ジャガランダの花を見たかった事。でもここは有名な
アジサイ園。200万本植えられている。岬なので
回りが海と言うもの素敵だねぇ。一番奥の展望台
から見た入り口付近。凄い広いから遠くに感じる。
一番上のジャガランダ通りになっている。少し遅
かった。散っているのも多かった。少し残念だった。
それでも花は所々残っていた。
サンタモニカの大木とは比べ物にならないが・・・
・・・。それでもジャガランダに逢えて嬉しい!
懐かしい!有難う!
気候が違うから育ちにくいのかも。お陰で間近
気候が違うから育ちにくいのかも。お陰で間近
で花を見ることができた。
中腹から海を臨んで。
ここにも花が少し見える。
景色が素敵!
斜面一帯紫陽花。
中腹から海を臨んで。
ここにも花が少し見える。
景色が素敵!
斜面一帯紫陽花。
途中の木の陰で一休み。そんな中に捻じり花も
見つけたよ。この一休みも口は休まない。しゃべ
りっぱなし。ハッハッハ。
入り口付近には池も有り、睡蓮が3種。
白
ピンク
少し大振りの花。素敵だった。
余りに写真が多いので、2回に分けた。ツアーで一人
でも行こうと思っていたが、みんなと一緒で楽しかっ
た!運転してくれる彼女に、お疲れ様、本当に感謝有難う!
***
先日自分を見つめ直すことがあった。友人から、戦後の
窮乏期を生き抜いた人の、体験記を借りて読んだ。私は
あんまりそういう類の本は苦手。でも、一つ胸にぐっと
来たことがあった。
母親が病気をしていたが、多額のお金がかかるので、親族
会議で治療をするかどうかを話し合ったとの事が書かれて
いた。結果治療して元気になったそうだが。
ふと父が言っていた言葉を思い出した。私はクロマイが
無かったら、今生きていないと。病弱だった昭和25年
生まれの私、その当時保険も効かない高貴薬で、確か
薬袋に、高貴薬と赤い判が押されていた様な記憶がある。
お百姓なので土地こそ持ってはいたが、現金収入は
微々たるもの。祖父母・父母は私の薬代捻出のために、
随分苦労したのだろう。土地も売ったかもしれない。
それに私の枕元にはいつも、リンゴと金平糖があった。
その当時、それはとても贅沢品だった。姉や妹は羨まし
かったと言っていた。今頃感謝してもどうしようもない
が、今の私が元気でいられる事は、祖父母・父母のお陰。
本当に有り難いなぁ。
兄姉妹がいて、何で私だけにみんなの介護をと思う事も
有ったが、当然かもしれない。それでもできる限り介護は
したつもりだが、恩は返し切れていない。
病気一つせず元気だった姉・妹には、祖母を独り占めして、
寂しい思いをさせていたのだと気づいた。申し訳なかった。
生きている間にその事に気がついて良かった!
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