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<避難解除>「見守って」墓前に報告

2015-09-06 09:52:03 | 原発
河北新報より転載

<避難解除>「見守って」墓前に報告

 平穏な暮らしを奪われ、町を追われてから4年半。東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県楢葉町の避難指示が5日、解除された。町は新たな一歩を踏み出すが、再生への道はなお長く、平たんではない。町民はそれぞれの「4年半の重み」を胸に、節目の日を迎えた。

 斉藤朋子さん(57)は5日朝、楢葉町の自宅近くの寺で、孫の小学4年馬上日菜さん(9)と昊太ちゃん(3)の手を引いて、墓参りをした。8月7日に84歳で亡くなった実母根本フミ子さんが眠る。
 「ばあちゃん、来たよ」と昊太ちゃん。斉藤さんは「解除になったよ。もう、いつでも気兼ねなく楢葉に帰って来ていいんだよ」と報告した。日菜さんも「見守っていてね」と手を合わせた。
 フミ子さんは斉藤さん夫妻、日菜さんら斉藤さんの長女家族といわき市に避難。一緒に楢葉に戻ることを待ち望んでいた。7月下旬までは元気で、準備宿泊で楢葉にも泊まっていたが、急に体調を崩した。
 解除されたが、町内で小学校が再開しないため、まだ全員そろって楢葉で暮らすことはできない。「でも、(母は)避難指示が解除されたことを喜んでいると思う」と斉藤さん。
 4日夜、斉藤さんの楢葉町の自宅には夫妻と長女の家族4人、次女の家族5人が集まった。総勢11人。フミ子さんと一緒に「その時」を迎えるためだった。庭でバーベキューを楽しみ、町が開催した「キャンドルナイト」も見に行った。
 5日午前0時。皆で仏壇に線香を上げた。「間に合わなくてごめんね。1年でも2年でも楢葉で生活させてあげたかった」。斉藤さんは涙が出た。
 楢葉は、規制のない町に戻った。斉藤さんは「解除は一つの節目。自由になるのはいいこと」と思いながらも「学校が再開しなかったり、医療機関がなかったりと、中途半端。心の中にもやもやが残る」と打ち明ける。
 4年半に及んだ避難生活。斉藤さんは墓の前で、フミ子さんに語り掛けた。「今までご苦労さまでした」


母の墓前で孫と一緒に手を合わせ、避難指示の解除を報告する斉藤さん(中央)=5日午前9時30分ごろ、福島県楢葉町

関連ページ:福島社会
2015年09月06日日曜日

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