屋敷の門前まで伺うとその門柱には「財団法人徳川黎明会」とある。
公益財団法人徳川黎明会は、尾張徳川家の第19代当主の侯爵徳川義親が、「美術並ニ史学ノ研究ニ資スル為 尾張徳川家伝来ノ什宝ノ保存 其ノ他美術品ノ蒐集保管公開ヲ為シ 且ツ之ニ関スル指導奨励ヲ為ス」ことを目的として、昭和6年(1931)12月に設立されたそうで、少し調べてみるとあの2.26事件の貴重な資料が保管されているという。
また設立の際には、愛知県下の土地等を処分し、代々伝わる古文書や家宝類を「徳川美術館」としてこの屋敷に収め、植物生理学の研究のために「徳川植物学研究所」、藩史の研究のために「徳川林政史研究所」を設けられたそうだ(現在「徳川植物学研究所」はヤクルトに譲渡されている)。
徳川義親は「最後の殿様」として有名だが、流れていく時代の中でさまざまな角度で顔を覗かせている。2.26事件の法務官小川関治郎は旧尾張藩士の出身で、裁判の判決後、2.26事件の裁判関係資料は徳川邸に持ち込まれ、未だに未公開のまま保管されているという。
そんな話で、要塞のようなお屋敷の門前まで伺うとその門柱には「財団法人徳川黎明会」とある。
公益財団法人徳川黎明会は、尾張徳川家の第19代当主の侯爵徳川義親が、「美術並ニ史学ノ研究ニ資スル為 尾張徳川家伝来ノ什宝ノ保存 其ノ他美術品ノ蒐集保管公開ヲ為シ 且ツ之ニ関スル指導奨励ヲ為ス」ことを目的として、昭和6年(1931)12月に設立されたそうで、少し調べてみるとあの2.26事件の貴重な資料が保管されているという。
また設立の際には、愛知県下の土地等を処分し、代々伝わる古文書や家宝類を「徳川美術館」としてこの屋敷に収め、植物生理学の研究のために「徳川植物学研究所」、藩史の研究のために「徳川林政史研究所」を設けられたそうだ(現在「徳川植物学研究所」はヤクルトに譲渡されている)。
徳川義親は「最後の殿様」として有名だが、流れていく時代の中でさまざまな角度で顔を覗かせている。2.26事件の法務官小川関治郎は旧尾張藩士の出身で、裁判の判決後、2.26事件の裁判関係資料は徳川邸に持ち込まれ、未だに未公開のまま保管されているという。