近所のお婆ちゃんが亡くなってもうすぐ一ヶ月。
お参りさせて頂いた。亡くなる直前まで話しに
伺っていたので、まだそこにいるようだ。
娘さんが最後まで看取りをした事は私と重なるところも
あり、寂しい思いをしているだろうと気になるので
時々覗きたいと心がけている。
私は母の死後寂しさが治まるまで4年かかった。母と
過ごした隣の家を見る度に、涙が溢れていた。
その上の祖母が101才で亡くなった葬儀の席で、「100才も
超えたんや,昔から高齢者が死んだ時は、お祭りと言う
たもんや。」としたり顔で言った人がいた。
父と共に私達家族はその言葉に腹が立った。家族に
とっては大事な人。年令は関係ないのだ。このお婆
ちゃんももうすぐ103才だった。
そして介護を一生懸命したけれど、悔いは残るものだ。
彼女も本当によく見てあげていたが、「ああして
あげれば良かったと思う事がある。」と悔やんでいた。
私も暫くそんな気持ちだった。でも数年経った今は(周り
の人はよく見ているんだ。人様が「よく看てあげたねぇ。」
と言ってくれたらそれを素直に取れば良いんじゃ無いか)
と思う事にしている。彼女にもそう言った。
お婆ちゃんに「娘さんに看取られて良かったねぇ。
彼女は頑張っているから、大丈夫よ!安心してね。」と
語りかけて帰った。
お婆ちゃんもよく頑張った、娘さんもよく頑張った。
素晴らしい生き様を見せてくれて有り難うね。
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