河北新報より転載
<仙台いじめ自殺>何度、夢で抱きしめたか
いじめを苦に仙台市泉区の館中1年の男子生徒=当時(12)=が自殺した問題で、男子生徒の両親が21日、初めて奥山恵美子市長と面会した。両親はいまの心境をつづった手紙を市長に手渡し、つらく悲しい思いを抱き続ける遺族の立場に理解を求めた。両親の許可を得て手紙の内容を紹介する。
今も発表して良かったのか、考える時がある。市教委に非公表をお願いしたのは死亡直後の混乱期。その後、(市教委から)「発表したい」との言葉は聞いたことがない。(いじめと自殺の関連を認める)答申を頂いた6月中旬、「市長が発表を望んでいる」と聞かされた。
市長の意向で発表に至ったが、直後から「遺族の意向」を繰り返し、市長も市教委も私の背中越しにしゃべっているようだった。私たち家族を守ってくれることはなかったし、逆に私を盾にしていると思った。
結婚後、なかなか子どもができなかった私たち夫婦にとって、1年間の不妊治療の末、ようやくできた大切な大切な息子だった。小学校まで活発でユーモアがあり、人気者、優しい人、かっこいい人のアンケートで上位だった。夢は宇宙飛行士。家族に料理を作ってくれる優しい子だった。
中学校に進学し、あれだけユーモアがあった息子から笑顔が消えた。「転校したい」「部活を辞めたい」と話し、突然私たちの前からいなくなってしまった。
搬送された病院で人工呼吸器を付けられ、8種類の点滴をした。一緒に帰れると思っていたが、最後は看護師さんと一緒に冷たくなった息子の手を洗った。耳元で最後まで「学校と部活に行かなくてもいいからね」と言い続けた地獄のような1日だった。
今も毎日毎日苦しくて、悲しくて悔しくて…。息子の笑い顔がフラッシュバックして涙が止まらない。何度、夢で抱きしめた事か。できることなら、今すぐにでも息子の所に行きたい。
それでも私たちは悲しみや苦しみを胸に刻みながら、家族で生きていかなければならない。市長なら、被害者家族の苦しみをほんの少しでも知ってほしい。
関連ページ: 宮城 社会 いじめ自殺.
2015年12月22日火曜日
<仙台いじめ自殺>何度、夢で抱きしめたか
いじめを苦に仙台市泉区の館中1年の男子生徒=当時(12)=が自殺した問題で、男子生徒の両親が21日、初めて奥山恵美子市長と面会した。両親はいまの心境をつづった手紙を市長に手渡し、つらく悲しい思いを抱き続ける遺族の立場に理解を求めた。両親の許可を得て手紙の内容を紹介する。
今も発表して良かったのか、考える時がある。市教委に非公表をお願いしたのは死亡直後の混乱期。その後、(市教委から)「発表したい」との言葉は聞いたことがない。(いじめと自殺の関連を認める)答申を頂いた6月中旬、「市長が発表を望んでいる」と聞かされた。
市長の意向で発表に至ったが、直後から「遺族の意向」を繰り返し、市長も市教委も私の背中越しにしゃべっているようだった。私たち家族を守ってくれることはなかったし、逆に私を盾にしていると思った。
結婚後、なかなか子どもができなかった私たち夫婦にとって、1年間の不妊治療の末、ようやくできた大切な大切な息子だった。小学校まで活発でユーモアがあり、人気者、優しい人、かっこいい人のアンケートで上位だった。夢は宇宙飛行士。家族に料理を作ってくれる優しい子だった。
中学校に進学し、あれだけユーモアがあった息子から笑顔が消えた。「転校したい」「部活を辞めたい」と話し、突然私たちの前からいなくなってしまった。
搬送された病院で人工呼吸器を付けられ、8種類の点滴をした。一緒に帰れると思っていたが、最後は看護師さんと一緒に冷たくなった息子の手を洗った。耳元で最後まで「学校と部活に行かなくてもいいからね」と言い続けた地獄のような1日だった。
今も毎日毎日苦しくて、悲しくて悔しくて…。息子の笑い顔がフラッシュバックして涙が止まらない。何度、夢で抱きしめた事か。できることなら、今すぐにでも息子の所に行きたい。
それでも私たちは悲しみや苦しみを胸に刻みながら、家族で生きていかなければならない。市長なら、被害者家族の苦しみをほんの少しでも知ってほしい。
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2015年12月22日火曜日
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