毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

もう一つの春 27

2007-01-08 07:24:26 | 残雪
「そうだね、休憩してくる」
寺井は隣室のベッドで横になると酔いが回ってきた。眠くはないのだが体が痺れている感じで、1時間程じっとしていると、
「修さん、お風呂に入ったら」
といって、バスローブ姿の春子が顔を見せた。去年9月に会った時と比べると本当に大人っぽくなり、薔薇の様な香りが漂ってくる。
「君はもう入ってきたの、じゃあ、すぐ入ってくるね」
「お背中お流し致しましょうか、旦那様」
「い、いやいいよ、ここ狭いから」
「あはは、ちょっと言ってみたかったの」
ホテルに入ってからの彼女は、抜けた様にすっきりと明るかった。
寺井がゆっくりシャワーを浴び、ぬるめのお湯でバスタブに浸かって酔いを醒まして出てくると、春子はもうベッドに入っていた。背中を見せているので眠っているかどうか分からない。一番弱くした照明が灯っているだけなので、そっと空いている方のベッドに潜り込んだ。
うとうとしかけた時、春子の泣いている気配を感じ目が覚めた。
「どうしたの、何かあったの?」
「・・・」
「春子さん、話してくれ、何でもいいから、どんな事でも聞くから話してくれよ」
寺井は春子の肩を掴み、こちらを向かせた。
「修さん、修さん」
春子は寺井の胸の中にとびこみ、頭を左右に振っている。
「どうしたの、一人で悩んでないで聞かせてよ」
「違うの、違うの」
「違うって、何が?」
「ううん、いいの、これでいいの」
「これでいいって言ったって、分からないよ、もっと話してよ、怒ったりしないから」
「私良かったのこれで、だからいいの」
寺井がさらに何か聞こうとするのを遮る様に、春子は唇を強く押し付けてきた。
何を迷い、悩んで我慢しているのだろう。
熱い抱擁が繰り返される中でも、頭の片隅に不安が同居し、その為却って最後の炎を燃え上がらせるかの様な行為を促した。


唐木田通り 28

2007-01-06 10:08:03 | 唐木田通り
「その後から二人は付き合い始めたのですか」
「そうらしいのです、彼女、向井智子というのですが、それまで会社でも親戚の様な親しさで接してくれていたのが、急に避けるようになってきて、帰りに呼び出して問い詰めると、泣き出してしまいました」
年が一回り以上も違うのに、彼女から見ると都会的で、自分が近くで知っている男性達とは違う、何かあか抜けた感じがして、優しくて親切なところに惹かれていったと話し、東京にも呼ばれて何回か会いに行ったそうだ。
「それでもその向井さんは、東京で暮らす気にはならなかったのですか」
「その事も考えたらしいのですが、そうもいかなくなりまして」
「どうしてですか」
「ええ、それは・・・その、彼女にはいま3才になる男の子がいるんです」
「何ですって!それじゃ、その子は中谷氏の・・・」
「そういう事なんです」
中谷達彦という男は、他所に子供まで作っていたのか。
「本当なんですか、まだ信じられないが」
「誰にも打ち明けられず、中谷さんが気づいた時はもう5ヶ月目に入っていたそうで、認めるしかなかったのでしょう」
[それで村瀬さんが相談に乗ってあげていたのですね」
「向井さんは名古屋の実家には戻れず、東京にも知り合いが居ませんので、ここで住まいを探すしかなかったのです。何かあればご両親がすぐに来れる距離ですからね」
沢村は村瀬と別れた後、重い足取りでホテルに向かっていた。
これではとても由起子に話せそうにない。経理上の追求はあまり影響を受けなくて済みそうだが、私生活がこれ程の状況になっていたとは、想像を超えていた。
バスで長良橋の手前まで行き、橋を歩いて渡ってもホテルはすぐ左側にあり楽だ。
船着場や鵜飼いの銅像を近くに見ながら、長良川を渡って行く。織田信長もここを歩いたのだろうか、歴史の重みを感じながらホテルに入った。



もう一つの春 26

2007-01-05 04:38:18 | 残雪
「ねえ、叔父さんから結構お小遣い貰ってきたので、今夜は高層ホテルに泊まらない?一度眺めのいい部屋に泊まって、部屋に食事やお酒を運んで貰う、そういう経験してみたかったの」
「で、でもかなり高いんじゃない」
寺井は、春子のあまりの積極さに驚き、たじろいでいた。
「心配しなくていいの、今回は任せて、だっていつも修さんにご馳走になりっぱなしだもの、ほんのお返しよ」
急にくだけて打ち解けてきたので面食らってしまった。
一番最初に出来た高層ホテルの上階の予約が取れた。
「泊まってみたかったんだ、いいわあ、一番好きな誰かさんと景色のいい部屋で過ごす、最後の晩餐ね」
「最後の晩餐?」
「あはは、冗談よ、好きなもの何でも頼んでね、二人でパーティを開きましょう」
春子はいやにはしゃいでいる。
「食事代は僕が持つよ」
「どうでもいいのよ、そんな事」
冷蔵庫からビールを取り出しもう飲み始めている。寺井にはウーロン茶を持ってきて、
「修さんをいまから酔わしたら私つまらないから」
と平然と言うのである。
スペイン料理か地中海料理かそんな風な、オリーブオイルとニンニクを使ったムール貝の料理とイカ墨スパゲッティ、魚介類を混ぜた炊き込みご飯、それを食べる間にワインを飲み、寺井は顔が真っ赤になってきたが、春子はいつもと全く変らない。
「何だか体が元気になる料理だね」
「ええ、ニンニクやワインの効果かしら」
「体の芯から熱くなってくるので、これじゃ寝られそうもない」
「あら、寝る必要ないんじゃなくって?」
「まいったなあ、春子さん大人になったね」
「何か言った私、酔ってるからよく分からないの」
酔ってる様には見えないが、本当に大胆で奔放だ。
ワイン、ブランデーと飲んできて、寺井はもうできあがってしまった。
「修さん、すこし休んだら、私もう少し飲んでるから」

唐木田通り 27

2007-01-04 04:40:07 | 唐木田通り
「それで、現在でもその彼女とは続いているのですか」
「続いています、彼女はこの会社を辞めていますが、今でも岐阜に住んでいます・・・その住まい探しをしたのは私なんです」
「あなたが面倒をみたのですね」
「みるようになっていったのです」
いまだに続いているのは、抜き差しならぬ事態に陥っているという事なのか、それでも由起子にはやり直そうと何度も頼んでいるそうだが、矛盾だらけだ。
「いまでもこちらに執着しているというのは、彼女の為なんですか、東京に連れてきた方が会いやすい訳ですから」
「それはそうする方法もありますが・・・」
また村瀬の歯切れが悪くなってきた。
「何か彼女のご家族との問題でもあるのですか」
「いや、そういうことは特にないのですが」
考えがまとまらないのか、落ち着きがなくなり、混乱している様子もみえる。
「村瀬さん、今日も暑いし、ビールでも飲みませんか」
「はあ、そうですね、それがいいかな」
一息入れようと乾杯した。かなり飲めるらしく、すぐにコップ3杯飲み干した。
「沢村さん、本当は今日ゆっくり泊まって、夜は長良川鵜飼いを見て頂こうと予定していたんですよ」
夕方名古屋に戻るという事にしておいた。
「仕事の都合で残念なんですが、やはり岐阜は鵜飼いと、清流ですか」
「そうですね、刃物の町関市、古い町並みが残されている美濃市、そしてもっと北上すると、水の城下町郡上八幡があります」
「郡上八幡て、お盆には徹夜で踊り明かすあの郡上踊りの」
「そうです、楽しいですよ、見る踊りではなく、踊る踊りといわれ、皆で踊り明かすのです」
「その熱気も凄いんでしょうね、きっと」
少しアルコールが回り、舌も滑らかになってきた。
「彼女が入社した年の夏、私がお膳立てをして、部長代理と三人で郡上踊りに行ったのです、それが結局きっかけとなって・・・」

もう一つの春 25

2007-01-03 05:42:30 | 残雪
「違うわ、絶対違う、私が頼んだんだわ、今の状態でいいから付き合ってくれって」
「それはそうだけど、そのまま受け取る訳には」
「いかないの?いやよ、そんなのいや、受け取ってよ」
「でも春子さんにとっての僕はあまりにも中途半端だし」
「じゃあ、はっきりできるんですか、無理でしょう、子供まで居るんだから、私がこういう育ち方をしてきたから、子供の居る家庭を壊すのは耐え難いんです。寺井さんが暇な時、会って話を聞いたり優しくしてくれる、ずっとそんな存在であってほしいと願っています。男と女の友情だけなんて無理かもしれないけれど、どんなかたちでも続けばいいと思っています」
「春子さん、随分強くなったというか、変わってきたね」
「私、新潟に行って実感したんです、家に父と母が居て、その傍にいるだけでどれ程心安らぐか、叔父の家でそう感じたのだから、本当の両親だったらどんなだろう、夢でいいから両親とゆっくり会いたい、今はそういう心境です」
寺井は自分が何を言っても、春子の言葉に比べ、あまりにも空々しく思え黙るしかなかった。
叔父夫婦の下で暮らし見聞した体験が、彼女に確かな変化を与えたのは事実で、冬に北の大地から湖に飛来してきた白鳥の様に、大きな目的意識を感じ、反面自分の無力さや、考え方の狭さに苛立っていた。
雪国の張り詰めた空気と、白く輝く新雪が春子そのものの様に映しだされ、ルーツを辿り、旅の終焉を演出する作家になれればどんなに良いだろうとも考えていた。
[あらもう暗くなってきたわ、ごめんなさい、今日は家に呼べなくて、いま片付けていて狭い部屋がちらかっているの」
「いいんだよ別に、力仕事なら手伝いにいくよ」
「大丈夫、私の荷物なんて少ないから、それより、これからどうしようかな」
と言って光る瞳を向けてきたので、寺井は金縛りにあった様な気分になった。



並木の丘 2

2007-01-02 06:37:57 | 並木の丘
「健吾さん、この間はお疲れ様でした」
「いろいろ手伝って頂いて助かりました」
「姉もこれで満足してくれたと思いますよ・・・ところで弥生ちゃんから聞いたのですけれど、再婚の話がでているそうなのですが」
「そうなんです、確かに時期が早いと言われればその通りなんですが、お互いの家庭環境を考えると、今がいいのかな、と考えたものですから」
「お父さんは私の事より、自分の環境を優先しているんじゃない」
「弥生ちゃん、話を聞きましょうよ」
「相手の方は勝野千恵子さんというのですが、6年程前に離婚して、中学一年の男の子と暮らしています。彼女は会社の仕事は半分で、後の半分は、いけばなの師範をしています」
「あら、おはなのお師匠さんなの、姉も習っていたわね」
「ええ、同じ流派でした、私の会社の飾りつけにもよく来ていて、それで会う機会が増えたのですが」
「それはよい才能を持っているわね、弥生ちゃんも教えて貰えるじゃない」
「私、興味がないわ」
「お幾つなの?」
「現在38才です」
「私より一つ下ね、若くていいじゃない」
「叔母さんが家に入ってくれればよかったのよ、独身なんだから」
「なに言ってるの、こういう事は全て縁なのだから。それで具体的にどうするかは考えていらっしゃるのですか」
「弥生の気持ちもよく分かりますので、すぐ結婚して同居するというのではなく、お互い行き来して親交を温めてから検討しようと思い、明日家に連れて来ようと考えていました」
「明日来るの、私いい、まだ会いたくない」
弥生は立ち去ろうとした。
「弥生ちゃん、ちょっと待って、ねえ健吾さん、いきなり家で会うというのも何だから、どこか近くのお店で挨拶する位にしておいたら、今回は」
「そうですね・・・弥生、それなら会ってくれるかい?」
「挨拶位ならいいけど、私行きたい所があるから」


唐木田通り 26

2007-01-01 14:00:25 | 唐木田通り
近くの喫茶店で話を聞くことにした。
「中谷部長代理とは、仕事上のお付き合いが一番多かったものですから、よく飲みにも連れて行って頂きました」
村瀬は達彦と同世代で2,3才年上らしいのだが、気が合うらしく達彦は来る度に彼を専属担当者扱いにしていたので、こちらの社長も商談や接待は任せっきりにしていた。それでも経理上の問題等は全く相談を受けた事が無かったので、営業面だけを託されていたのだと説明された。
「それで・・・仕事の話は大体これで全部なのですが、実は私的な件で頼まれるというか、そういう成り行きになっていった事がありまして」
話が急に進まなくなってきたので、問題点に近づいてきた様だ。
「決して誰にも話さないと約束します」
沢村が再度念を押したので、覚悟ができたらしく話出した。
「5年前に名古屋の短大を卒業して、うちの会社に入社したきた事務員が居たのですが、彼女は頭も良く、来客の応対も如才ないので、社長もとても気に入って、秘書兼接客用としての仕事を受け持たされていました。外見は特に美人という感じではないのですが、控えめで理知的な態度は誰にも好感を持たれ、部長代理も当然彼女を可愛がり、仕事が終わると私と彼女を誘ってよく食事や飲みに行ったものです。彼女は飲んでも普段と変らず、個人的にも控えめな美しさが滲み出ている様で、素敵な女性でした」
「その彼女と、中谷さんが道ならぬ仲になっていった、という事なんですか」
「そうです、私は自分の会社の後輩でもあり、何とか彼女に諦めさせようと、年齢にあった男性と見合いじみたこともさせてみたのですが、一途に走り出した彼女には効果がありませんでした」
沢村は、達彦という男が分からなくなってきた。
たぶん井上と付き合う以前から、若い世間知らずの女性にも手をだしていたなんて、由起子が知ったら・・・とても彼女に話せることではない。