浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

ハンドボール競技を通して(2)

2010-06-07 21:41:55 | スポーツ

昨日は久々にシニアハンドボールチーム(40歳以上)の練習会に参加しました。半年ぶりの練習のため、今日は一日通して筋肉痛でしたが、汗を流すことの爽快感を味わうことができ、精神的にもすっきりとした時間を過ごすことができました。多少なりとも憂さを晴らすことができたといったところでしょう。8月上旬には豊田市で全国から70チームぐらい集まる大会が開催されるため、そのころまでには練習の成果を出すべくきっちり体を痛めつけたいと思っております。体を動かすことは嫌いではありませんが、エンジンがかかるのに時間がかかります。週1回の練習のノルマは果たすことがとりあえず目標です。

いろいろ悩みを抱えますと、ついつい体を動かすこともおっくうとなり、だらだらとした時間を過ごすことが多くなっていました。だらだらとした時間といっても、解決を模索する思考時間であったり(体裁よく言えば)、手当たり次第に本を読んだり、くよくよ悩んでいたりしていたのですが、とにかく体を使って肉体的に疲れさせてみようと思ったわけです。意外と前向きに次への糸口を見つけたり、いたずらに考えることなく行動に移すことによって、新たな展開も生まれるということです。闘争本能を呼び覚ましてくれたのかもしれません。分かっていても動けだせなかった自分を情けなく思っています。

スポーツの効用はいろんな面であると思いますが、何よりも35年前(高校時代)に戦った仲間たちと交流ができる喜びは何物にも代えがたい喜びがあります。「過去」はお金では買えない、だからこそ「今」が大切であるということでしょう。

以上


同質化を求める「日本人」

2010-06-07 08:39:52 | 日記・エッセイ・コラム

西部邁さんの対談集から、宗教に絶対神を見る西欧人と違って、島国で単一民族性にある日本人は、組織に組み込まれた同質性の精神が強いという話に共感をしました。つまり自己の精神よりも組織におもねることが優先されるということです。その中で絶えず個人を廃し、生き延びることが優先される(ゴキブリ的と表現されていますが)社会ではなかったかということです。その意味で江戸時代の社会システムは、まさにその精神を日本人に植え付けたとも言います。そして、その同質化の精神は、平気で人を裏切ることができる、また異質なものを排除する社会を創り上げたということです。一方ではその同一性による組織の強さが、日本の強みとしてプラスに働いてきたことは言うまでもないでしょう。

政治の世界は、まさにその縮図であり、自己の精神性と同質性が揺れ動く過渡期でもあるような気がします。

卑近な例を言えば、今、岐阜市議会の最大党派(24人もいます)である自民党は、二つの会派に分裂しています。その分裂理由や背景は省略しますが、古い体質の自民党員の皆さんは、「最大党派だから仲良く一つになって」と言います。しかし、地方議員の選出は党派よりも地域性や社会活動に大きく影響していることもあり、政党色の濃い議員は少ないといえます。党派だけによる同質性にこだわれば、議員としての活動が制限されたり、何よりも議員個人の信念や理念にかかわってくる重要な問題となります。もはや体制におもねるだけの議員は必要ないのではないでしょうか。そこに議会活性化の原点を見るような気がしているのですが。

以上