2019-9-15
自治会で敬老祝賀会が行われて招待された。
昨年はお赤飯が無くなり今年は紅白のお饅頭もバームクーヘンに変わっていた。
市長代理のメッセージとまちづくりセンター会長などの挨拶の後、食事とビンゴゲームそれで終わり。
数え年88歳の女性は米寿のお祝いは数え年か満年齢かどちらだろうと訪ねておられたが、今年は米寿にお祝い金は無くなったのではないかと役員さんの弁。
殆ど形式に過ぎない祝賀会と長生きしてもわずかな祝い金さえも削られた敬老会。
99歳か100歳で1万円ぐらいの祝い金だと噂されているけれど、私たちが百歳の頃には後期高齢者が巷に溢れて祝賀会はどうなっているのだろう。
昨日は50人ぐらい対象者があっても19人の出席だった。
他の地域ではすでに敬老会が廃止に成っているところも出てきた
敬老会とはお年寄りを敬う意味だけれど、私たちの住んでる市では免許証を返納したら買い物に出かける交通は1時間に1本ぐらいのバスがあるだけ。
足腰が衰えてくればバスにも乗れないし、タクシー代は京都などに比べてびっくりするほど高い。
75歳以上の病院の診察代が1割から2割負担になるとかの噂、
先行き不安に包まれた高齢化の時代が目前にある。
「敬老会」確かに仰る通りですね。
でも、もう80年も生きているとあまり深く考えないようにしています。わたしも敬老会には75歳からお誘いはありましたが、まだまだ山の友達や飲み友達がいて「敬老会」に参加する暇もなかったので昨年から79歳で初めて参加した次第です。
敬老会が亡くなれは゛それはそれでいいと思っていますし、残る人生を他人に迷惑をかけない程度で毎日を楽しく生きて行きたいと考えています。
コメント有難うございます。
「残る人生を他人に出来るだけ迷惑を掛けないで楽しく生きる・・・」大半の方はそのお考えだと思いますし、私もそんな気持ちで良きられたら幸せなのですが、子供を産み育てた責任から次世代に少しでも良い環境良い市政を残す努力(運動)に微力を尽くす生き方(道)を歩いています。
これは戦争遺児として「平和」とか「命」「公平」などを基本の生き方・・・育った弱者の環境から芽生えた抵抗でしょうか( ^ω^)・・・
次世代は誰もが幸せな環境に生きられますように…と、願っています。
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