戦没者特別弔慰金なる制度で年5万円、5年を区切りとして交付されることになっている。
ちひろもその対象者として昨年8月に滋賀県○○市へ申請した。
新年度になって地域の対象者には交付されているが京都から移住した為市から県へ回され京都府福知山市まで回されて遅くなると市の福祉課から説明を受けた。
念の為、昨日福知山市へ問い合わせてみると,福知山まではいかずに京都府止まりとの事、京都府庁へ電話してみると今年3月に滋賀県から受け取り決定はしているが、
証書の作成をしてちひろの手に届くのは9月ごろになるだろうと説明を受けた。
では滋賀県庁で丸々9ヶ月(7ヶ月に訂正)留まっていたことになる。
県庁へ電話で問い合わせてみると、滋賀県在住の対象者は早くできるが他府県の対象者の分は遅くなるとの回答、コンピューターの時代になぜそんなに時間がかかるのか解せない。
そして前回、10年前の時は締め切りを過ぎているから申請できないと撥ねられたが、市からのお知らせは一切なかったので知らずにいた。
京都府の職員さんは市からは必ずお知らせすることになっていると教えていただいたが、滋賀県では知らせることはなく広報で知らせているとの事、後期高齢者には何とも冷たい行政であることを実感させられた。
それにしても今年の9月ごろまでは元気で生きていないと戦没者特別弔慰金をこの手に受け取ることは出来ない。
父はトラック島で餓死させられて母子は貧困に喘ぎ生きてきた戦争犠牲者であるのに、遺骨さえ戻されず形式だけの靖国神社へ政治家たちに参拝してもらっても、無意味に思うだけである。
それにもまして前記したように1年以上も待たされる冷たい対応は心穏やかでない。
コンピューターの時代に解せない滋賀県の対応、戦没者の遺族はもう後期高齢者なのだ!
心はむかむかしていても今朝の裏庭には癒しの空間が広がっていた。
クモの営みと朝日
ブルーベリーが育っている