夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

茗荷の花

2015年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム


ほとんど陽の当たらない茎葉の下に白い花をつけた茗荷を見つける。
見つける喜びが味わいたくて探し続ける。

市販の茗荷はおそらく農家が温室で栽培している。
びっしり茗荷の芽が敷き詰められた苗床のようなものがJAの店先に並ぶことがある。

これを植えればさぞかし茗荷には不自由しないだろうと植えてみる。
ところがそうは問屋が卸してくれない。

花のついた茗荷の甘酢漬けにチャレンジしてみた。
ほんのり赤みがさした茗荷に甘酢、寿司ネタとして「Good」だ。

「茗荷を食べると忘れっぽくなる」という言い伝えはお釈迦様のお弟子さんの一人に由来するらしい。

自分の名前も忘れてしまうお弟子さんに名札を付けたが、それも忘れてしまった。
「名を荷って苦労した」彼の墓に生えてきた草に、「茗荷」と名付けたそうだ。

ついでに大陸からやってきた生姜と茗荷、
香りの強い方を「兄香(せのか)」弱い方を「妹香(めのか)」と呼んだことが語源だとか。



音楽の世界では、意外なものを珍重する、いわゆる「レアもの」だ。
ネットが普及していなかった頃、チェット・アトキンスが弾くスラックキーを聴きたくてLPレコードを探した。

ようやくレコードが手に入った時の喜び、よ。

スラックキー・ギターはハワイで生まれたオープン・チューニング奏法。
ファミリー以外には教えなかったこともあって知られていなかった。

60年代以降ビーマーやレナード・クァンの教本が出るまでは口伝だったろう。
そして何と言ってもギャビィ・パヒヌイの演奏が衝撃的だった。

70年代日本でも意外な(?)人がスラックキーを紹介して驚いた。
加藤和彦さんとか、細野晴臣さんに至ってはアルバムにレコーディングしている。


チェット・アトキンスは学生時代、Y君が眼を輝かせて奏法を教えてくれた。
リードギターとサイドギターなどバンドをやっていた者にとって、ベースからコード、メロディまで一台のギターで完結する奏法が新鮮だった。

あらゆる音楽を様々なミュージシャンと楽しむ、探究心がまた尊敬を集める。
つまり音楽で会話をしているから、その会話を聴いてみたくなる。

マーク・ノップラーとのセッションは何回見ても飽きない。

ミュージシャンは信頼のおける仲間を求め、求め続けるもの、、か。



Chet Atkins - Pu, Uana Hulu (Remembering Gabby) Live 1996

Chet Atkins performs "Hawaiian Wedding Song"

Chet Atkins "Hawaiin Slack Key"

Mark Knopfler & Chet Atkins - Instrumental Medley

ジョン・ボイズ・レストラン

2015年07月20日 | 音楽


梅雨が明けたら台風、異常な暑さの中雷で交通機関が止まったある日、武蔵野美術大学へ向かう。
中村とうようさんが寄贈したコレクションを展示する美術館にはお昼時から人影がある。

展示スペースにはアジア、アフリカから集められた民族楽器、レコード、CDが並び、モニター画面には関連する映像が映し出される。
午後5時半からのコンサートのための入場整理券は午前10時から配布され、200席あるホールは満席、立ち見と場外のモニターで視聴される方がいた。

「ミュージックマガジン」誌の創刊で知られる中村とうようさんは、洋楽に加えワールド・ミュージックを俯瞰する総帥でもあった。
ソル・フーピーがお好きと伺ったように古いハワイアン・ミュージックに親しみを持っていらしたようだ。

スラックキー・ギターを全面に取り入れた我々のLPレコードのCD化に際して「ボクはよくわからないんだけど」という前置きをされたのが印象的だった。
しかし音楽評論のレジェンドとしての立場と、ワールドミュージック全般を見渡したうえでのハワイ音楽観をお持ちであったように思う。

会場の聴衆の大半はおそらくとうようさんファンと思われる年配の方が目立つ。
トップバッターの我々「The Pineapple Sugar Hawaiian Band」は、お好きであったと言われる「ラ・パロマ」をスラックキー・ギターで演奏した。

控え室には久しぶりにお会いするサンディー、親指オーケストラと言われるカリンバのサカキマンゴー氏、アラブ、ショーロの音楽の皆さんが集う。
5時半から始まったコンサートは9時にサンディーのボーカルで全員がスタンディング、ダンシングでフィナーレを迎えた。


打ち上げ会場へ向かう途中、年配のご夫妻から声をかけられた。
「私たちのお店に来たことがありますか?」と、、、、お店とは?

なんとお店とは早稲田にあった「ジョンボイズ・レストラン」というではないか。
お二人は経営者のMさんご夫妻だった。

アパートの一階を改造したカントリー風パブは、引き戸を開ければ畳敷きの和室が見える。
ここに出入りしていた当時高校生のH君から誘われてバンドメンバー4人が何の予備知識もないまま訪れた。

10人程度の常連さんと思しき人たちが待ち構えてくれてバーボンを飲んでいた。
楽器を持っていかなかった私のために確か大きめのベースアンプとベースを運んできてくれた方がいらした。

フラットマンドリンを抱えたTさんがウクレレとセッションを始める。
スラックキー・ギターをメインにしたダカインサウンドを演奏し始めると、食い入るように聴いている皆さんの心臓の鼓動が伝わってくるようだった。

Mさんによれば、この時聴いたことがない音楽を聴いて鳥肌が立つような時間を過ごしたという。
そして久保田麻琴さんとサンディーに電話したそうだ、
「日本人でこんな音楽を演奏するバンドがある」と。

その次のライブの時にお二人がやってきて、紹介も何もないまま座敷でサンディーがフラを踊りはじめた。
以来「South Linkan Polynesian Revue」と「Pineapple Sugar Hawaiian Band」のセッションは座間や横田などの米軍の基地を中心に行われることになる。

この早稲田での遭遇はご夫妻、常連さんにとっても、我々にとっても衝撃的なことであった。
頼んでもいなかった料理が目の前に出され、美味しくて完食した感じだろうか。

いや演奏した我々にとって地面に水が吸い込まれるような聴衆との一体感は、その後のバンドの音楽観に大きな影響を与えた。
言葉でなく音楽を通じて会話ができた体験ということだろうか。

イベントの実行委員長湯川れい子さんとお会いできご挨拶もできた。
そして古くからのおつきあいOさんとの再会などなど充実した1日だった。

割とお近くに住んでいらっしゃるMさんご夫妻に、また何処かで「ジョン・ボイズ・レストラン」を開業していただけないかと勝手なお願いをした。
当時の常連さんたちからも同じオファーがあるという。

快適な空間とは、求める側と提供する側の価値観が一致していることをいうのだろうか。
板張りの空間でバーボンをいただく、、、懐かしい。。












Rockelbel's Canon (Pachelbel's Canon in D) - 4 Cellos - ThePianoGuys

Johann Pachelbel Canon Piano (George Winston)

チャーハン

2015年07月18日 | 食・レシピ



町中の中華料理店で出されるチャーハンが美味しいと思う時がある。
カウンター越しに中華鍋を振る料理人を見ているとこの人はどういう修業をしてきた人なのだろうかと空想に耽る。

食の世界が興味深いのは、セオリがあってレシピがあって、素材があって料理人のセンスがあるから、か。
創作、工夫、アレンジ、反復というキーワードは音楽にも通じる。

ミュージシャンは食いしん坊が多い、ような気がする。
演奏そのものに負けず劣らず「打ち上げ」に腐心するのは、ニンジンをめがけて疾走する馬のようでもある。

合宿など共同生活をすると各人の嗜好や性格が良くわかる。
音楽をする楽しみに加えて酒を酌み交わしながらああでもない、こうでもないと学生時代のように話題に興じるのが楽しい。


オイルショックの急ブレーキがかかった日本、就職が困難だった頃、料理人の道へ向かった彼を思う。
国立大の工学系の学部を出て技術者の道を目指し大都会へ出てきたものの、あてがわれた仕事は現場監督の見習いだった。

上司や先輩からしごかれて、現場では元請業者からの制約を受けながらのプラント事業。
技術者への憧れとは程遠い現実を毎日突きつけられる。

一日の終わりを労ってくれるのは同期という友と酒。
酒が好きだから料理をやることになる、それは至極当然の成り行きか。

建設業界は何と言っても明治以降の経済界をリードしてきたし、会計の世界でもレジェンドだ。
最先端の技術革新を担う場面と逃げ場のない肉体労働との狭間で喜びも悲しみも味わう。

独身を貫いていた先輩格の方から「明日は有給休暇をとって朝から飲む」と聞いて吹き出してしまったことがあった。
親しく話したことはなかったが、何か「男気のある面白いヒト」だった。

結局その方は会社を辞めて居酒屋チェーン店に転職された。
なんとなく魅力のある人だったので、おそらく独立開業され一国一城の主人となって成功されたに違いない。

「食」の世界の厳しさも素人ながら感じる。
「素材にこだわる」だろうし「見る目」がなければこだわりようがない。

短時間で料理を仕上げる。
素材を見てレシピを頭の中で組み立てて、作りながら片付けながら、、、

チャーハンは難しい、
嗚呼。




本気(マジ)チャーハン 織田調理

一流シェフが教える家で簡単パラパラチャーハンの作り方!菰田欣也の激うまチャーハンレシピ

鉄人を超えた料理人「程一彦」に学ぶ「鉄人チャーハン」料理教室(前半)

鉄人を超えた料理人「程一彦」に学ぶ「鉄人チャーハン」料理教室(後半)

名も知らぬ遠い彼の地で

2015年07月17日 | 音楽


マーチンのガットギターを使う人は少ない。
人通りの少ない裏通りの小さな楽器店で見つけた時、まるで探し求めていた恋人に出会ったような感動があった。

自転車とギターを扱っていたユニークなお店は今はもうない。
アメリカから買い付けてきたマーチンを主としたギター類は目を惹くものが多かった。

ハワイアン・コア・ウッドやハカランダでできたいわゆるレアものは、楽器そのものが人を呼んでいるような発信力がある。
弾き込まれたマーチンはリペアを要する状態だったが、希少性だけでも十分価値を見出せる。

このギターはちょうどガットギターを探していたMさんに紹介して彼女の宝物になった。
ウィンドショッピングで見つけて紹介した楽器の多いことよ。

ウィリー・ネルソンのボロボロのガットギターは彼のトレードマークとして有名だ。
とても豊かな音とは言えないサウンドは、しかし味がある。

そして語りかけるような歌が心に響く。
広大なアメリカで焚き火を囲んでバーボンを傾けながらポツリポツリ歌が出てくる光景を想像してみる。


さてリクエストがあってシェリル・クロウを取り上げた。
ギブソンの大きなギターから出てくる音を聴いていると、「ドロップD」チューニングだなとわかる。

昔このチューニングを気に入っていたこともあって5弦、6弦の強力な響きを聴けばうなづける。
おそらくこのチューニングで弾きながら出来上がった作品ではないだろうか。

この曲を「ドロップD」で弾くギターと、ウクレレで弾いた場合のサンプルを聴いてもらった。
そしてシェリル・クロウとウィリー・ネルソンのデュエットを聴いてみた。

名も知らぬどこか遠くの彼の地で、と思いを馳せるワルツが素晴らしい。

2013年のデュエットアルバム「To all the girls」
聴いてみたくなってきた。

「♪Far away places
  Callin' Callin' Me ♪





Willie Nelson & Sheryl Crow - Far Away Places (2013)

Sheryl Crow - Every Day Is a Winding Road - live - 2002 - lyrics


Emmylou Harris, Mary Chapin Capenter & Sheryl Crow Flesh And Blood

Willie Nelson & Sheryl Crow - "Far Away Places" (LIVE HD)

Crazy - Willie Nelson and Sheryl Crow

ヴィンス・モンタナ

2015年07月16日 | 音楽


銀座ケントスに行った。
聴きに行ったのでなく演奏しに行ったのでもなく、人を迎えに行ってきた。

10階建てビルの9階へは苦手なスケルトンのエレベーターで上がる。
入り口の厚手のドアを開けるとステージを囲むようにテーブルとイス席が並ぶ。

ライブスポットの構造はどこも似たようなものだが、「ちょうどいい大きさ」というものがある。
おそらく150席くらいを超えてしまうとそれはコンサートホールに近くなってしまうのではないだろうか。

ステージには見慣れたベテランボーカリストをサポートメンバーたちが取り囲む。
今回はエレクトリックベースとドラムス、ピアノ系担当の男性とストリングス系担当の女性のキーボード、バックコーラスの方、、

立っているのが大変なくらい食いしん坊を自認するボーカリストから出る声は大きい。
ちょうどいい音圧のドラムスや楽器による手慣れた演奏でステージが進行する。


さて70年代に一世を風靡した「スリー・ディグリーズ」の映像を眺めていたら「MFSB」が出てきた。
TV番組「ソウル・トレイン」のテーマソングを演奏する「MFSB」とは投資商品の名前ではなく「Mother、 Father、 Sister & Brother」の略。

このスタジオ・ミュージシャンたちを取りまとめアレンジしてコンダクトしていたのが「ヴィンス・モンタナ」
小気味好いアドリブを展開するヴァイブ奏者だ。

黒人女性グループの強烈なボーカルを前面にストリングスやベース、ラテンパーカッションを散りばめた演奏はスリリング。
その仕掛け人がヴィブラフォン奏者だったと知って妙に感慨深かったものだ。

「TSOP」「ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア」と称されたサウンドはウキウキするようなリズムの上でブラスやボーカルが華やかに舞う。
恋人とデートする前のときめきを感じさせるような音楽は若者の心を捉えた。

アレンジの力とセンスの良さ、スタジオミュージシャンたちの軽妙洒脱な演奏、、、
「ウン、あれは良かったね、」と彼らの会話が聞こえてきそうだ。

ソウルミュージックとビブラフォン、意外な組み合わせと思ったが、パーカッショニストだからこそできたアレンジだったのかもしれない。
ストリングスやホーンを一つのリズム楽器単体として捉えてグルーヴに参加させる。

おしゃれなサウンドは洗練され大人の音楽として昇華する一方、その後ロック色を強めた新たなジャンルが注目されて行ったのだろう。
「スリー・ディグリーズ」の爽やかなお色気とコーラス、青春の一コマを見るようなサウンド、懐かしい。




-The Three Degrees- -When I will see you again-

"You Know How Good It Is - One More Time V.M.J." - Vincent Montana, Jr. (1990)

The Three Degrees - Dirty Old Man

TSOP (The Sound Of Philadelphia) [Original 12" Version] - MFSB featuring The Three Degrees (1974)