サクラ色に染まる河川で車を止める。
先週の日曜日は9,500人ほどの来場者があり、駐車場に入りきれない車が道路に溢れていたと警備の方から聞きました。
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩ 駐車場の片隅に咲くスミレ
ブログ友のtakayanさまが掲示板へいなべ梅林で撮影された作品を届けてくださり、私も行きたくなりました。
曇り空で迷いもありましたが、なにせ地理に疎い私ですから珍道中をしてきました。
とても素敵なところでした・・・・・あ~しんど!
庭の片隅に人知れず咲く真っ白なお花、フヨウカタバミと言う名前が解かりました。
植えたわけではないけれど静かなる命、健気に生きています。
やはりお日さまが好きで朝夕はお花を閉じています。
雨の日も閉じています。
夢の花道を歩いていると雨になる
雫の宝石は私の宝物
甘~いサクランボは鳥さんの宝物
サクランボが赤く色づいてきたら一粒だけほしいなぁ~
雫の宝石と取替えっこは駄目かなぁ~
傘を持っているからピントが合わないけれど
雨が好きだし お花も好きだし
昨日は蕾だったサクランボのお花がこの雨で目覚めたから
甘~いサクランボになる夢を抱いてるサクラを写しましょう
ご褒美は雫の宝石・・・・・アリガトウ
平安時代の絵物語り
あいの土山にて、遥かなる千年の悠久の時代を再現
古都平安京から伊勢斎宮までの斎王の群行で、土山垂水頓宮が5ヶ所の宿泊地の一つとなっていたようです!
雅な行列なれど山深き鈴鹿峠越え、想像を絶する困難な旅だったのではないでしょうか。
今日は瀧樹神社のユキワリイチゲの撮影と斎王群行のお祭りを見るために、6,000歩 歩きました。
お蔭さまで元気を頂いています!
病弱になってから足が遠のいていた実家のお墓参りに福知山へ・・・・・実家は跡形も無く街は様変わりしていて昔の面影は無い。
里子に出された母に身内の縁は無く戦死した夫(私の父)の身内との縁も遠のき、家の跡継ぎを放棄した私が居るだけだから、義理の祖父母と母と兄と弟2人が眠るお墓が残っているだけの故郷。
父は太平洋で壮絶な戦死を遂げていてお墓に遺骨は無く、海の藻屑となっている。久しぶりのお墓には笹が蔓延っていて哀れを誘う。近くで購入してきた鎌と剪定バサミで笹を取り除きながら墓石に何度も謝っていた。とりわけ几帳面だった母がきっと荒れたお墓を嘆いていただろうと思うから、午後3時半まで念入りに枯葉など取り除く。初めは風雨が激しく傘もさせない状況だったが晴れてきて作業が楽になっていた。何時もながらの失敗が一つ・・・・・お供えするお花一対をスーパーで落としてきたことに気が付いていなかった事。おいしいお水のボトルが重くて傾き、軽いお花が落ちたようだった。念のためスーパーの店員さんに「お花の落し物は届いていませんか」と聞くと、事務所へ問い合わせてくださり、心優しいお方が届けていてくださって受け取る事が出来た。
お寺に実家の立ち退き料を納めて先祖の供養をお願いしてあるけれど、お墓は私が死ねば無縁状態になるであろうから、出来るだけ足を運ぼうと思う。縦貫道路が繋がっていてバイパスを走れば時間は短縮できるけれど、視力の衰えで気分が悪くなって途中から国道へ降りてしまった。
お墓掃除を終えて今度は日本海への道を選択、綾部・舞鶴・高浜・小浜へと走った。海が父との接点だからどうしても行きたかった。高浜辺りでようやく日本海が見えてきた。荒れていたが心和む。
車を止めてシャッターを切る。夕方だから写真は鮮明ではないけれど海を見るだけで満足感に浸っていた。初めて走る27号線だから小浜に入ってからコンビニの店員さんに滋賀県に入る道を尋ねた。10分ほど走って「三宅」の信号を右に行くと滋賀県に入ると教えてくださった。朽木の山中はさすがに吹雪き、道路も白くなってきて少し不安に襲われたがなんとか高島に出た。白髭神社辺りから凄い猛吹雪で白い車線も前も見えない状態で車のライトも暗くて必死で走った。でも思ったより早く帰宅できた。
高浜辺りで息子に「お母さんに何かあったらいけないから、貴重品の内容だけお知らせ」の電話を入れると、「縁起の悪い事言わんと無事に帰っておいで」との返事、頑張って帰ってきました!
福知山城
27号線、高浜-小浜辺りから眺める日本海
思い出を消せる消しゴムは無いだろうか
戦争が、生まれ来て18年間の思い出を醜く腹立たしく苦痛に変えてしまった
心のケアなど誰もしてくれない時代だったから
怒りを抑えて生きてきた
そんな故郷のお城が甦っても何だか余所余所しい
想い出は・・・父に抱かれた写真が1枚あればそれで良い。