男は、海洋ロマンに憧れる。
戦時中白い軍服に憧れて海軍に入った男がいて、海軍の若者に惹かれた女性がいた。
戦艦バウンティ号は、小説を読んで以来タヒチのイメージとともに心に残っている。
「月と六ペンス」のゴーギャンに圧倒されていた頃だった。
バウンティ号に関する映画は過去に何回か制作された。
1935年の「戦艦バウンティ号の叛乱」
1962年の「戦艦バウンティ」
1985年の「バウンティ/愛と叛乱の航海」
史実は1789年、英国から「パンの木」を求めてタヒチに向かい西インド諸島に移植する命を受けた戦艦バウンティ号の話。
出航したもののブライ艦長の横暴に堪忍袋の尾が切れた乗組員たちが絞首刑を覚悟で叛乱を起こし艦長をボートで下船させる。
1935年制作の映画はモノクロ、クラーク・ゲーブルが乗組員から信望されて最終的に叛乱の首謀者となる役を演じる。
モノクロ映画は、明暗と濃淡だけで眼に映る全てを表現するわけだから撮影は大変だったろう。
サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへと変遷する映画の歴史は技術と経済の変遷の歴史でもある。
マーロン・ブランド、メル・ギブソンの作品がこれに続く。
興味深いのは、マーロン・ブランドがタヒチの島を購入して私有したこと。
少年の頃から反逆的だったという彼が映画界に入って成功した。
若い頃から人種差別にも反抗的で先生に睨まれていたという。
出演作品を選ぶ、高額なギャラを要求する、セリフを覚えない、共演者に手を出すうえに信条を曲げないところは正に「ロッカー」の生き様だ。
エリア・カザンの「エデンの東」の主役を蹴ったのは、カザンが当時のレッドパージ・ムーブメントに屈服したからだという。
結果、ブロンドを敬愛するジェームス・ディーンが抜擢されたという。
古い映画の商品価値は時代とともに下がっていくが、撮影された映像には興味深い歴史が刻まれている。
モノクロ時代のタヒチの首長はどう見ても白人だし、恋人役も白人だ。
しかし現地の映像やスタジオセットのデザインは、撮影当時の状況を推測するうえで興味深い。
現代に近づけば、時代考証もしっかりしてくるし、メイクでごまかした白人が現地のネイティブを演じることもない。
ただ日本の光景なのに「銅鑼」が鳴ったりするいい加減さはまだ完全に是正されてはいないようだが。
「叛乱」はどこの国でも許されないこと。
主君の仇を討つという「忠臣蔵」はまた論理の異なる話だが、人の心をつかむ意味で似ている。
映画館に足を運ぶような映画ファンではない者にとっても、時代時代で制作された映画の中に垣間見るメッセージには関心がある。
キューバのカストロ議長とアメリカのオバマ大統領の会談の報道を見ながら、白人でありながら人種差別との壁に立ち向かった大物俳優がアメリカにいたことを再認識した。
キューバと米国の国交回復は、近年のビッグニュースだ。
Mutiny on the Bounty - Dance scene on Tahiti
The Bounty Love Story, Brando and Tarita 1962 Bronislaw Kaper
The Brando on Tetiaroa.mp4
Marlon Brando "Welcome to my island Tetiaroa"
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