秋の紅葉の豪華さを想定しながら青モミジを楽しんだ!
何故か若者で溢れかえっていた・・・その人気の訳は何だろう!
皆 熱心に写経していた。
庭のコケ
八瀬から大原辺りの山にだけ見られたマタタビ・・・葉が白化している。
開花の時期でもあるようだけど、残念ながら気付かなかった。
途中越えで滋賀県に入ると、マタタビは見られなかった。
秋の紅葉の豪華さを想定しながら青モミジを楽しんだ!
何故か若者で溢れかえっていた・・・その人気の訳は何だろう!
皆 熱心に写経していた。
庭のコケ
八瀬から大原辺りの山にだけ見られたマタタビ・・・葉が白化している。
開花の時期でもあるようだけど、残念ながら気付かなかった。
途中越えで滋賀県に入ると、マタタビは見られなかった。
滋賀県彦根市松原町・・・湖岸道路の彦根城を通り越して少し進み松原町の信号を左手に入るとすぐに、市が管理しているお浜御殿がある。
名勝旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)
昔は琵琶湖の水が池に流れ込んでいたそうですが、湖岸は埋め立てられて建造物が並び水路は遮断されていて、池は枯れてしまっている。
朽ちかけた建物から御殿の面影は伺えないけれど、手入れをしますと受付に居られた担当の方の説明を受けました。
11代当主 井伊直中により1810年に琵琶湖岸に造営された下屋敷と記されています。
紅葉の時期を過ぎて落ち葉も色あせていて、荒廃した御殿は悲哀に満ち溢れていました。
お屋敷の中にも入れず、横手から裏手の荒れた庭園を眺めるだけの見物でした。
恵那市岩村城跡麓に広がる城下町は、電線が地下を通り、昔ながらの風情が保たれた静かな佇まいだった。
一番驚いたのは銀行の建物、一番古風に感じられた。
銀行
なんじゃもんじゃの木
海抜717mに位置する日本3大城に数えられているという山城、
1221年築城・1871年廃城と記されていて、今は苔生した石垣と姫城主の悲運の歴史が伝えられている。
昔の名残を残す城下町、電線が地下に潜っていて街並みが美しい。
おはようございます。
今朝も4時に目覚めてブログ更新が出来たことを悦びとして、お蔭さまに感謝します。
何事も無く無事である時「おかげさまで」と言うのは「いつも陰に守られていると言う事だと、遠い昔ご住職さまに教えられました。
道なき道を汗して登る時、吹く風が爽やかな涼感で体を包んでくれる。
無心で登る山の快適感って素晴らしい!
①
②
③冬の花ワラビ
④ ツルアリドオシ 「何の草花?掲示板」で紅い実の名前を教えていただきました。
⑤ ホツツジ
快晴の下、行く先は小谷城跡へと「元気会」のメンバーは乗用車2台で出かけた。
どうも最高齢者は私だったようだけど、好奇心旺盛なのも私だったようで、大獄城まで行きたかったのに行かない人が半数いたため、三王丸の地点までとなった。
その代わり眺めの良い場所があるとの写真が木の枝に貼り付けてあって、九十九折の道なき道をズルズルと下ってゆくが先が見えない。
下った分だけ元の場所まで登るのがまた大変な苦労で、足腰の力が入らないところは、膝を突いて這い登った。
どうしてこんな険しい山中にお城が建てられたのだろうと、そのご苦労を思いながらの史跡めぐりだった。
疲れを癒すために「須賀谷温泉」へ行き、弧蓬庵の庭園に咲くリンドウを愛でての日帰り旅となった。
今朝起きて足腰が少し痛いが、明日明後日もっと痛くなるのかどうか・・・・・足腰をもっと鍛えようと思った。
因みに万歩計は昨日も6,000歩あまりで終わっている。
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観光船に乗って湖からの海津大崎を見てみました。
春霞+曇天+PM2・5+花粉?何故だか解かりませんが殆ど琵琶湖の風景は霞んでいましたが、でも琵琶湖って広いんだなぁ~と嬉しくなりました。
大津市大石富川町にある阿弥陀三尊不動明王磨崖仏、40メートルの高い花崗岩の岩壁に彫られた見事なお不動さま。
心から手を合わせたくなる素晴らしい磨崖仏でした。