夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ユイユイ

2015年12月15日 | クラフト


ポンキッキーズの子供向け音楽には佳曲がある
ユイユイシスターズの「ユイユイ ユイマール」はのちにカセットテープを入手してしまったほどインパクトがあった

「ユイ」は「結」、助け合いの精神とでもいうのか
茅葺の屋根を葺く時に周辺の住人がみんなで協力して手伝うという慣習は本土でも行われてきた

一人でお仕事大変ね、みんなでやれば楽しいよ、と言った歌詞が明るいリズムの上でさらりと歌われる
聴いただけで沖縄を感じるモダンなメロディを山川という女の子が歌う、作曲した知名定男さんという人を認識した曲だった


沖縄本島の北部に「共同店」という生協のような共同仕入、販売のシステムがあるという
生協やスーパーと大きく異なる点は、売り上げの一部が町に還元されるようだが、「組織として利益を目的としていない」点だ

終戦後、沖縄に資本主義社会がやってきて金儲け一辺倒のビジネスに住民は戸惑いを隠せなかったという
金儲けが第一の商売はもともと助け合いの精神で生活してきた人々の心をつかめず成立しなかった

そこで「よろず屋」機能を持つお店が必要となり、沖縄各地で「共同店」ができたようだ
生活に必要な商品を仕入れ販売する、少々高くても一軒しかないその店で人々は買っていく

本土における「よろず屋」も元来そういう地域のニーズから生まれたのであろう、少なくとも利益至上主義の経営を目指したわけではなかった
資本主義のメカニズムは、今や旧共産圏の外貨獲得とバブル経済の恩恵を与えて「爆買い」現象を引き起こしている

事業経営に成功した経営者が地域に貢献しようとすることがある
事業が成功したのは地域のおかげであり、地域に向けて何らかの貢献、お返しをしたいというものだ

いつも例にあげる太平洋諸国への大戦までの日本の接し方、それまでの植民地政策を推進してきた欧米先進国は伐採し収穫して持ち帰るだけで現地は荒れ放題
日本人は現地の人々の将来を考えて林業なり農業、漁業なりを指導し自立できるように手助けしてきた


今、外交官杉原千畝さんの映画が興行されているらしい
大戦中の日独伊三国同盟の中にあってリトアニアでの難民救済のためのビザを自らの責任で発給し6000人の人々を救った史実だ

医者になれという父に反発して早大に進んだが、仕送りがないため中退して外務省の官費留学生の道を選んだという
ロシア語など語学に強く事情通であったこと、キリスト教の洗礼を受けたなど、日本軍部からの要請と自らの信念との板挟みにあった

しかし本国からの指示に反して自らの責任でビザを発給して人の命を救う
救われた人々が礼を尽くすため日本に来ようとしたら、命令に反した外交官は冷遇されていた

河野洋平氏によって後年杉原氏の名誉は回復されたらしいが、日本人の叡智と愚かさ、正義への信念と事なかれ主義が史実として残った
先日久しぶりに耳にした「徳を積む」という言葉が、対岸の宗教世界の話ではなくて、生きるか死ぬか目の前のことであることを思い知る

「結」沖縄に行ってみたくなってきた

ユイユイ

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