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しとしと雨の降る日曜日、久しぶりに逗子へ出かけた。
駅前の通りはいつも明るい陽ざしが記憶にあるし、通りを越えた先の魚屋さんが海のそばであることを実感させてくれる街だ。
海はやっぱり快晴が似合うが、雨であっても岩場の崖っぷちのレストランは素敵だ。
流木を使ったテーブルや、ヨットの帆布を渡した雨よけ、野外のカウンターなどなどサーファーならずとも胸を掻き立てられる。
崖っぷちを降りて行くと海を見ながら飲食できるベンチスペースがある。
そのうち常連のサーファーらしき人たちが野外のパラソルの周りを陣取る。
今日は、Sくんの追悼ライブの日。
ハワイ音楽を愛した彼はサーフィンも楽しんだようで仲間が集ってきた。
Sくんのご長男と初めて会った私は「お父さんの結婚式に私のバンドが演奏したのを知ってるかい?」と切り出した。
ご長男は大学二年生、音楽サークルでドラムスをやっているという。
Sくん縁のミュージシャンたちが思い思いの音楽を始める。
生前の彼のエピソードを語っては彼の愛したナンバーを演奏する。
さてハワイに住むMさんが昨秋、2歳の愛娘Aちゃんを伴って一時帰国した。
歓迎会でニックネーム「ボン」ことSくんと再会したMさんの追悼メールを紹介しよう。
お葬式の日はボンさんは日本に居るだろうと思い、
次の日に海にレイ を捧げに行ってきました。
岸に押し戻されることもなく、ゆっくり沖に運ばれて行くレイを見ながら、
(ボンさん受け取ってくれたな~)と思っていたら、
Aちゃんが
「ボンちゃん、わ~!ってったね。」
とつぶやきました。
覚えてますか?
Aちゃんが
「ボンちゃ、パンケピン(パンケーキ)、つくっくら~さい(作ってください)!」
と言うと、
その度にボンさんが
「うっわ~~!たまんね!作っちゃうよ、オレ作っちゃうよ~!フライパンどこ!」
と遊んでくれたの。
とっても嬉しかったです。
日本から帰って来てしばらくの間、
Aちゃんはおでこと目の辺りに手をかざして『わ~!』というのがハワイでのブームでした。
(覚えてたんだね)、とちょっと感激しましたが、
もしかしたらボンさんがハワイイに来てくれてて
あみちゃんに『うっわ~』ってしてくれたのかも、、、、
このエピソードをライブの会場で語りかけたNさん、途中で言葉に詰まってしまった。
会場の外で海を見ると夕暮れの上に月が上がり、追いかけるように星が見えてきた。
あれはボンさんがAちゃんのためにパンケーキを作っているのかしら。
いい供養となった一日、安らかに眠れ、Sくん。
NさんとUさんがたった3曲だけど「天へ届け」と一生懸命演奏してくれたよ。
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Herb Ohta, Jr.: "I'll Remember You"
Herb Ohta, Jr.: "Pua Lililehua"
Herb Ohta, Jr.: "Shimanchu Nu Takara"